第60話 壊れゆく絆
たとえ行い良くなく、もっと言えば幼稚で我が儘で、他人の命に対して頓着しなくなってしまっても、
「なりませぬ」
とはっきり言うようになり、また、
「甘言は毒とも言えます。我が君の周囲には貴くないものどもが増えたと聞いております。賢人を用いるは徳の道、寵臣を愛するは国の亡びです。寵臣は甘言で君主を誑かす、それは毒に殺されると同じです。『
とも諫めた。夷皋の周囲に勇士と称して格の低い寵臣が増えており、それらが妙なことを吹き込んでいると趙盾は思っており、それはおおむね間違いではない。勇士どもは甘言ではないが、君主が宰相の言いなりになっているのはおかしい、と素朴な言葉で夷皋を励ましている。それは国の全てを見据えた言葉ではなく、
夷皋は三度に一度は、改める、とふてくされたように謝るが、口先だけであり改めることなどなかった。
澱んだ空気が漂うまま、翌年正月である。夷皋はとうとう成人した。彼の統治は十年を超えたということである。つまり、趙盾も十年以上
「正月、この良き日に我が君がご成人あそばれたこと、謹んでお喜び申し上げます。
白石
既に君子を見ば
と、古詩にも申しますように、激しい流水に磨かれた白石の如く、苦衷の末に晋はますます潔白となっております。民みな、我が君のご尊顔を拝し奉りましたなら、何も心配なく憂いも無いくこの上のない楽しいことでしょう。また、我が晋の繁栄を、山椒のように香気遠く長く続くとも歌っております。我が君の治世これからも揺るぎなく、長く続くよう、我ら卿一同、支えていく所存でございます。無事本日という日をお迎えになられた我が君の喜びを私の喜びといたしましょう」
全ての儀を終えた夷皋を、趙盾が政堂でぬかずき、美しい所作で
子が成人するのは、親の死期が早まると言うことだ。それなら趙盾の死もじきに来るということか。そこまで考え、夷皋は総毛だった。趙盾が死ぬ、ということを考えたことがなかったのだ。顔も名も知らぬ料理人ではない。幼少のときから常にいる、親のような男であり、最も身近な人間である。腹が冷え死が生々しくせまり、それが平坦な表情の趙盾と重なる。死ねば良い、と初めて思った。
趙盾の後、
夷皋の思ったとおり、趙盾は主権を渡すことはなかった。
この年、
晋としては、秦に気兼ねなく東国への支配を強める機会であった。斉、魯に対しても強く出ることができたであろう。が、全く動いていない。趙盾が外より内を重要視している、というところもあったが、君主の問題が強い。夷皋のわがままが度を超えはじめ、外に目を向けるどころではなかったのである。わがままと言っても、陰惨な行いをしているわけではない。軽率に人を殺すことは士会の諫言以降全く行っていない。しかし、己の領地だからと公室の税を何度も絞り、それを遊楽に使う。高台に登り、弾き弓で人に石を打つ遊びにも耽溺した。幼少のころに行った石投げをまたも楽しみはじめたのである。それぞれ、国を傾けるほどではないが、これからどうなるかわからぬ。そのたびに、趙盾が諫めたが、止まらなかった。
郤缺は何度か、議にあげた。が、趙盾は取り合わぬ。とうとう、郤缺は罵倒に近い説教をするはめになった。柔らかな笑みと穏やかな口調でなされたそれは、苛烈であった。
「
はっきりと、夷皋はお前のせいでバカになったのだから、棚上げにして政治をしろ、と言い切ったのである。
「おそれながら、末席からよろしいでしょうか」
「
郤缺の意見とさほど変わらぬが、躾のなっていない子供はいらぬ、という態度がありありと感じ取れる言葉であった。趙盾は表情を変えなかった。欒盾と郤缺を見渡すと、しずしずと口を開く。
「郤主、
郤缺は腹の奥が一気に重く熱くなった。毒炎が渦巻くというのはきっとこれなのだろう、とまで思った。趙盾は、郤缺の父つまり
郤缺が反論する前に、士会が発言を請い、
頭を冷やせ
ということを、丁寧に言った。教養に満ちた罵倒のぶつけ合いを事前に封じたのである。朝政はそこで打ち切られた。郤缺は一瞬だけ眉と眉の間をつまんで目を閉じると、腹の熱さを散らした。感情に支配されては、本質を見失う。問題は夷皋の有害な無能さではなく、趙盾の拘りである。みなが政堂をあとにする中、趙盾が足早に歩き去っていく。さぼった夷皋の元へ諫めに行っているのであろう、宮の奥へと進んでいく。郤缺は小走りで追いかけ、趙盾の腕を強く掴んだ。趙盾が少し眉をしかめてふり返った。逃げられなかったこと、そして腕を掴まれたことが不快らしい。その顔を覗きこみ、郤缺は睨んだ。
「お困りのことあれば力になると、おっしゃっていただければいつでも相談に乗ると、ずっと申し上げている。あなたに会った最初から、申し上げている。なぜ頼らぬ」
郤缺の言葉に、趙盾は顔色を変えなかった。郤缺の手を振り払うと、常の薄い、淡々とした顔を向けた。ゆっくりと丁寧な礼を返してくる。
「私の不徳ゆえ、ご心配おかけした、陳謝を。今のところあなたに相談することなどございません、ご安心を」
そこに確かな謝辞はあった。が、拒絶もありありと出ていた。
「……はっきり申す。あなたのそれは亡びの道だ。君公を抱いて晋を亡ぼすというなら、私はあなたを殺して晋を守る。その約を果たさねばならぬ。おわかりか」
郤缺の言葉に、趙盾が薄く笑んだ。
「覚えております。私はこうも申しました。私は亡びますが我が君が徳深い国君になるため務めると。私はまだ亡びぬ、ゆえに我が君は徳のある君公になられます。少し行き違いあるようですが、覇者として立派なお方になられます」
まるで、郤缺の言葉がわかっていないような返事であった。郤缺がため息をつくと、趙盾は再び歩き、去っていった。郤缺は思わず拳を握りしめた。趙盾は郤缺の言葉の意味がわかって、さらに拒絶したのである。夷皋を棚上げにしろ、という郤缺の言葉は、趙盾にとって捨てろと言われているに等しい。夷皋を捨てろという郤缺を、もはや敵とも思っているのであろう。
「趙孟がその気であれば、仕方あるまいよ」
思わず呟くと、郤缺も歩き出した。趙盾が捨てざるを得なくなるまで、追い詰めるしかあるまいと、郤缺は思い始めている。それでも趙盾が夷皋に拘るのであれば、それこそ晋のために取り除くしかない。趙盾は己の権力を維持するためであれば血が流れるのも厭わぬ政治家である。が、郤缺も己の手が汚れることなど構わぬ人間であった。
「君主にだけ忠を奉る臣はもういらぬと言ったは……誰であったろうか」
小さく呟いた声は、風に乗ってすぐに消えた。そうして、年が暮れまた明けた。
趙盾は本当に誰にも頼らず、夷皋の牙城を削りはじめた。公領への税を重ねて勇士を集め遊楽に耽るといっても、限度がある。元々、趙盾が公領の管理を握っているところに、横から手を出してくるというのも、現実処理能力に乏しい夷皋では難しい。何者かが行っている、と考えるのが自然である。そして、夷皋が侍らしている衛士もどきにそれをする力は無い。彼らは夷皋に浅い進言はしても、実務能力は無いのである。
ところで、趙盾は人を頼らぬが、人を使うことは躊躇なく行う。また、
「我が君が公領に税を幾度も課し、民がお困りになっているのはみなさまご存じかと思う。ところで、公室のご領地のことです。正卿として私が管理しておりますが、どなたかが勝手に動かしているようです。そのため、我が君が勘違いをされて、多く税が入ってきていると思っておられるご様子。我が君は税の役人に直接命じるようなお立場ではない。そして私は差配しておりませぬ。これは我が君の威光を借りて不正を働く輩がいると断じて良い。こちら本来、私自身が取り調べることなれど、才無く日々の務めにも追われ難しい。そこで
趙盾が議にあげたとき、郤缺は常の笑みのまま、少し引きつり、士会は一瞬だけ頬を痙攣させた。夷皋の周辺を内偵しろ、ということである。趙盾が、きちんと言ったぞ、という顔で士会を見てきた。士会が、しぶしぶ、承った、と返す。郤缺は趙盾の矛盾に頭を抱えたくなった。夷皋に主権を渡さず、その力を削ごうとしながら、夷皋を君主として奉り、徳治を望む。成り立たぬ二つを取ろうとしている己の自家撞着に気づいていない。それはそれとして、不正を暴くことは必要であるし、夷皋の自儘が抑えられるのであれば、悪い手ではない。根本的な解決では無いが、と郤缺は呆れながら笑みを浮かべ続けた。
さて、趙盾の見立てどおり、士会は極めて有能な道具であった。道具扱いされた士会は腹立ち収まらなかったが、己が趙盾の補佐をすると言い出したのである。そこは割り切った。情報収集とその精査に関して、晋どころか春秋時代の誰も及ばぬこの男は、すぐさま
「……この先氏は
と、ひとりごちた。
そうして士会がしつこく洗いだし出てきた事実は、晋にとってとんでもなかった。斉から幾度か賄賂が流れており、晋の内情はつつぬけであった。魯もそれを察し、斉に身を任してしまっている。その賄賂を元手に先辛が夷皋にあれやこれやと進め、夷皋は全く気づかず税収だと思い込んで好き勝手しているのである。先辛という小者はともかく、
夏の盛り、士会は議にあげた。もちろん、夷皋はいない。
「――と、不正どころではなかった。わたしは胥子およびその部下に関して、罪状を問う立場ではないため、議としてあげる。ただ申し上げることがある。先氏の末端が胥子の下に身を寄せおこなったことゆえ、
士会の言葉に、荀林父が唖然とした顔をする。夷皋に斉からの賄賂を受け取らせたバカがいたことと、それに気づかぬ己らに愕然としたのであろう。趙盾が肌に合わぬと賄賂を遠ざけているのと違い、荀林父は賄賂を武器として知っている家系である。
郤缺も唖然としたかったが、そうも言ってられぬ。まず、趙盾の先手をとらねばならない。
「おそれながら三席であるが、言上つかまつる。胥子の行い、部下の監督怠ったこと、そして君公を惑わした罪は極めて重い。しかし、その罪を開示して罰を与えた場合、君公の恥が知れ渡ります。また、罪を隠して厳罰に処すれば勘ぐられる。胥子には明白な罪で償っていただくが肝要」
素早い郤缺の言葉に、趙盾が一瞬息を止めた。趙盾のことである、胥甲の罪をつまびらかにし、族滅と処刑をするつもりであったろう。それは夷皋への牽制にもなる。が、郤缺の言葉の方が道理であった。覇者である晋公の足元で賄賂の受け取りと税の不正があったとなれば、威儀はさらに失墜する。
「……郤主のおっしゃることは理があります。明白な胥子の罪、となれば卿をおやめいただいた時のものになるが、あれは戦場での罪になる。私は武に関して疎く、胥子の行いに対してどのような罰であるかわからぬ。卿をおやめいただく以上の罰があれば、伺いたい」
趙盾が六卿を見渡しながら言い、士会に一度視線を止めた後、最後に郤缺を見た。郤缺は再度口を開いた。
「胥子の罪は秦からの使者のお話を取り次がなかったことです。そのため我が晋は勝機を失うこととなった。かつて趙孟は、卿から君公のお世話へと移る、ということで責をとらせましたが、これは罰ではない。士季を卿にするための方便と、敗戦を軽く見せるための政治的な姿勢でしかございませぬ。胥子は卿として軍令に違反したものです。追放がよろしいかと。追放先は同盟国のどこでもかまわぬでしょう」
亡命は自ら行うことであるが、追放は己の意志など関係無く、文字通り国から追い出される。東アジアに限らず、古代世界において国払いは、お前など人間ではないと言い切るようなものであった。下手をすれば文明圏からの隔離である。ただ、国を指定しろと言うように、郤缺はそこまでの剥奪を考えてはいない。二度と晋には戻れず、押しつけられた国も用いることはない。そして郤缺の言葉はもう一つの意味がある。罪は胥甲だけであり、胥氏には無い、ということであった。
郤缺の言葉に頷いていた趙盾に、荀林父が発言を請うた。
「郤主のお言葉、もっともです。胥子は追放し戻さずが良いでしょう。追放先ですが、
趙盾が軽く目を開いた。郤缺は荀林父を凝視し、士会が興味深そうにしている。荀林父の面持ちは珍しく冷たかった。胥臣が襄公と共に蹂躙した衛へ、胥甲を追い払ってしまえ、とは中々に強気な発言であった。もちろん、衛が長く晋の傘下であること、簡単に楚へ
調べあげた士会としても、胥甲に同情の余地なしと見ている。例え斉がむりやり押しつけて来たとしても、報告すべきであった。
趙盾が、それではそのように奏上する、と言った。つまり決定である。胥甲は河曲で軍律違反をした下軍の佐として罰を受け、衛に追放された。七年も前の罪を理由に追放、という字面は不自然極まりない。しかし、胥甲は言い訳ひとつせずに受け入れ、嗣子の
夷皋はわけもわからないうちに、口うるさいが存外親切な胥甲と、気持ちの良いことだけを言う先辛が消え、茫然とした。夷皋を謀り、他国へと通じた罪と言われれば納得せずとも理解できたであろう。が、七年前の軍令違反で追放と、どさくさの亡命である。夷皋は趙盾が八つ当たりをしたのだと思い込んだ。この若い君主は、ますます趙盾を疎ましく思い、朝政をさぼることがさらに増え、政堂に姿を現しても政治の邪魔をするだけになってしまった。数え二十一才の彼は、趙盾を困らせることだけが生き甲斐となりつつある。その奥に、趙盾の死を願う思いが膨らみつつあった。
晋が内部でからまわっているこの時期、反対者を一掃し、足元を固めた楚が勇躍してきた。斉の
この国は夷皋が賄賂を受け取ったこと、君主殺しをした
胥甲の追放を晋が決めていたころ、鄭は楚と同盟を結び、その傘下となった。鄭が楚の傘下となれば、鄭と楚に挟まれた
この年の秋、楚王旅は陳を攻めるべく北上する。
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