第6話 ふと、いきなり昔を思い出した。
さて。
しかし、重耳初めとした晋そのものは、尊皇攘夷などどうでも良かったのではないか。晋は覇者になることによって、ようやく国人一心となったと言えた。人々は我らの君は名君よ、支えた方々は名臣よと讃え、内乱で罪無くして死した者たちを祀りもした。
「それでも、離散の芽が見える」
と重く考えていたのは
――本当に君が望んで、小国に辛くあたっているのか
欒枝が眉を
「我が重みを受け継げるのは彼しかあるまい」
欒枝は勝手に決めつけ、郤缺との対話を望んだ。
そして今、欒枝の言葉に耳を傾け続けている。己の分では無いと言い、しぶしぶといった様子を隠しはしなかったが、欒枝の『遺産』を受け取ることを拒もうとはしなかった。
つらつらと、欒枝がそのような思い出に浸っていると、下から手が伸びてきて、欒枝の頬をつねった。繋がったままの郤缺が、うんざりとした顔をしていた。
「出したのだから、離れて下さい」
精を放ち、興奮が冷めた途端に考え事をしてしまったらしいと、欒枝は気づき、すまぬすまぬと苦笑しながら離れた。離れた瞬間、郤缺は震えたが、快感などではない。体の反射であった。欒枝の手が郤缺の額から頬を撫でた。郤缺はぬるく汗ばんだ手の平を厭い首をふって避けた。欒枝が苦笑して体を起こすと、濡らして絞った布で郤缺の体を丁寧に拭いた。愛人にするよりは、赤子にでもするような手つきだと郤缺はいつも思う。
「やはり衰えておられるか。終わった後、先ほどの貴方はまるで阿呆のようでしたよ」
棘のある言葉を郤缺は放った。言い放ち、恥ずかしくなって片手で顔を隠す。これでは、その顔をじっと見ていたといわんばかりである。案の定、苦笑の気配が伝わってくる。
「そのとおり、もう年だからね。あと何年私は頑健であるかわからぬよ。いつか、こうして
「気持ち悪い」
「……抱くことも適わぬやもしれぬ」
郤缺の本気の拒絶に、欒枝は半笑いで言い換えた。首筋を拭き、そこから顔を拭き始めると郤缺が気持ちよさげな顔をする。
「しかし、我が君より先に
そっと郤缺の指が欒枝の唇を押さえた。
「
「褒めるか
欒枝が途方にくれた顔をして、布を床に投げだした。郤缺は言い過ぎたかと気づき、申し訳ございませぬと素直に謝った。
「いや謝ってほしいわけじゃなかったのだ。情人として甘えてこられるのも良し、賢き大夫の顔を見せるも良し。ただ同時にされると何やら身につまされる」
壮年の男の言いぐさと、肩をすくめる様子に、誰が甘えているのかと、郤缺は不快を隠さずに言った。今度は欒枝が、すまぬと素直に謝った。
「……不祥の言葉は口に出さぬことですよ、欒伯。我が父は、身が朽ち果てようとも恵公の忘れ形見をお護りすることを誓い、それが破れれば君公を死しても骨になろうとも弑いたてまつると申しました。父の最期をあなたはむろん知っておられる。私の父は
「その架け橋に汝がなるのだよ、
郤缺は首を振った。
「私はそのようなことが出来る身になれないでしょう。今、
欒枝が手を回すと言っていたが、とりあえずは未だ名ばかりの
「しかし、覚悟は決めておられる。私の庇護する氏族を貰い受ける覚悟をされ、私のまつりごとを聴き、国を憂い導く覚悟をしている。そのくらい、わかるよ、これでもおじさんだ、幾度も春秋をめぐり亡国を見て私はここにいる。つまりだ、おじさんはかわいい情人に期待しているから、おもいきり利用して、一切合財持っていっておくれ。汝が自在に動けるほどのものを」
最後に茶化した言いぐさで言葉を終えると、欒枝は郤缺の体に覆い被さり、胸に頭をうずめた。左胸に欒枝の耳が当たる。
「汝は生きている。良きこと」
郤缺は思わず欒枝の首筋に手を回した。とくとくと脈が感じられる。それは命の音である。
「あなたも生きている。――良いことだと私は思います」
そう言うと、郤缺は交わりや父の話や、そして欒枝の期待で一気に疲れがやってきて、目をつむった。確かに己は権勢を握れぬのだから、欒枝のように外から権勢を見る立場となり、せめて握っているものを使おうとは思っている。ただ、今の己はあまりに卑小であるのも確かであった。やる気があっても実が伴っていなければどうしようもない。
欒枝が与えるという。
それをうやうやしく受け取るほど、郤缺は恥知らずではない。施しなどもってのほかである。が、責務は負おう。欒枝が面倒にもかかえてしまった、浮き草のような氏族たちを守る責務は、とっくに貰い受けるつもりであった。晋を害した郤氏の主としても、晋を憂う大夫としても。そう考えながら、郤缺は意識を手放した。
その気配に気づき、欒枝が少し起き上がる。目が覚めぬようにそろりと郤缺の乱れた髪を軽く整えてやる。少し薄い色の髪であり、癖もなくさらりと冷たかった。
「汝ならできるのだ。しかし、すまぬな、郤主。汝が背負う理は本来無いのだ」
欒枝は少々湿った声で呟き、郤缺の隣にころりと寝転ぶと、睡魔にすうっと任せていった。郤缺の言う通り、この年になって男盛りのものと交わるのは少々、骨が折れるのだった。
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