第22話 凱旋の喜び

 初陣で凱旋したかんの思いは万感につきたであろう。彼は文公ぶんこうが国から逃げるはめになったため、離れて育っていたと思われる。この若い君主の前半生は、はっきりとはわからない。母のあざな福姞ふくきつと伝えられており、字面を見るにきつ姓で福国の出身ということであろう。母の国に避難し、父の帰りを待っていたやもしれぬ。もし、文公が中途で果てていたなら出戻りの未亡人とその息子という、なんとも身の置き所の無い人生になっていた可能性もある。が、文公は戻り、覇者はしゃとして中原に威をとなえるという偉業を成し遂げた。息子としてはその背の大きさと受け継いだものの重さを感じていたに違いない。

 しかし、大国しんを打ち破り――万全の軍ではなかったが――新たな一歩を君主として踏み出した。

「私は父を越えることもできる」

 そんな言葉さえも脳裏によぎった。

 こうの戦は喪中のできごとであり、葬儀の途中でもあった。驩は軍をそのまま率い、曲沃きょくよくにて文公を葬った。冬に死去し、初夏であるから三ヶ月は葬儀が続いていることとなる。当時の人々にとって葬礼がいかに重要であったかわかるであろう。君主の墓となると盛り土の上にびょうともやしろともいえる建築物が立てられる。その墓の中心に樹を植えるのは前述した。驩はその廟でけいを率い、秦の三将軍を伴って報告もおこなった。いわんや、凱旋の儀でもある。

「父は喜んでおられるであろう。死したあとを我らに託したのだから」

 こうへ帰りがてら、中軍の将である先軫せんしんに語りかけた。驩の声は少し浮かれていた。もはや老臣ともいうべき先軫はその態度をたしなめることなく、

「ええ、堂々となさってください。君公くんこうは見事な初陣を飾られた」

 と豪快に笑った。驩の少々無邪気な軽々しさは、先軫によって止められ、全軍には行き渡っていない。あくまでも撤退は余裕をもちゆっくりと、警戒を怠ることなく、である。それが勝利の凱旋であっても帰り着くまでは気を抜いてはならぬ。それを徹底しつつ、楽しそうな驩の相手をこの男はしている。亡き狐偃こえんが見れば

「甘い」

 と眉をしかめたであろう。君主はここでこそ気を引き締めろと。が、先軫はそこは甘い。そして勝利に酔う君主というものを見るのは気持ち良いのだ。その勝利を奉ったのは己なのである。

 強い風と砂塵吹き荒れる中、絳に帰った晋軍は、ようやく緊張から解放され、勝利の雄叫びをあげた。捕縛した将たちはとりあえず宮の室に押し込め、君主と重臣は宮中で、氏族たちはそれぞれで祝杯をあげた。郤缺げきけつも兵をゆうへと解放し、絳の邸で家族とゆったり過ごしている。

 この時、驩は人生の絶頂を感じていたし、いやこれからもっとだ、と意気込んでいた。多く見積もっても三十路後半、低く見積もれば三十路に前半の彼はまだ若い。父と違って残された時間は充分にあった。

「まずは我が君にお祝い申し上げる。我がしんは秦との戦いで大敗を味わっております。あの時は恵公けいこうも捕虜の憂き目にあい、あわや君公のいない国になるところを、姉君である秦姫しんきのおとりなしでお戻りになられました。こたびは秦の将を全て生け捕りにしたとのこと、雪辱を大いに果たしていただき、我ら非才の臣といたしましてはお喜び申し上げると共に、感謝のきわみでございます」

 謁見の間で、留守をしていた欒枝らんし言祝ことほがれ驩は口はしが緩むのを必死に耐えた。あまりににやけた顔をであった陽処父ようしょほにそっと注意されたからである。威厳がない、と。ちなみに喪中に戦をしたのは父に非礼であると着替えても黒い喪服のままである。この驩の時から晋だけ喪服が黒となった。通常は染めていない白い麻衣である。今、喪服は子の驩だけであり、臣下は通常の礼服に戻っている。

「卿らを信じ、しんの策へ託したからこそこの度の勝利である。私はまだ君公として未熟である。我が臣たちの導きをこれからも頼みとしよう」

 驩は一息で明るく言った。謙譲は君主こそに求められるがため、この言葉は合格点であろう。陽処父が目の端で満足げに頷いていた。どこかゆったりとしていた文公に比べ、驩は諸事きびきびとして闊達である。

 ――少し軽い

 と、欒枝あたりは思っているが、そこは卿たちでいかようにも育て補うことはできるであろう。新しい晋の行く末は明るい、と思った者は多かった。

 が、驩はたしかに諸事行動が早かったが、早すぎた。

 ほんの数日後、朝政ちょうせいにはかることもなく独断で秦の将全員を解き放ってしまったのである。

 朝政で知らされた卿たちは、特に中軍の将であり正卿せいけいである先軫は茫然とした。簡単に勝ったように見えるが、そこは先軫の地道で緻密な下ごしらえがあってのことである。完勝とはいえ命を落とした晋人もいるのだ。あの人質たちは秦への重要な交渉に必要なものどもであった。

「おそれながら国を代表して申し上げる。我が君が秦の将たちに温情を示し解き放ったと伺いました。しかし、その重大事に関しまして我ら卿一同知らされておりません。議にもかけられなかったよし、願わくばご説明いただきたく存じます」

 先軫が怒気を抑え、ぬかずいた。胥臣しょしんは困惑を隠せず、欒枝も眉をひそめている。趙衰ちょうしだけが常のしずかな表情のままであった。側近の陽処父も戸惑った様子を隠さない。つまり、陽処父も初めて知ったということである。

義母上ははうえが請われたのだ。許し放してやった」

 こもごもと、驩が言い訳するように言った。先軫は目を見開いて息を吸い、怒りを抑えようと耐えた。胥臣が小さく、なんということだ、と呟く。欒枝も愚かだと呟きたかったが、自制する。

 義母、というのは文公の第一夫人である文嬴ぶんえいである。えい姓秦から嫁いだ娘で、文公の正妻であることからこのようなあざなが残っている。彼女は秦が文公を晋公にしてやった、という意味で矜持きょうじが高かったようで、もっといえば晋より秦に重きを置いている女性であったようだ。当時、先君の后妃が政治に口を出すことは珍しくない。諮問機関のようになっている后妃もいた。

 私室に帰る前に呼び出され、ついたての後ろからそっと覗かれ睨まれたとき、驩の背中に冷たい汗がおりていった。おとなしい生母の福姞にくらべ、この文嬴はうるさい。己がお前とお前の父を晋公にしてやったのだ、という態度をあらわにする。彼女も文公が生きていたときはここまでの強い押し出しは無かった。が、驩の妻も実は秦からの娘である。年齢を考えれば、姉妹である可能性は高い。その上、文公は文嬴以外にもう一人、秦の娘を押しつけられている。文嬴はその二人も含め、秦人として世話をせねばと思っているのであろう。つまり内室には秦の女が三人おり、驩の私生活に絡んでいた。

「あの三人の将こそが晋と秦の二君の間に不和を生じさせ争わせたのです。私の父が三人を手に入れたならば、食ってもあきたらぬものども。晋公であるあなたの手を煩わせ罰するに及ばぬ。秦に返し、私の父に存分に殺させればよろしい。敗軍の将など、見せしめに誅されるものです」

 とてもではないが驩をおもんぱかってとの声音ではなかった。ここで彼は、卿らにはかるべきであったが、思わず

「そういうものなのですか?」

 と、逆に問い返してしまった。彼は政治に関しては知識だけは詰め込まれているものの、経験が圧倒的に足りない。目の前にいるのは、あの父の、そう覇者文公の第一夫人であり、秦の任好じんこうがめあわせたからには才女であるのだ。驩は決めるのは早いが、熟考することになれていなかった。

「そういうものです。古くから敗軍の将は罰を受けるものです。いわんや、あのものらは父をたばかり軍をあげた不忠者ども。父も早く処刑しようと待っているでしょう。そうして、我が晋に感謝するにきまっています」

 詐欺としか言いようのない命乞いに驩は頷き、三人の将軍を解放してしまったのである。

 ――義母上が請われたのだ。許し放してやった

 この言葉には先代内室の圧による苦悩があったわけだが、先軫はそう思わなかった。文公には見られなかった柔弱を驩に見た。闊達も決断の早さも、考えなしの裏返しであったと己の見る目の無さにも腹立たしくなった。

「われら軍、大夫たいふ、兵が!」

 政堂に大音声だいおんじょうが響き渡る。驩がじた顔で先軫を見つめた。そこには怒りで髪がふくれあがったような男が真っ直ぐにらみつけてきている。敵を前にした虎のような目つきであった。

「我ら晋の軍が、力をつくし辛苦して戦場にて捕らえたものを、婦人の一言で許し秦へ返すとはなにごとです。軍のえものを放って敵の勢力を強めるというもの。これでは、この晋が亡びるのに手間はかかりませぬな!」

 奏上というよりもはや怒鳴りつけ、先軫は拝礼もせず立ち上がった。驩をねめつけると、そのまま床に唾を吐いた。驩の目の前で、驩に向かって唾を吐いたのである。若き君主は怒りよりも驚愕し茫然とする。陽処父や他の卿だけでなく、趙衰さえ目をむいた。大夫としてはもちろん、主君にたいしてありえない振る舞いである。

 先軫はそのままきびすを返して立ち去ってしまった。茫然とする一同の中、最初に我に返ったのはやはり趙衰であった。

「おそれながら申し上げます。このたび、正卿におかれましては極めて無礼かつ非常識な振る舞いをなされました。あの方の心に何やら良くないものが入り込んだのでしょう。戦功あれど君公に対した無礼は罰せねばなりませぬ。しかし、今は心をしずめ、あらためて正卿を呼び、ことの次第を問いただしてみてはいかがでしょうか」

 趙衰の波ひとつない静かな声に驩も気が落ち着いたらしく、そうしよう、と息をついて言う。今度は欒枝が口を開いた。

「先ほどの正卿の行いは見るにたえぬものでしたが、そのお話は次回でよろしいでしょう。秦の将三名はまだ河を渡っておりますまい。これはいかがなさる」

 先軫の無礼は驩の矜持を著しく傷つけたが、国としてはこちらが重要である。驩は、なぜ己は、せめて朝議にかけなかったのか、と悔いた。もっといえば、なぜ解き放てば良いとあの時考えたのかと自罰し腹の奥が冷たかった。

「河をわたり秦に入ればもう追いかけられません。このまま放つならそのままに、取り戻すなら今すぐ追いかけるべきです」

 胥臣が口早に言う。どちらにせよ、決定するのは驩なのだ。卿たちは今すぐにでも追いかけたいが、驩が『放つ』という君命をくだしてしまった以上、翻すのも驩になる。

「……っ、まだ間に合うかもしれん。処父しょほ、追ってもう一度捕らえてこい」

 驩が呻くように命じる。陽処父が、承りましてございます、と言ってさっと立ち去った。手勢をまとめて追うのであろう。――さて間に合うか。この場にいる全員が苦々しく思った。

 場が荒れ、通常の朝政はできぬと卿らが奏上し、驩を解放した。欒枝から見ても痛々しいくらい、驩は悄然しょうぜんとしていた。が、ある意味自業自得である、とこの古い貴族は思っている。

「あの君公をきたえなおすのは骨が折れるのではないか? ちょう子余しよ

 政堂を出た欒枝は、そっと小声で話しかける。そのわきを、胥臣が足早にかけていっていた。趙衰は欒枝をちらりと見ると

「己で学んでいかねばならぬことです。我らは支えるのみ」

 と静謐そのものの声で柔らかく返した。どこまでが本音か、もしかすると全てが本音なのかわからぬ顔であった。

「……我らがいつまで支えることができるか、わからんぞ」

 欒枝は呟き、ふり返る。その目の先には驩のいる宮の奥である。驩は公子として安穏な暮らしをしていたわけではない。己が晋の公子として認められるかもわからぬ心地であったろうし、下手をすれば暗殺されていたやもしれぬ。そのような心細い少年期を送っていたであろう。ゆえに、傅をつけるも遅かった。あの青年は国を背負う権利に飛びついたかもしれぬが、さらに重い覚悟が必要であることを教わらなかったのだろうか。

「当たり前です。ゆえに、我らはきちんと次代を見据えなければならぬし、だからこそあなたは郤主によけいな荷物をお渡ししているのでしょう? 欒伯らんぱく

 趙衰が振り向かずに答え、歩いていく。欒枝は小さく息をついたあと、同じように歩き出した。宮中の庭は初夏の瑞々しい葉が青々と生い茂っている。ふと、寒さが残る梅林を思い出した。あの時、この男の気持ち悪さ――得体が知れないというより、だ――を知ったわけだが、気づけば一言二言の雑談をする仲となっている。昵懇じっこんになる気はお互い無いのだが、何やら不思議な距離だと欒枝はなんとなく思った。

 さて。胥臣が駈けたのは先軫を見つけるためであった。宮の門から出ていないことをまず確認すると、勘に頼って探した。胥臣はどうも独特の勘があるらしく、農奴に身をやつしていた郤缺を見つけるなど、妙に鼻がきく。今回も、たいして時間もかからず先軫を見つけた。宮の、くすのきにもたれかかってうつむいていた。楠は祖霊や神霊が降りる樹とされており、これは宮の守りである。つまり、先軫は宮城のど真ん中の庭で自己厭悪に陥っていたのである。あからさまな自己顕示行為であるが、晋の祖霊に謝っていたのもあるのであろう。

先主せんしゅ。また謝りましょう。昔から公子こうしに散々無礼を働いては怒られて謝っていたあなただ。君公にも謝りましょう」

 まるで子供に諭すように話しかける胥臣に、先軫が少々拗ねた顔を向け、口を尖らせる。

臼季きゅうき、俺は。いやわたしだ、わたし。わたしは昔からこうだ。匹夫ひっぷと思わば笑え。しかし、我慢ならなかった。文公であれば、我らの労苦をわかってくださった、戦いを遊興と思っていたガキと見抜けなかった俺の失態だ。俺は、期待しすぎた」

「先主。言葉が戻ってない、匹夫のままだ。あなたは武に厳しい。そして相手にも己にも厳しい。文公の柔らかい手の中でこそ己の牙が身を食うこともなかった。もう文公は身罷みまかられたのです。甘えてはいけない。君公に謝辞しなさい。怖かったら私もまた一緒についていこう」

 胥臣の言葉に、先軫はしゃがみこんで顔を覆った。自己嫌悪もさながら恥ずかしさで耳まで赤い。先軫は根っからの戦争屋であり、血の気が多く、若くは喧嘩屋の側面があった。時折、文公にも迷惑をかけていた。謝れば許してくれる公子であったが、謝らねば絶対許さぬ主でもあった。胥臣が苦笑して詫びにつき合ってくれたことも、まあ、ある。

 ――下寿かじゅも近いというのに、子供は己だ

 君公に怒鳴った言葉に後悔は無い。しかし、その後の腹立ち紛れに起こした行動は、宰相としても元帥としても、貴族としても大人としても、そして晋公に仕える晋人の一人としても、まったくもって相応しくなく、さらに言えばいっそ死にたいと思った。本日はもう散会している。明日、朝政の時に謝り、いざとなれば自刃しよう。己は六十に近い、どうせ代わりのきく老臣だ。先軫はそう思うしかなかった。

 さて、君主や宰相を自己嫌悪に陥らせ、卿らが頭を抱えた秦の将三人の行方である。

 史書には陽処父が秦との国境線である河にせ追いついたという描写がある。将たちは、まさに、舟の上に乗っていた。日本の河川と違って広い黄河である。水の中に飛び込んで追いかける、などできようがない。陽処父は機転の利く男であったらしい。馬車の副馬を外し、叫んだ。

「我が君の思し召し、馬をそなたらに与えられる! 戻られよ!」

 捕虜を戻すときに手土産を渡すこと自体はめずらしいことではない。将となれば、馬を下賜かしして送りだすのもおかしくなかろう。

 もちろん、秦の三将は応じなかった。

晋君しんくんのお情けをもって我らを殺し勝利のにえにされず、秦に帰り死刑につけと仰せられることに感謝を。我が君の手討ちになることができましたら死しても名を残すことができます。もしも我が君のお情けで許されたならば、三年の後にその引出物を頂きましょう」

 将の一人が舟の中でうやうやしくぬかずき、見事な稽首の礼をして答えた。

 かくして、舟は秦へたどり着き、陽処父はむなしく帰り、君命なしえなかったことを告げるしかなかった。驩は己の愚かさにふさぎ、しばらく朝政をひかえると言い出した。秦との戦以外にたいした議はないとしても、とんでもない話であった。

 胥臣がちらりと気遣わしげに先軫を見る。君公のいない政堂で、先軫が痩せ犬のようにぎらついた目をしていた。驩はこの宰相を許すとも罰するとも言わず引っ込んでしまった。先軫は君公に謝ることも死んで詫びる機会も無く、まつりごとをせねばならぬ身となった。

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