第41話 静かな遠征

 晋公夷皋いこう即位二年となり、趙盾ちょうとんけいの席次を改めた。先蔑せんべつがいなくなったため、下軍の将は空白のままであった。本来ならすぐに人事を改めるべきであったが、趙盾は捨て置いていた。諸事格式を重んじ、行動の早いこの男らしくなかったが、何か考えがあるのであろう、と郤缺げきけつも議に上げなかった。

 前年から先都せんとはやきもきしていたであろう。下軍の佐に落とされた身である。目の前に空いている将にさっさと任じてほしいと思っていたに違いない。順当であれば、繰り上がりである。席次を落とされ、甥に上席を取られたのだ、焦るのも仕方があるまい。

 もちろん、趙盾は先都の感情を忖度するわけがない。正月、幼君夷皋の前で行われた新しい席次は、このようになった。

 中軍の将、趙盾。むろん、正卿せいけいである。

 中軍の佐、先克せんこく

 上軍の将、箕鄭きてい

 上軍の佐、荀林父じゅんりんぽ

 下軍の将、郤缺げきけつ

 下軍の佐、先都せんと

 先都は、政堂の場でなければ、悲鳴をあげていたに違いない。何故、己は据え置きで、末席の郤缺が越えて上に座るのか。郤缺が繰り上がるかはともかく、本来であれば先都が下軍の将になるのが定石である。

 それはそれとして、郤缺である。卿に任じられ十年近い。ようやく、軍を率いる身となった。少し前であれば、感慨深く思ったであろう。が、今やその思いも無い。これは、郤缺の立場が趙盾の中で変わったことを意味しているのだ。趙盾の諮問機関として外から口を出すという有用性から、共に責をとれ、という近さになった、ということである。問いにただ座して答える。それ以上求めるというのであれば、いっそ本望である。

「ただいま、下軍の将を任され、ここにご挨拶申し上げます。私めけつは貴き身ならず、長く末席を汚していただけの臣、それを順を越えて将の席をいただくは本来辞するべきなれど、各みなさま、君公くんこうが私という人を知りお考えになられたことをお断りするは非礼というもの。おおよそ、人を知るに九徳きゅうとくを見ると夏書かしょにございます。余裕を持ち威厳あり、穏やかであるが鋭く能あり、直言であるが礼儀を欠かず、強くとも誇らず、謙譲であれど決断を迷わず、率直であっても温厚とし、おおらかであっても細部を見落とさず、即断しても行いが空疎にならず、強き意志を持つと共に正しい道に適っていること。以上の九徳、見ていただいたからには、私もその目にお答えし、励み努める所存でございます」

 郤缺の丁寧で謙譲と教養に満ちた受諾の挨拶に、先都はもう何も言えなくなった。この文言のあとに、この席次はおかしい、などと簡単に言えようか。先都から見て郤缺は政治的に小者であるが、の戦で凄まじい勇猛を見せた男ではある。父が死んでいった横で、白狄子はくてきしを捕縛した武人が何故か政堂に延々といるだけ、という、勢力として頼みようのないものでもある。それが何故、いきなり一足飛びで下軍の将となったのか。先克の差し金か、と思わず甥を睨んだ。先克はそれに気づいたのか気づいていないのか、先都に視線を向けていない。

「本来、下軍の佐を繰り上げ、先叔せんしゅくを将とすべきと思われようが、郤主げきしゅは武の誉れ高きかた、将として下軍を率いていただきたく、席についていただいた。先叔は引き続き将を支えるよう励んでください。君公、これでよろしいですか?」

 趙盾が人事を全て言い放つと、数え十才となった夷皋に拝礼し念を押した。少年は趙盾を不安そうにうかがったあと、

「良い、許す」

 とだけ言う。卿みなぬかずいたが、少年はそれをひきつった笑みで見ていた。泣きそうな顔でもあった。儀礼が終わると、趙盾がそっと夷皋を立ち上がらせ、

「お疲れでしょう。あとは我らにお任せを。我が君におかれましては、ゆっくりおやすみください。のちほど、このとんが取り決めをお伝えいたしますゆえ」

 と薄い表情で言上し、寺人じじんに預けた。内室に消えていく夷皋の小さな背中が安堵するように丸まったのを、郤缺は渇いた憐憫の目で見た。あの幼児は、大人にかしづかれ、わけのわからぬ政治の話をじっと聞くはめになっている。弟はいたが、先日の騒動のため、周都に預けられたはずであり、近くに同年代の子はいないであろう。しかし、そうして生き延びたのも事実である。父と母の望みの結果であった。哀れであるが、仕方無し、と郤缺は思った。幼すぎるため、毎日の朝政ちょうせいに出されていないだけマシであろう。せめて良いをつけ、心を豊かにしていくしかない。

 この年、趙盾の宣言どおり、晋はまずえいの問題から着手している。襄公じょうこうが衛から取り上げた地は、前述のせきだけではない。きょうのほか、しんから虎牢ころうにいたるまでを取っている。申や虎牢の近くには、晋が重要視している温という肥沃な土地がある。衛は交通の要所というだけでなく、地味も良かったのであろう。返すにあたり、ひとつ問題があった。申から虎牢は晋の保有であった。が、戚や匡はていのものであった。鄭が衛から奪ったというかたちになっているが、襄公の衛攻略のおこぼれをもらったものである。ご協力感謝、というわけである。

 鄭としては、返したくなかったであろう。衛から奪ったという土地は、である。鄭や衛だけにかぎらず、東国の列強は和睦と対立をくり返しているため、互いに挨拶しながら殴り合っているようなものである。この地もそもそもどちらのものなのか、本人たちにもわからないであろう。衛は衛の領と主張し、鄭は鄭の地と主張するに違いない。

 しかし、趙盾は鄭に対し、穏やかに恫喝して返させた。

「先年において衛は同姓にもかかわらず、我が国と歩むことを拒み、他国に対し暴虐を行っていましたので、鄭の方々にもお手伝いいただきました。その際、私どもは土地の一部をお借りしており、鄭にもお預けしております。しかし、今や衛はお心を入れ替え、私どもと共に周王さまをお支えすること二心なく誠意に満ち、暴虐は消え礼の国となりました。私どもといたしましては、お借りしていたものをお返しすることにいたしました。つきましては、鄭にお預けしている匡、戚も共にお返ししたい所存です。『りんあし 振振しんしんたる公子 于嗟あありん』と申しますように、私ども晋もあなたさま鄭も同じ周王さまの血筋です。姫姓きせいの公族は麒麟きりんのように歩いてもあしで生ける虫や草を踏まぬ仁そのもの、とうたわれましてございます。互いにその謳いを裏切らないよう、衛にお借りしていたものをお返しいたしましょう。鄭は礼深いお国、衛のように、二心ないのだと、お示しいただくことと、存じておりますが、行き違いあればおっしゃってください、もしお困りであればご相談つかまつりますゆえおっしゃってください、私どものお言葉にお間違いあればその際ご教導願います。互いの祀りを大切にいたしましょう」

 衛はもはや晋に従順となったので土地を返す、鄭も同じように返せ、という言葉の裏に、同姓であろうが逆らうものは叩くが鄭は文句あるのか? ということを、丁寧に折りたたんである。鄭人たちは不快であったろう。が、晋は鄭がにも心を寄せていることを察している。そこで猫なで声をせずに、脅迫するのが趙盾の外交であった。この男は、儀礼を重んじ、徳を愛しながらも、政治的発露は強権主義と言ってよい。

 鄭は春早々に襲ってきた晋の恫喝に屈し、匡と戚の地を返した。返したといっても、鄭としては元々己の地だと叫びたかったにちがいない。晋は衛から一時ぶんどっていた領地を返すだけである。衛はむろん、喜んだ。晋と鄭によって削りに削られた地を返され、民も戻ってきたのである。これがきっかけというわけではあるまいが、この後、衛は晋に寄った外交が多くなる。

 この年のおおまかな趙盾の指針として、秦はよほどのことがないかぎり無視する、だったと思われる。東国に目を向けようとすると、西の秦にかかずってられぬ、ということだ。郤缺はそれを極端であるとは思わない。趙盾の本音は、内需の充実である。

「衛に良き地を返すのです。やりくりは慎重にせねばなりませぬ。今年、を正すのですから、秦からのお客に関しては、門の内に入らぬ限りは、お好きにしていただきます」

 国境線をはるかに越えてこぬ限りは、秦は無視するということである。東国と西方で右往左往した時代がある。その時期から考えると、人材も足りず、趙盾の言葉は最善でなくとも最大限のものであった。また、趙盾は無駄を嫌う。武に疎い彼にとって、戦争そのものが無駄なのであろう。趙盾はその指針どおり、夏に報復に来た秦を完全に無視した。結果、河南の秦に近い武城ぶじょうという砦を取られている。

 魯を攻めたのは秋であった。穀物の刈り入れ時期であり、完全に嫌がらせである。趙盾は文明人である己を自負しており、この時も懇切丁寧な挨拶文を使者に送らせようとした。ただ、趙盾の挨拶文は強すぎる恫喝になりがちであり、郤缺はさすがに口を挟んだ。

「威光を示すは大切であり、刑罰は当然です。しかしまず、相手に罪を素直に認めさせることが寛容。魯公はかの周公旦しゅうこうたんが開いたお国柄、徳を最も知っておられる。行き違いでお越しにならなかったのであれば、ただの過失ですから改めてちかいましょうとお誘いになられてはいかがか」

 下軍の将となった郤缺は、やや積極的に議に絡むようになった。が、それでも、問われたことに返すという姿勢はやめていない。その返しを趙盾が頷くこともあれば、断ることもある。箕鄭や先都は、郤缺が趙盾にすり寄っているのか反発しているのか分からず、少々遠巻きに見ていた。

「魯の国境線を越えて、挨拶文を使者に託しましょう」

 郤缺の言葉は、それで締められた。趙盾は頷き、中軍と下軍で魯を攻め、上軍に留守を命じた。荀林父に箕鄭を見はらせる意味であろう。政治勘の低い荀林父は箕鄭の眼中には無い。しかし、荀林父には独特のめざとさがあるため、箕鄭が表だって動けば無邪気に問い、政治勘の低さでぶっ壊すに違いない。

げき氏としては、久々に腕の見せ所といったところではないか?」

 朝政の終わり、先都が声をかけてきた。郤缺が将となってから、まともに口を聞いてこなかった男であるが、共に従軍となっている。さすがに気になったのであろう。さらに、先都はほぼ単身で白狄はくてきにつっこみ、白狄子を生け捕りにした郤缺を覚えている。やはり彼も武人であり、武に長けた郤氏に共感があったのやもしれぬ。が、郤缺は柔和な笑みを返して、とんでもない、と返した。

「たいして戦いませぬよ」

 まるで、腰抜けのような言葉に、先都は鼻をならして去っていった。牙が抜けたか、という顔をしていた。が、郤缺は苦笑するしかない。

 実のところ、魯を攻めるが、戦うとは言っていないのである。

 晋は周都にて周王へ魯を攻める旨を挨拶し、そのまま傘下の東国を通って魯の国境を侵すと、使者を出した。趙盾の恫喝を郤缺が丸く見せかけた、やはり晋の恫喝である。

「前年は魯公のご尊顔を拝見できず、こちらに何か不手際があったのか、ご連絡が滞り行き違いがあったのかと、私どもの主も胸を痛めております。魯につきましては、ちゆをお伐ちになり、また、小国同士のいざこざも収めていただいたとのこと、後に知りました。覇者である晋といたしましては、手の届かぬところを補っていただいたこと大変ありがたく、ぜひその武功を拝聴したい所存です。また、てきが魯を困らせたよし、我が国のほうで対応致しましたが、その後いかがでしょうや。もしご不便がまだあるようであれば、既に我ら軍をそろえてはせ参じておりますので、ご相談伺いたい次第、よしなに」

 これで丸くしたと言うのであるから、趙盾の激烈さがわかるというものである。書を受け取った魯は、慌てふためき、晋の中軍と下軍が国境を越えて陣取ったことも知って詫びの使者を送った。

「改めて盟います、場所はこちらで用意させますゆえ」

 使者は現魯公の叔父であり、大臣の一人でもある公子遂こうしすいであった。彼はこの後、冬には会盟の場を整え、趙盾と盟っている。素早く動いたのは、晋に全力で攻めたてられ、都にて会盟という屈辱を避けるためであった。現代の言葉でわかりやすく言えば、無条件降伏である。郤缺は軍事的見地と政治的見地から、魯が戦いに応じぬことを察しており、趙盾はそもそも恫喝だけで終わらせるつもりであった。

「あの程度で、根をあげるものなのだな」

 公子遂に用意されたゆうで休息しながら、趙盾は郤缺に話しかけた。軍事行動中であったが、朝政のように趙盾は中軍下軍の四卿で議を問いたがる。郤缺は何も思わぬが、先克や先都はうんざりした。それはともかく、趙盾は郤缺の意見を取り入れた挨拶文では足りぬと考えていたらしい。

「軍を率いての挨拶です。あまり締め上げますと、心が逃げるものです。心を掴み、体が半歩下がる、程度が良い」

 郤缺が口を入れても、相当激烈な内容であった。もう少し緩和にするよう求めたが、趙盾は侮られると返し、それ以上はガンと受け付けなかった。固いものを柔らかくするのは骨が折れる、とは趙衰の言である。まさに、趙盾を指している。彼は己の間違いは省み正そうとはするが、間違っていると思わぬものは曲げようとしない。理としての正しさを取る。情で一度曲げてしまったぶん、それが強くなっていた。実際、郤缺のこの言葉にも、少し不満そうな顔を薄く見せた。生ぬるいと思ったらしかった。郤缺はその顔に怖じることなく、さらに言葉を続ける。

「……前に進み続け相手を屈服するは一見正しくそして易い。しかし、屈服した相手は心を閉ざします。半歩退き、心を閉ざす前に手をとってあげるが良い。そうすれば自ずから頭を垂れるものです」

 完全に殴り倒せば、相手は怨みを募らせる。それは書でも同じということである。趙盾がわずかに眉をひそめた。

「そうであれば、私は鄭に少々強めにお話を進めてしまったかもしれません」

「なんですと?」

 郤缺はうっかり問うた。先克もさすがに眉をしかめた。若くとも先氏の主である。軍事だけでなく政治もわかっている。

趙孟ちょうもう。鄭は面従腹背の国です。もし、書で強くなされたのであれば、さらに書で優しくしてやり、様子を伺ってはいかがでしょうか」

 先克は、かなりの勇気を出して言った。この問いが良いかどうかはともかく、鄭の帰趨きすうは東国全体を巻き込みかねない。晋と楚に挟まれ、周と接し、東国列強にも接している鄭は中原の要である。鄭が楚に流れれば、東国の国々も楚に流れていく可能性が高い。先克は若年なりに、必死であった。父である先且居せんしょきょが毎年遠征していた姿も思い出す。

「鄭ごときに何故優しい言葉をかけてやらねばならぬ。もし、楚に通じたがわかれば、伐てば良い。我らせん氏は武を誇りに、先々代、先代と楚や東国を平定してきた。その腕を見せましょうぞ」

 先都が先克を笑い飛ばすように言った。もし、先克が戦う姿勢を見せれば、先都は和の話をしたであろう。先都には確たる政治指針はなく、まず氏族の掌握が優先であり、先克の顔に泥をぬれればなんでもよかった。むろん、先克は先都の本音がわかり、睨み付けた。

「各々がた。ここは戦陣です。まつりごとのお話は、帰ってからすべきでしょう。趙孟におかれましては、この後、議にはかった書や挨拶に関しましては、一度我らにお知らせいただきたい。我が国と他国の間に行き違いが生じたときに、我らがわかっておらねば無駄な時間を使うことになります。また、卿のどなたかが使者となる場合もあるゆえ、あらかじめ示しておくのが理に適いましょう。鄭の件は後ほどに」

 郤缺は先氏二人を押さえながら、趙盾に優しく言った。教えてくれないと困る、とだけ言えば、趙盾は納得しないであろう。彼は己一人で全て事足りる、と思っているふしがある。決定権を持っている夷皋が幼君であり、趙盾が代理で決定している。結果的に、趙盾は決定権を手に入れてしまっている。そうなると、己が最も頭が良いとわかっているのだ、書など人に見せぬでも良いと思っていたに違いない。郤缺はそのような趙盾の、無神経な傲慢さをよく知っており、ゆえに

「無駄な時間にならない方法、理に適う」

 という、好みの言葉で説いた。完璧主義者の趙盾としては、不満であったろうが、理として正しさに頷いた。

「郤主のお言葉、戒めとし、感謝を。私は非才の身でありながら、一人で行いすぎるようです。これからも皆のご教示を賜りたい」

 と、頷いた。趙盾は情に訴えてもまず動かないが――一度動いてしまったがゆえの戒めが強い――、理で諭せば簡単に納得する性質であった。郤缺は、そこに趙盾の孤独があるな、と朝政もどきが終わったあとにため息をついた。人々は情を中心に考え、それを制御するために礼を学び儀で表す。しかし、趙盾は情をむりやり理にすげ替えて生きている。士会しかいのように本質が理であればそれで良いが、趙盾の本質は情である。

「その生き方は誰とも打ち解けぬ、と言うのは余計なお世話だな」

 郤缺は雲の少ない空を見て、次にのどかな景色を眺める。魯の秋は晋の秋と同じく穏やかであるが、風に砂が混じらず爽やかに思えた。遠い山々は朱と金に彩られ美しい。趙盾はあの山々を美しいと思うであろうが、口に出すのは

 余事です

 の一言に違いなかった。

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