第21話 沙中の虎狼

 しんが開戦を決めたことなど知らぬしんである。この時、秦の行軍は思ったより速い。夏を過ぎるかと思っていたが、前述したように初夏に晋に入る。探ってきた者の言葉に先軫せんしんは笑った。兵は速いほうがよいというが、退く時はゆっくりと余裕を持ち、警戒を怠らず、が常識である。が、秦軍は自国が近くなり気が逸っているらしい。

「まあ、食糧も尽きているのだろう。奴らは行きと同じ道を帰っているか?」

 直接見て探ってきた者、周辺の邑宰ゆうさいたちからの情報をまとめたせん氏の男は、

「同じ道でまちがいございません」

 と断言した。それで先軫の策はまとまった。壮年を越えてもなお覇気と獰猛さ、若さを持つこの男は、生粋の戦争屋と言ってよい。彼をけいに推挙したのは趙衰ちょうしである。楚との戦争で中軍の将、つまりは野戦軍総司令官であった。楚軍を翻弄し最後には挟撃で大敗させたと伝えられている。史書を見るに敵の隊列を乱した後に各隊、軍による包囲網戦で擦り潰した様子であり、理想的な完勝に近い。当時、晋よりもよほど軍事国家であったに勝利し、文公を覇者はしゃに導いた一人と言えよう。

「武器、車、馬の異常をもう一度確かめておけ。総揃いの時に不備が出ては先氏の名折れ。私は策を君公くんこうにお許しいただく」

 自信に満ちた男の声であった。家臣が頷き、下がっていくのを横目で見ながら、先軫は晋公かんの元へと向かう。今回、驩は初陣である。当時、君主も出軍することが多く、特に奇異ではない。驩自身も、戦争に対する恐怖よりも昂揚が多く、先軫の策を待ち望んでいたらしい。参内を聞いて、すっとんできた。

 驩が謁見の間で席についたとき、先軫他、卿らもぬかづいていた。諸事手早い先軫らしく、卿たちに伝令を走らせていたのである。

朝政ちょうせいの時でございませんが、君公に我が策をお許しいただきたく、参内いたしました。ご拝謁感謝いたします」

「良い、許す」

 父と違い、闊達かったつな声音で驩が言った。驩は重耳が狐邑こゆうに逃げる前に生まれたと思われ、この時期三十を超えたほどであろう。先軫は己の子ほどの君主に頼もしさを感じながら口を開いた。

「秦は行きと同じ道を無策に帰っているよし。あの者らを伐つにこうの地がよろしいでしょう」

 殽は地名でもあり、山の名でもある。はるか後年、天然の要害を利用して秦が要塞を作る。秦と晋の国境付近であった。その地を利用するは確かに良い。が。しかし。

先卿せんけい。山で守りを固め、帰る秦を伐つということですか?」

 胥臣しょしんが疑問を呈した。今から山を固めるに間に合うのか、という意味であった。先軫は軽く笑むと

「守る必要はない。山に追い込んで、殽に伏せた兵であとは叩くだけだ。ここは山に強い兵が良い。そこで我が君に願い申し上げる。このしんの策といたしまして晋に臣従したてきゆう姜戎きょうじゅうの兵を用いたい。あの邑は君公の手勢、お許しいただけるならば晋に負けは無い」

 驩が、勢いよく頷き、許す、すぐに差配しよう、口早に言った。

 ここで、今までも頻出していた狄、について軽く説明する。ごく簡易に言えば、周王朝が作った当時の文明に感化されていない人々を指す。遊牧民族に近い生活をしており、拠点の邑があったとしても定住の習慣はほとんどない。ゆえに、飢えると邑を襲う。農作物どころか農地まで破壊されるため、定住する農耕民族からすればたまったものではない。狄と中原ちゅうげんの国々は各所で延々と対立している。

 しかし、狄の中には晋と同盟を結んだり臣従するものもいる。たとえば文公の舅であった狐偃こえんを代表とする狐氏がその例である。この姜戎もそのような狄であると思われるが、氏族名などはわからない。ただ、きょうとあるため、姜姓の可能性はある。

「下軍で秦をおびき出し、中軍で山に追い立て、姜戎の兵とで挟撃をする」

 だいたいこのような策を上申し、先軫は猛禽のように目を光らせて笑う。秦は戦意を失い軍の体裁もなくただ帰国の道を急いでいるという。鼻っ柱を折って、驚いたところを殴り続けてやればよい。食糧や武器、出発の日時も全て決めていた。そのたびに驩がそれが良い、と目を輝かせる。初陣の青年君主にとって、先軫の口から出てくる一つ一つが心踊るものであった。父がもぎとった覇者という称号を守るためにも、この緒戦は負けられぬのだ。

「今、武器の数に関して先卿はおっしゃられたが、姜戎の矢は狩りのもの。急には足りぬ。我がらん家から提供したい。私は留守を預かる身。守りも充分な弓矢を必要とするが、安心して欲しい。存分にある」

 欒枝らんしの言葉に先軫がありがたい、と頭を下げた。もし欒枝が言い出さなければ先軫か趙衰が欒枝に話を持ちかけていたにちがいない。先に口を開いた方が恩が売れるというより、言われて出せば能無しに見えるだろう。欒枝はあてにされることは慣れており、察していただけである。

「我が君」

 趙衰が静かに口を開く。驩がなんだろう、という顔をした。表情が素直に出るのは性質か若いためか。おそらく双方であろう。

「私は中軍の佐として従軍しますが、武は不得手です。我がちょう氏は元々武に長けているものが多いですが、本来の趙主である兄はすでに死し、率いるものがおりませぬ。我が補佐として恵公に仕えたかん氏の主をお連れすることをお許し下さい」

 韓氏とは、郤、先と同時期に公族から臣に降った氏族である。晋公が誰であっても忠実に仕える性質の一族で、恵公に仕えた韓簡かんかんは権威にひるまず諫言する硬骨漢でもあった。しかし勢力は弱い。韓簡の子は、利を求めぬとしても一族の保護を趙氏に求めたのか、と欒枝は意外の念を持つ。

韓万かんまんの孫か。良いだろう。史官からも韓氏は武に巧みであると聞いている。中軍の働きがますます楽しみだ」

 驩は膝を打って許した。こうして、急遽開かれた軍議は終わり、晋は戦争という祭の準備で慌ただしくなる。

 さて。開戦の知らせと準備するようという命令の元、郤缺げきけつは兵を呼び寄せ待っていた。常は領地の邑で生活している兵たちは、首都・こうの外で幕を張り緊張の面持ちで待機している。他の氏族もそうであろう。その緊張は良い質のものであった。郤缺の命じるままに、戦場で駈ける姿が見えるようであった。だがしかし。

「準備は早い方が良いが、保てる時間が短いぞ」

 部屋で己の弓を調整しながら、郤缺は呟く。弓をあまり引き絞ると弦が切れる。一日程度なら待てるが、二日、三日はもたぬ。結局、翌日に下軍の使いがやってきて、出立準備を、と伝えてきた。

「どこで戦われる」

 使いに聞けば、殽、と返される。郤缺はおもしろい、と口角をあげた。殽は天然の要害であり、迎え撃つには良い場所である。逆にいえばあそこさえおさえておけば、秦に対して圧をかけられるという場所でもある。今はどちらのものともいえぬフワフワした地域であるが、この戦争ではっきりさせられるならいい機会でもある。

「先氏はなかなかに面白いらしい」

 ぽつりとつぶやくと、妻妾さいしょう戎服じゅうふくを持ってくるよう命じ、家宰かさいには家と嗣子ししの守りを命ずる。本来、主に何かがあったときに家を差配するのは嗣子であるが、郤克げきこくはまだ幼い。ゆえに、家宰が代理となる。だからこそ、家宰は氏族の柱の一つなのだ。

 郤缺は車右しゃゆうを従え馬車――いやここはもう戦車というべきか――に乗ると御者の肩を叩いた。御者は軽く頷き動き出す。この場にいるものそれぞれが違う立場で内乱を乗り切った。戦場は久しぶりであるが、初めてではない。御者は落ち着いた様子で馬を操っている。かの御の名人である趙氏の祖、造父ぞうほに遠く及ばないやもしれぬが、我が御者も悪くない。郤缺はそう思いながら、戦場へ向かっていった。

 この戦いのキモは秦に悟られないことと同時に、秦より先に殽にたどり着いていること、である。殽を先に取られれば戦うことを諦めて退くしかない。先軫は組織だった伝令をつくり、逐一報告させていた。絳から殽までは一日おいてたどり着く。野営の場で秦の方向に間違いないことを確認すると各軍に翌日の配置を伝えた。急襲であるため出鼻をくじく必要がある。最初に秦を襲う下軍の位置は重要であった。

 その下軍である。郤缺は胥臣に呼ばれ、作戦を開示された。

「先卿の差配に間違いは無いと思うが、私は武にそこまで長けていない。あなたも異論が無いか聞きたかった」

 野営用の幕の中である。敷布があっても、土から砂埃が舞うようであった。砂塵の風を幕でしのいでいるだけマシというものである。その中で、布に描かれた地図を広げ、胥臣が郤缺に見せた。このあたりだ、という場所は殽山こうざんの位置から見ても悪くはない。それでも郤缺はひっかかるところがあり、少し考える。

「……ああ、そこは最適ではないですね。下軍の位置はもう少しずらしたほうがよろしい。ここは湿地に近かった。足をとられる可能性がある。私はこのあたりが良いと思います。先卿の指示された場所は潜むに便利ですが、土が悪い。私が申し上げたところは潜むに最適とは言えませぬが、速さが生かせる」

 郤缺は地図上に置かれていたコマ代わりの石を動かし、秦軍への攻撃地点を変える。

「我ら下軍は大軍とは言えませぬ。もし手間取って、秦がこちらに全力を向ける隙を与えれば追い立てるどころか先に潰されます。言ってしまえば、驚かせて惑わせ、中軍に向かわせるが役目。この位置であれば土も乾いている。ところで、臼季。まぐさは余っておられるか」

「余っている。出立のとき、ここに置いていくつもりだったが」

 先軫の読みであれば数時間もかからぬ戦いである。胥臣は馬の餌はさすがに邪魔なものであると断じていた。郤缺が首を振る。

「お持ち下さい。車の後ろにつけましょう。我らが走れば砂塵が舞い上がる。数が倍に見えましょう」

 胥臣は郤缺の提案をのみ、先軫に連絡した。先軫は湿地! と舌打ちし、胥臣へ了承の返信をする。地形を見たものが中まで入らず判断したということである。手勢の甘さは先軫の手落ちであり、下手すれば敗戦にも繋がる。鍛え直さねばならない。それにしても、である。

「郤主とは一戦交えてみたかったものよ」

 先軫はからりと笑った。こういう男である。

 晋が牙を研いで待ち受けていることなど知らず、秦軍は気の逸るように帰路をかけていた。軍として愚かなことに、斥候を使い周囲を確認することを怠っている。秦は晋が喪中であるから出てくることはないと思っており、まず敵対することさえ考えていなかった。

「山が!」

 誰かが言った。殽の山が目の前に迫っていた。あの山を越えれば秦まであと一息である。数ヶ月の行軍に、皆、里心がついていた。ていへの遠征で何も得られなかった虚無が故郷への思いを加速させた。青々と繁る草木が見え始める大地を馬車は行き、兵は走った。

「もうすぐ秦だ、我が君にかつを伐ったとご報告できる、もう少しだ!」

 我らは敗軍では無いのだ、ということを言外に含め、秦の将が叫んだ。へとへとの兵たちは、それでもいじらしく雄叫びをあげた。

 と、同時に矢が降り注ぎ、雄叫びをあげた兵の一人は首に刺さり死ぬ。御者が慌てて馬を制しようとするが、ひたすら走っていたところに矢が刺されば暴れるしかない。

「晋か!」

 秦軍の斜め後ろから晋の下軍が迫っていた。この軍は喪服ではなく常の戎服である。郤缺は先軫が望む通りにするなら、壊乱させずに追い込まねばならぬと目を細める。狩り場の獲物を主人の場所へ追い込む猟犬が下軍である。

 砂煙がもうもうと立つ。秦軍はその勢いに大軍と見誤ったのはもちろん、視界も狭められた。郤缺はわざと緩い攻撃をしかけた。矢を射ても将には当てず、周囲の兵を少々削る程度である。しかし、兵に命じ向かってくる敵を追い立てさせ、己の戦車は接敵せずに圧力だけかける。その動きに呼応したのは氏であった。士氏は秦軍が攻めてきたら強く押し返し、逃げたら少し速さを緩めて誘うという動きまで見せる。郤缺は士会しかいか、と笑った。

 他の下軍の大夫も似たような動きを始めた。結果、秦は下軍に誘われるように向かってはつつき回され押し出され、山すそへと駈けていくこととなる。

「あっ」

 秦軍率いるは三人の将である。そのうちひとりが叫んだ。砂塵の先に、黒い軍が待っていた。

「秦公が使わして下さった援軍ではないか!?」

 これはひとりではない。秦軍の大夫が口々に言った。秦の任好じんこうは名君である。この事態を想定し、この山の要害で兵をしのばせてくださったのではないか。彼らは、後ろからしつこく追いかけてくる晋軍を引き離し合流しようと駈けていった。目の前の軍に秦の旗が全く掲げられていないという不自然さに気づかなかった。虚無と疲労、そして強襲により彼らの判断力は極めて低下していたのだ。

 互いの顔が見えるのではないか、というほどに近づいた時、目の前の味方が弓をつがえ、そして、矢が放たれた。――むろん、秦軍に。

 先軫はゆっくりと戦車を先頭へ動かしていく。矢が次々と放たれる中、落ち着いて馬を歩かせる先軫の御者の腕も高いといえた。

率爾そつじながら申し上げる。我が晋へのご来訪、行きに関してはご歓待できず失礼をつかまつった。お帰りのさいをお見かけ、我ら心より手厚くご対応いたす」

 戦線を開いてからいけしゃあしゃあと先軫が言い放ち、晋の旗を掲げた。中軍が秦軍を押し出すように旋回し、進路を狭めていく。中軍の佐、趙氏と韓氏の連合軍が山に追い立てるように突撃した。走る馬車から矢を正確に放ち、まず一人目の将の肩を射貫いたのは韓輿かんよである。趙衰が頼った韓氏の主である。

「お見事」

 趙衰は車右に守られながら思わず言った。彼自身は極めて武が不得手である。はっきり言えば運動音痴であり、名御者の血筋であるのにと嘆かれたものであった。これはもう適材適所というものがある、と言うしかない。趙衰としては欒枝と共に留守番をしたかったのであるが、先軫に睨まれ、仕方無くここにいる。韓輿は父に似て冷静沈着であり、戦場で眉一つ動かさぬ。将を逃そうとする御者を射殺し、車右は兵に引きずりおろさせた。そうして手際よく将を生け捕りにすると

「邪魔ですのであなたが預かっておいて下さい、ちょう子余しよ

 と押しつけて来た。秦将は矢で射貫かれたところをご丁寧に砕かれていた。これではうごけまい、と趙衰は韓輿の効率の良さに舌を巻く思いである。

「こ、の恩知らずの、沙中の虎狼がっ!」

 痛みと屈辱で呻く将に、趙衰はとりあえず、この場で失礼いたしますが、と秦と争うことになった互いの不幸と将の怪我を労る口上を述べた。――将はこの目の前の、慇懃な男をできるなら縊り殺してやりたかったろう。

 さて、秦人を生け捕りしつつ、晋軍は秦軍を殽に追い詰めた。山の中に逃げれば助かると兵は走り、戦車はむりやり分け入っていく。夏の盛りに近く生い茂った樹木は日の光を遮り、視界は暗くなる。そこに、木の上から矢が降り、半ば潰走していた秦軍は混乱のきわみとなった。むろん、姜戎の民である。その矢を合図にしたのか、草むらに隠れていた姜戎たちが飛び出し、銅剣で兵を薙ぎ斬っていく。強引に方向を変えようとした戦車は馬が足折れ倒れ動けず、そこに姜戎たちがむらがり獲物となった。もはや戦いというより狩りであった。

「将を全て捕らえたぞ!」

 先軫が叫んだ。韓輿が捕縛したものを含め、三名全て捕虜としたのである。晋は大勝利と言ってよい。その宣言を聞いた秦の兵や大夫の生き残りはへたりこんだ。もはや己らの命はここまでである、と呆けるしかない。

 中軍で参戦していた驩は、先軫に

「もう、見逃してやろうか」

 とささやいた。これ以上殺せば、相手の屈辱になるのではないか、という問いかけでもある。先軫は頷いた。

「将を獲りました。やる気のない兵に挑んで逆に窮鼠になられても困る。凱旋ですな」

 屈辱云々より、下手に損害が出ても困る、という意味であった。彼らも帰るに帰れないに違いない。鄭を手中にする君命くんめいが果たせず、将軍全てを生け捕られ、どう復命するか。祖国を前にして足を踏み入れるのも恐ろしい状況である。厳しい君主なら処刑もありえるのが古代というものである。それでも彼らは帰るであろう。死ぬなら己の地で死にたいと願うものは大勢いる。

 郤缺は、先軫の作戦が見事であったことを認めざるを得ない。

「今後の晋は武に偏るやもしれん」

 低い声でなされた呟きを聞いているのは御者と車右だけであった。二人は主が答えを求めているわけではないことを知っていたため、口を開くことはなかった。郤缺は少し目をつむる。君主となって初めての君命が戦争であり、そして大勝した。君主としてこの歓喜を抑えることができるものなどおらぬであろう。最初の成功体験が戦争である以上、晋公驩は武を貴ぶに違いなかった。

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