第39話 そして、ごきげんよう、さようなら

 いよいよだ、と感じたのであろう。士会しかいは妻や家宰かさい

「わたしが出たら、あとは頼む」

 と言った。戦場は何があるかわからぬ。当然、主が捕らわれたり、死体で帰ってくることもある。士会の言葉は、別段不思議でもなんでもない。

 さて、趙盾ちょうとんが誠実と嘲笑したように、しんは馬鹿正直に夏に進軍してきた。趙盾は箕鄭きていを国の守備とさせて、残りで迎え撃つと発令した。晋公夷皋いこうは幼君であるため、従軍しない。郤缺げきけつは軍を持たぬため、もちろん留守番であり、箕鄭への牽制を兼ねていた。武に疎い趙盾が中軍の将、すなわち元帥であり総司令官である。が、彼は己の分をわきまえており、はなから指揮をする気はない。中軍を構成する大多数の趙氏の差配を傘下にいる臾駢ゆべんに任せ、三軍全体の面倒は士会に丸投げをしている。

 総司令官を支える立場が中軍の佐である先克せんこくである。が、彼は下軍の監視に忙しい。事前に、先都せんと先蔑せんべつを呼びつけ、

「我がせん氏は先代、先々代と武によって忠を奉り、信を得ている。こたび、新たな軍制での戦で、私を含め三人のけいが出陣する。当主が若年であるから不甲斐ないと言われぬよう、叔父上もべつも力を合わせ、務めてほしい」

 と諭した。この二十そこそこの青年の言うことは最もであったが、叔父である先都は鼻をならした。

「すっかり趙孟ちょうもうの飼い犬ではないか、こく。そもそも、小僧の貴様がいきなり当主になろうとしゃしゃりでたがために、話がややこしくなり、我が先氏の問題を趙氏に握られたのだ。今やこの無能と私が下軍で共にせねばならぬこととなった。だいいち、蔑が公子を連れて来ぬからこうなったのだ。このものはわかっているのか」

 最初に一族内の争いを政治に絡めたのは先都である。先且居せんしょきょの後釜を狙い、卿になることで主導権を握ろうとしたことが、そもそも人事の騒乱であった。この一件が無ければ先克が慌てて介入することもなく、そして趙盾が権力を握ることもなかったであろう。

「聞き捨てならぬよ、先叔せんしゅく。俺は先君に卿として任じられ、今はあんたの上席だ。それを無能とはどういうことだ。そもそも、公子は前向きにお考えになられ、秦に衛兵を願いすぐにでも来るつもりであった。それを趙孟が国内で蛮行を行ったがために、お疑いになられただけだ。何故、その公子を差し置いて幼君を立てることになっているのだ? 俺は恥をかかされた、公子ように約したことも嘘となった。先主せんしゅ、趙孟に従う理由などあるのか? 今、先氏は三卿を数える。強く出れば、趙孟も言葉を撤回し、公子雍にお話を通すのではないか」

 先蔑が、状況が全くわかっていない発言をする。合わせて六人の中、半数が先氏であり、字面だけを見れば権勢を握っていると言っても過言ではない。が、実情は反目し合う先氏たちを趙盾が見張り、粛正の機会を窺っているにすぎない。先克はそれがわかり、屈辱の中で耐え従っている。先都は趙盾を未だ軽視しており、そのあたり甘く見ていた。先蔑はそれさえもわからず、先克に命じられた先都への牽制を愚鈍に行いながら、趙盾への怨みを募らせている。先克は、分からず屋の叔父と期待はずれだった手駒を説き伏せながら、に戦いを終えなければならなくなっていた。

 趙盾は何度も言うが戦略や戦術に関して疎かったらしい。ゆえに、この戦いにおける趙盾の指示は彼の発案ではなく、他者のものであろう。この作品において、筆者はそれを士会と据えている。

 士会は主力の中軍を前衛とさせ、本来押さえになる下軍を次軍に、後列に上軍を置いた。上軍は前衛を担うことが多いために、上軍の佐である荀林父じゅんりんぽが趙盾に疑問を呈す。

「定石とは違うように見受けられます。中軍は大軍、我が上軍は小軍です。小軍を以て先に当たらせ、敵の威力を知り伝え、中軍によって押しつぶすのは文公もされておられました」

 戦で上軍の欒枝らんしが前衛として楚軍を誘いおびきよせた作戦である。趙盾は、そのようなものか、と思ったが、士会に言い含められていた言葉を返す。

「こたびは文公の御子おこ、公子雍を伴って秦はお越しになられる。そうであれば我が主力の中軍で最初からおもてなししようと考えた。また、中軍を支えるに武に強い先氏を控えさせ、あなたの上軍は万が一のために後ろを見てほしい。我らは国を出て秦の内に入ってもてなす所存です、いわばよその邸での歓待。荀伯じゅんはくは目が良く慎重なお方です、後方への監視をお願いしたい」

 素直な荀林父は、お任せくだされと、無邪気に引き下がった。

 士会は、秦がまともな軍ではない、と断じており、その上での作戦である。この事態を引き起こした一因に趙盾がいるわけであるから、中軍が秦を完全に叩き潰すのが内政としても秦への牽制としても良い。秦は正卿せいけい自らの最後通牒に気づき、少なくとも公子雍を引っ込めるであろう。また、秦の手を払うことで、国内における晋公夷皋の正当性が強固となる。元々、むりやり通した筋であるのだ、最後まで力押しするしかない、と士会は思っていた。その上で、内部分裂を起こしかねない下軍は近場に置き、上軍は後方に

「あの野ウサギどのは後方で見張らせておけ。変な抗争に巻き込まれたらかわいそうだ。万が一秦がてきと結んで後方を攪乱しようとしていても、あの御仁はそれなりにさばく」

「荀伯に失礼ではないか」

 野ウサギとは誰か、とも尋ねず、趙盾は策を授ける士会に言った。あんたも相当ひどい、と士会は呆れて肩をすくめ、大まかな策をさらに授けた。戦略は事前に全て用意できるものである。情報と地勢と把握さえあれば誰でもできる、と士会は思っていたが、趙盾を見て考えを改めた。できぬやつは、どうあってもできぬ。

 ただ、趙盾はわからぬとも実務能力が際立っていた。ゆえに、えがかれた図をそのまま踏襲できる才を持っている。国境に近い晋国内、菫陰とういんの地に至ったとき、あらためて軍を揃え、皆におのが意を伝えるべく口を開いた。日が傾き、夏の暑さを助長するような夕焼けに照らされ、晋軍は橙色に染まっていた。

「公子雍を晋から迎えるのであれば秦はお客です。お迎えせぬなら敵である。敵とすることを決めたからには、手ぬるい扱いをしては秦がつけあがる。先手を打ち機先をを制するが兵の良策というものです。撃退するは、さながら逃げるを追うが如くの勢いで突進するが良法です。そのむね、各々兵卒によく言い含め、武器をみがき、馬にまぐさを与え、寝所にて食事をすませてください。夜の明けぬうちに出ます。秦軍は令狐れいこにてお休みになられている。門の外でお断りするは少々かわいそうかもしれませぬが、お呼びせぬ客はお帰りいただくのがよろしい」

 前述もしたが、令狐は晋秦の国境に近い秦の地である。この戦争においてのみ、菫陰と令狐の立ち位置は対とも言えた。士会は手勢を使い、逐一情報を集めさせている。秦は公子雍に泣きつかれ、戦端を開くべく進軍しているが、楽観しているのか警戒も薄い。兵は多いが弛緩していると士会は見た。楽な相手だと想定していたが、ここまでであると逆に心配してしまうほどである。おそれいりますが、あなたがたにもう人材はいないのですか、と。前年の集団殉死が秦に与えた影響は極めて大きく、そしてそれは晋の利である。

 夜明け前の奇襲というものは、当時一般的ではない。言葉を交わして戦端を開く時代であるために、邪道ともいえる。が、晋は平気でそれを選んだ。策謀と常識破りと詐術で肥え太り、したり顔で覇者となった国である。この程度を邪道とも思っておらぬ。さらに、晋は秦に感謝はあれど、程度の低い国と軽蔑しているところがある。実際、甥の嫁を伯父にめあわせるということを平気でしてきたのは前述した。集団殉死もそうである。どうしても未文化さがあり、晋は中原を束ねる覇者として見下すという意識ができている。士会自身にそのような蔑視の意識は無いが、手すさびのような戦である、簡単に終わらせるほうが良いとこの策を立てただけである。この戦争の本質は晋秦の対立ではない。晋国内の後継争いに秦がお人好しにも巻き込まれただけであり、こちらとしては出会い頭に驚かせて、すみやかに逃げ帰って貰えば良いだけである。

 問題は下軍の不穏さであるが、それは士会が適度になんとかするつもりであった。

 夜も明けぬ暗い中、晋軍はひたひたと令狐に進んでいった。ここまで来ると趙盾はどの位置で止まれば良いのかわからぬ。ふと士会に目をやる。中軍の大夫として近い位置にいる士会が手で指図した。もう少し行け。趙盾は頷き、進軍を続けた。相手の陣地が目視ではっきりするころ、士会は止めさせた。ようやく地平がしらじらとした頃であった。まだ秦の陣地は起きていない。

 趙盾は戦いの前の儀礼を行った後、口を開いた。

「我が中軍が公子雍にお引き取りいただくよう、最初にお声かけする。中軍の大夫に先陣をお任せするゆえ、我が手勢ちょう氏もそれにならうよう」

 本来、中軍の戦術は趙氏傘下にある臾駢の担当である。彼は当初、己を軽んじられているようでひそかにしょげていたが、政治的なものだと言い含められ、気を取り直した。いずれ、己が前にでることもあるであろう。士会に合わせ、趙盾を動かすのが今回の任だと割り切っている。

 静かに兵を先に行かせ、馬車を進めながら、士会は距離を測る。

「止めろ」

 御者に言うと、士会は旗を振った。中軍の大夫どもが、一斉に矢を放つ。そろそろようやく起きだしたであろう秦の兵の頭に矢が刺さり、倒れた。甲をまだ着けていない兵たちが、あわてふためきながらも、矢避けの盾に逃げる。秦の大夫たちも、そして公子雍も飛び起き、あわてて戎服じゅうふくを着て、飛び出した。

「このような、遠き場からの矢など、怖くもないわ」

 秦軍の言うことは最もである。士会は、射程範囲ぎりぎりのところから、矢を放っている。冑をかぶりよろいを身につけた戎服であれば、対した威力でもない。が、

「上は囮だ」

 士会は小さく呟くと、もう一度旗を振り、今度は陣地に戦車を突撃させた。兵が置いて行かれそうな速さであったが、。すでに歩兵のものどもは先行し、秦の陣に殴りかかっていた。初手の矢など、囮が当然、それに気を取られた秦軍は隊列を整える前に、野蛮な晋兵に襲撃されたのである。兵たちに教えたは、逃げる敵を追うが如く突撃しろ、である。秦の歩兵はもちろんであるが、戦車に乗ろうとしていたものは蟻のように群がってくる兵に捕らえられ、引きずられ、たいがいが無惨に殺された。公子雍は一目散に逃げた。それを追って、秦軍も逃げだした。それらを追撃するべく士会が指図すると、趙盾の率いる趙氏が追い立て始める。

 が、秦軍もできるものがいるらしい。秦の一部が立て直し隊列を揃え、逃げる軍のしんがりを務めるように横合いから攻め立ててきた。これにまともにあたれば、時間を稼がれ、追撃の手が弱くなる。士会は流して押しだそうと陣形を変えようとした。

 しかし、先氏率いる下軍、もっと言えば先蔑が動いた。彼は武に優れてはおり、その意味では目が良かった。秦の立て直しを見た先蔑は即座に

「中軍の将を追いかけよ」

 とだけ、命じた。先蔑の手勢は、主が趙盾を怨んでおり、この期に殺すつもりであることを知っていたため、すぐさま後背をとりにかかった。秦軍と先蔑の手勢で趙盾を挟みすりつぶそうとしたのである。士会は先蔑の動きをすぐに察知し、それを物理的に利用した。先蔑の手勢に横から圧をかけ、進軍先を反らせる。先蔑率いる手勢によってしんがりの秦兵どもは押し出され力を削がれた。そして、先蔑の目の前に、奇襲に怒る秦軍が現れることとなった。

「お前! 士季しき! お前もか!」

 先蔑は士会さえもが趙盾の軍門に降ったのかと怒りながら、目の前の秦兵を切り捨てた。戦車に登ってくるそれらを車右しゃゆうとともに蹴散らし、弓をつがえて秦の大夫を射る。趙盾はもはや遠く、令狐から離れていく秦軍をさらに追撃していた。

先子せんし、そちらで残党狩りを頼む、我らは追いかけるゆえ」

 士会はわざと声をかけると、残った中軍全てを率いて、趙盾を追いかけた。晋軍は令狐を越え、刳首こしゅというやはり秦の地まで進軍し、秦を完全に追い払った。秦は晋に侵入するどころか、おのが中にまで蹂躙され、逃げ帰ったのである。晋公を立てるどころの話ではなく、国力の低下を見せつけるだけの結果となった。

「令狐で休み、明日に凱旋として帰ることとする」

 趙盾はそれだけを言うと、軍を休ませた。夜明け前に食事をとり、緊張の中静かに走り、そして全力で敵を追いかけ回したのである。そうでなくても、人を殺すという行為は身も心も痩せさせる。趙盾が秦の地であっても駐屯させたのは当然であった。また、秦に対して勝利者としての示威行為でもある。我が晋はここで勝ち、お前たちは無様に負け、父祖伝来の地は陵辱された、という宣言であった。この行為により、秦が周辺に対していた圧も威厳も落ちる。特に狄は秦を侮るであろう。

 一方、先克に隊列の乱れを責められた先蔑であったが、本来は趙盾を殺そうとしていたのである。趙盾もそれがわかっているであろうが、何も言わぬ。帰国すれば、辱めを受け殺される、と先蔑は夜陰に紛れて一人逃げ出した。手勢を置いていったのは、発覚を怖れてである。いまだ公子雍に心残りがあるこの男は、もちろん秦に亡命した。後日、亡命した先蔑の元に家族や家財が丁寧に送られてきた。

「同役のよしみです」

 全て差配した後、荀林父は趙盾に報告している。荀林父は凡人であるが、友人として得がたい資質を持っているのであろう。

 さて、士会は逃げていく先蔑を横目で見ながら、止めなかった。先蔑は趙盾を殺そうとして失敗した。咎められなくとも、一生趙氏に頭の上がらぬこととなる。故郷に足を踏み入れず立ち去るのは、いっそ潔い。小さく肩をすくめると、士会は氏の手勢たちを集め指示をした。趙盾は寝てしまったかもしれぬが、士会にはまだやることがあるのだった。

 翌朝、趙盾は士氏がまるごといないことに気づいたが、放置した。他の中軍の大夫が告げてきても手で制し、良い、我らは帰ろう、と返した。

「……本当にめんどくさい男だ」

 良き馬も乗り手が下手なら駄馬となる。もったいないことではないか。戦車に揺られながら、趙盾は過ぎゆく景色を眺め呟いた。

 その数刻前、士会は夜明けを見ながら丘にいた。目印にしていた場所で、戦場に少し近い。士氏の兵に守られ、家族が顔を見せた。妻は緊張しているようであった。仕方があるまい、ここは晋ではなく敵国の秦である。家族も家宰も染めていない麻、つまりは素衣を着ていた。士会も渡された素衣に着替え、故郷に向かって儀礼をする。

 さようなら、おせわになりました。それ以外に感慨は無い。

「では、行くぞ。秦公は先代も現君もお優しいかただと聞いている。穏やかな国であろうよ」

 士会は幼い息子を抱き上げ、妻の肩を抱くと、からりと笑った。妻はほっと安堵の顔を見せ、息子の士爕ししょうはわからないまま父の笑顔に笑顔で返した。

 士会一行が馬車でゆっくり移動していると、立ち往生している秦の大夫に行き会った。馬が倒れ馬車が動かぬ様子であった。戎服であり、昨日負けた秦軍の生き残りであろう。

「お困りと見える。よければ我らがお送りしよう。その代わりといってはなんだが、道先の案内をお願いしたい」

 士会は馬車から降り、立礼して声をかけた。秦人は一瞬警戒したがすぐに顔を弛緩させた。

「……晋人だな。その衣、亡命か。こちらも助かる」

 促された秦人が、士会の馬車へ共に乗った。士会とたいして年は変わらず、理知的な瞳を持つ男であった。

「しんがりを務めようとしたが、晋軍に押されはじき出された。あちらには武に強いものがいるらしい」

 逃げる公子雍や秦軍を庇うように出た策は、この男の差配らしい。それを追い払った士会といえば、それは大変だった、と他人事のように頷いた。ただ、この男が才人であるとわかり、

「わたしは士氏の末子、士季だ。よろしくお願いしたい」

 と即座に名乗った。

「私は繞子じょうしだ。こちらこそ、末永く願う」

 繞子は史書に繞朝じょうちょうと残っている男で、士会が察したように知恵者であったと伝えられる。そして、秦に亡命した士会の理解者となった。

 晋の生んだ最高の天才は、今、晋を捨てた。

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