第42話 滑稽な幕間
会盟は中軍のみで行うということで、下軍は秋のうちに帰った。
その間、
「まつりごとがわからぬなら、もう口を出すな」
と罵倒されたのである。先都は、わからぬわけではない。しかし、先克が
「
と罵倒を返し、そのまま下軍と共に帰路についている。郤缺は放置した。他家のことに干渉しない、が信条のひとつである。
下軍が無事帰ったころ、
「無事に魯と
下軍代表として郤缺が言うと、荀林父が胸をなでおろす。やはりその様子はリスであり、野ウサギよりリスだと士会に言えば良かったと郤缺は内心笑った。むろん、今やそのような問答などできぬ。箕鄭は少し困った顔で荀林父を見ていた。荀林父は気づいてないようである。
「お留守のあいだ、お困りのことは?」
郤缺は、箕鄭と荀林父双方の顔を見て言った。箕鄭は、特に、と言葉を濁したが、荀林父が元気よく答えた。
「私には無いのですが、
「いえ、その議は個人的なことですので、その際はお手を煩わせて申し訳ない、
荀林父の声を遮って箕鄭が鋭く大声で言った。荀林父はぽかんとしたが、申し訳ありません、勘違いしていたようで、と本当に申し訳なさそうな顔で箕鄭に謝った。郤缺はさすがに箕鄭に同情せざるをえない。まさか、ここまで政治勘が鈍いとは思っていなかったのであろう。何やら謀議を持っていこうとして、完全に失敗し、しかも暴露されかけたのである。ここで、場にいる全員を謀議に巻き込んでやろう、と思わぬのが、箕鄭の芯にある純朴さなのであろう。
――その純朴のまま、野心など持たねば才は潰れなかったろうに
文公に見いだされた青年は、権力をとることと権勢を握ることがごっちゃになり、いまや手段が目的となってしまっている。郤缺は同情したが、同時にお引き取り願わねばならぬとも思った。下手に踊られると血腥い政変に繋がりかねぬ。先都はもはや、先克憎しに政治を全く見なくなっている。箕鄭が巻き込まれるのも時間の問題であり、箕鄭が巻き込まれれば、共に権勢を願う
四卿による
「これは私事、雑談です。私は軍を率いて国を出たのは久しぶりです。ほんの少しですが晋を離れているのは寂しいものでした。留守をされていた荀伯のお話もお聞きしたく、もしお困りのことがあればそれも伺いたい」
「私も文公につきしたがい東国へ参ったとき、晋が懐かしかったものです。狄を備える任でも
無邪気に言うリスに郤缺はにこやかに促し、いくつかの会話の末に言葉を引き出した。
「そういえば、先ほど箕子が個人的なことだとおっしゃってましたが。しかし政堂にて私に『何か不満は無いか』と問うてきたのです。不満があるかどうかをお聞きになられるかたは、何か不満がある人です。ですので、私は箕子のご不満拝聴しますと言いましたら、御遠慮なされて……。きっと私では役不足だったのでしょう、
郤缺は、爆笑をこらえ、手で制した。
「箕子は長く務められているおかたですが、この度のように、代理でも席次一位になったことがございません。きっと、責を深く感じられて、荀伯に差配の軽重を問いたかったのではないでしょうか。むろん、私は箕子では無いので違うやもしれませぬが、個人的なこととおっしゃっていたのですから、ご本人がおおやけでおっしゃらないのであれば、荀伯からお勧めせぬとも大丈夫でしょう。ああ、そのように落ち込まないで下さい。箕子はあなたが役不足だと思ったのではないと思います。逆に己が不甲斐ないと思ったのかもしれません。また箕子が議として出されましたら、今度はあなたが支えて下さい」
己は余計なことをしていたのか、と落ち込む荀林父を励ましながら、郤缺はなんとか笑いを飲み込んだ。箕鄭は荀林父を己の陣営に引きずり込もうと謀議をしかけたのだろうが、荀林父が逆に箕鄭の怨みを察した上で、政治勘の無さで真っ直ぐ打ち返してくるとは思わなかったであろう。箕鄭は荀林父が趙盾に全く不満が無いと気づき慌てて退いたのである。不満があるか? と問う人間こそが不満を持っている、という至言を口に出しながら、見当違いのところに着地する荀林父は、政界をこのまま生きていけるのか不安なほどであった。箕鄭は趙盾に対抗する閥を作ろうとして、一手失敗した。次は郤缺に当たりたかったろうが、荀林父が先ほど政堂で台無しにした。
荀林父が帰った後、郤缺は一人自室で脇息にもたれかかりながら、頬杖をついた。父であれば儀がなっておらぬと殴り飛ばしてくるだろう。
「まあ、良いではないですか、父上。たまには」
小さく呟き、目をつむる。そうすると、父ではなく
「あなたに見せているわけではない」
すぐさま目を開いて呟き、なんとまあ、己は未練がましいと嘲笑するしかなかった。疲れたとき、一人考えるときに、父と対話しているつもりで欒枝と対話している。不孝で倫に
「……いえ、それでも言わせてください、
誰かが、郤缺に空洞を作れと言っていた。欒枝では無いが、誰だか思い出せぬ。己の心に穴など空けられるはずがない。郤缺は、浮き上がる趙盾を捕まえ、保身本能が無い荀林父の手を引くことで手一杯である。
「さて、先に死ぬは
どちらが死んでも動けるよう、備えねばならぬ。氏族をそっと握り動揺させてはならない。
「私はやはり、小者卑職の男のようです、欒伯。先氏が荒れることを止める気は無い。他家のことだからでは無いです、我が晋の邪魔だからですよ。あなたの言う
愚痴が高じて、郤缺は記憶の男に甘え倒しはじめた。我ながらみっともないと思ったが、外に出さぬと毒が溜まると説教したのは欒枝である。その責任をとれと言わんばかりに、郤缺は一人で欒枝に文句を言い続けていた。
そのように感情のよどみを解消しながら、郤缺は趙盾が帰ってくるまで政堂を守り、面倒を見た。どうせ大きな決めごとはできぬが、税の関係だけはしっかりと取り組まねばならぬ。士穀はようやく記録と実情を照らし合わせて書にまとめてきた。中軍が帰ってこれば本格的に決めていく算段で話は止めている。趙盾と先克は無事、年内には戻った。
「やはり軍を動かすは、無駄が多いですが、覇者としていたしかたありません。また、今年は秦に
この年最後の朝政の日、趙盾はこの言葉で締めた。郤缺は目を細めて趙盾を見る。その視線に気づいたのか、一瞬だけ趙盾が郤缺を見て、小さく微笑んだ。そうして、退屈な朝政だったろうに必死に座っている
帰国早々、趙盾は郤缺にそっと問うた。みな、変わりはなかったですか、と。郤缺は、変わっておりません、と返した。
「……そうですか。先主もお変わりなく戻りました。ざんねんなことです」
何がざんねんなのか、郤缺は問い返さなかった。
翌年正月早々、先克は殺された。
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