§7
「大丈夫だ、誰も居ない……早く!」
「OK、サンクス……よし、渡り切った!」
バーナードを誘導していたのは、なんとダニエルであった。誘導された先は、小麦袋の倉庫の一番奥。ここにカギ状の隙間を作り、身体を隠すわけだ。こんな隠れ場所を考え付いたのも、厨房で働くダニエルならではである。
「なるほどな……こんな場所へは、流石に館の主も、メイドですらも来ないだろう。礼を言うぜ、ダニエルさん」
「ダニーで結構。ダニエルって呼ばれると、くすぐったい」
「じゃ、俺もバーニィでいい」
「あ、なら私も、バーニィと呼ばせてもらっていいですか?」
ダニエルに便乗して、キャンディスも略称で呼ぶことを要求した。
「あぁ、いいよ。そのかわり、アンタのことはキャンディと呼ぶぜ」
「……その呼び名、子供の頃以来です」
照れがあるのか、キャンディスの頬が仄かに朱に染まった。
「キャンディスがOKなら、アタシもOKだよね?」
「勿論だ」
セリアに対しても、バーナードは略称呼びを快諾した。尤も、セリアは名前そのものが短いためか、略称は無かったが。
「バーニィ、小麦袋を3・3・4の回数で叩く音が、この3人のうちの誰かが来た時の合図だ。それが聞こえない足音の場合は、真っ直ぐ正面に逃げるんだ、いいな?」
「OK、ダニー」
脱出の合図まで打ち合わせた4人は、『共犯』という呼び名を甘んじて受け入れ、むしろそれを楽しんでさえいた。唯一、正真正銘の犯罪者であるバーナードのみが、『いいのかなぁ』といった表情を浮かべてはいたが……彼は既に捕まる事を覚悟しての行動であった為、もはや気楽な物であった。
「ダニーさん……セリア、アレは間違いありませんね」
「あぁ、間違いなくバーニィにホレてるぜ……だからだろ? 匿ったのも」
「それ以外に考えられないですよ! ああ、セリアにもやっと春が来るんですね」
「嬉しそうだね?」
これ以上ないぐらいのニヤケ顔で、キャンディスとダニエルはセリアとバーナードの顔を眺めていた。彼らには共通して、妹に彼氏が出来たような嬉しさがあった為、二人の間柄を取り持とうとしていたのだった。
「キャンディス、二人の前途を祝して、杯でも挙げないか?」
「まだまだ! セリアがヴァージンロードを歩くのを見届けなければ、安心出来ないです!」
「あ、そ……」
心なしか、ダニエルの顔には残念そうな影が映ったが、それを見届ける者は誰一人として居なかった。
********
トントントン、トントントン、トントントントン……
この場所に匿われて2週間、小麦袋を叩くサインにも慣れてきた頃。そこに立っていたのは、キャンディスだった。
「お食事です」
「キャンディか? いつも悪いな」
「いえ……あ、流石に二人で入ると、少し窮屈ですね」
「仕方あるまい、元々は人が居つく場所じゃないからな。それに、隠れるには、少し狭いぐらいで……ん? 何だそりゃ」
背後からの視線に気を遣いながら寄ってくるキャンディスが、今日は食事の乗ったトレーの他に、紙袋を携えているのが目に入った。
「あ、これ……ダニーさんからです。2週間も同じ服を着たままじゃ、そろそろ匂うだろうって」
「着替えか……有難い」
袋の中に入っていたのは、恐らくダニエルの物であろう。着古した感じのジーンズとシャツ、それに下着一式だった。
「流石に、これ以上着続けてたら、匂いで居場所がバレちまうかも知れねぇからな」
「クス……トレーを下げに来る時に、着替えた服も一緒にお預かりします。じゃ、また後で」
「あぁ、サンキュ」
そして、素早く周りを見回し、誰も居ない事を確認すると、キャンディスは元来た通路を引き返していった。
「ダニーめ、良く気が付く野郎だぜ……早速世話になるとするか」
食事の前に着替えを済ませてしまおうと、バーナードはすっかり異臭を放つようになってしまった着衣を脱ぎ捨てた。しかし、着替えたはいいが、この汚い服を彼女に預けるのか……? と考え至った時、彼は少し躊躇いを感じた。
「……かなり……匂うよ……な?」
自分で今まで着ていた服の匂いを嗅いでみて、バーナードは思わずむせ返った。着ていた本人ですらコレだ、他者が……ましてや、あんな華奢な女の子がコレを嗅いだら……と思うと、この布の塊を彼女に手渡すのが恥ずかしくなったのだ。
「……ま、まず食っちまうとするか」
照れている自分自身を振り返り、柄でもない……と苦笑いを浮かべ、彼は用意されたサンドイッチを頬張った。マスタードを強めに効かせたそれは、彼の好みに合っていた。
「うめぇ……匿われている身で、こんなうめぇモン食って、罰でも当たらなきゃいいがな」
「それなら大丈夫。むしろ罰が当たるのは、アンタを匿ったアタシの方さ」
「……!! せ、セリア……脅かすな!」
「わり、合図はしたんだけどさ……聞こえなかった?」
食事に夢中になっていた所為か、バーナードはセリアが近付いてきた事を知らせる合図を聞き逃していた。今の事実は、彼に強い焦りを感じさせた。
「指で袋を叩く合図はともかく、足音まで聞こえないとは……俺、耳が悪くなったのかな?」
「いや、そりゃアタシの歩き方の所為さ。これでもスラムの裏街道で生きた経験者だからね、足音を殺す事ぐらい、訳ないのさ」
「そ、か……まぁとにかく、脅かしっこは無しにしようや」
「ん……ゴメン」
素直に謝るセリアの横顔を見ながら、バーナードは食事を再開した。
「……何か用か?」
「よ、用が無かったら来ちゃいけない?」
「そうは言わねぇが……」
「なら、いいじゃない」
美味そうにサンドイッチを頬張るバーナードの横にチョコンと座ると、その横顔を眺めながら、セリアは目を細めた。
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