第67話 永いお別れ

 郤缺げきけつ正卿せいけいとなったのは紀元前六〇六年となる。彼の治世はどうであったか。先に記してしまうが、極めて穏やかというべきものとなった。と言っても、東国問題はあり、しんとの軋轢はある。が、しんの歴史において、比較的穏やかで波乱の無い時代のひとつであった。

 だからといって停滞していたわけではない。

 まず、郤缺が正卿になったすぐあとの春、晋公しんこう黒臀こくとんが軍を率い、ていを伐った。晋公親征は襄公じょうこう以降十六年にわたり行っておらず、ようやく晋の威勢を示すことができたとも言えた。この時、介添えは郤缺ではなく、士会しかいである。趙盾のわがままにつき合って、戦略を調整せざるを得なかったこの天才は、北林ほくりんを越え鄭都ていとの間近、えんまで攻め入り圧力をかけた。諸侯一切集めず晋軍のみであったが、士会には関係ない。それどころか、あまりの速い攻略にの救援さえないほどであった。先年、晋がさいに城下のちかいをしたことはまだ新しい。鄭はあわててと和議を結んでいる。周でずっと過ごしていた黒臀は、もちろん戦争などわからぬから、全て士会にまかせている。鄭とのちかいさえ士会が行っているが、黒臀が士会に命じたのか、鄭を侮ったのか、史書ではわからない。ただ、ひとつ言えることがあった。

士季しきもようやく、として力を諸国に示した。感慨深いことだ」

 郤缺は少々浮かれた気分で笑んだ。留守を預かる身であるが、鄭攻めが失敗するなどつゆほどにも思っておらぬ。あえて言うなら士会がどのように勝つか、が楽しみであった。正卿としてより、武人としての興味が深い。

「士季が表に立っていたのは、その、河曲かきょくでの戦いでしたからね。あれには参りました」

 荀林父じゅんりんぽも少々はしゃいだ様子で微笑む。晋人ほど、士会の恐ろしさを知っているものはおらぬ。が、今まで士会は表に出ず、先達を立ててきたため、東国では名が知られていなかった。昔からその才を見ていた郤缺にしても荀林父にしても、ようやくか、となんとなく誇らしげな気持ちであった。本来、介添えは上軍の将の先縠せんこくとすべきであったが、年齢と実績を考え郤缺は士会を指名した。士会も、己は軽輩であると辞することはなかった。むろん、先縠への気配りは行っているが、優先順位は鄭を屈服させることである。二年の停滞に腹を据えかねていたのであろう。

 ところで、この鄭に関しては、再度楚が圧力をかけ、晋は幾度か救援に向かっている。鄭を中心に晋楚の緊張が高まっていったのも郤缺正卿の時期である。が、それが爆発するまでには至っていない。晋楚問題に関しては次代以降に持ち越されている。郤缺は内政を重視したのか、東国に関しては最低限の干渉しか行っていない。同盟から離れようとすれば伐ちにいくが、国内で政変が起きても、動こうともせず、放置している。

 例えば、鄭を傘下に収めた翌年である。鄭公ていこうが代替わりし、親楚派のが跡を継いだ。これはこれで面倒であったが、この夷は半年程度で弑された。極めてしょうもないことに、料理を与えられなかった臣が不快として、殺したのである。宰相の公孫帰生こうそんきせいは巻き込まれ脅され協力している。古代中国の記述はそのまま受け取ることができぬことも多く、この事件も、表層どおりと判じることは難しい。どちらにせよ、晋にとっては傘下の国君が弑された。趙盾ちょうとんの時代であれば、軍を率いて、形だけの問いを行ったであろう。内政干渉は行わぬと暗に伝えているものの、覇者の伝統として動かねばならぬ。しかし、郤缺は動かなかった。

「確かに文公以降、同盟国に政変あらば、覇者として解きほぐし裁いておりました。しかし、霊公の御世にはすでに有名無実、ただ我らは裁かぬを見せるために軍を出しており、知らぬものは覇者の威光に陰りを見たでしょう。このたびの鄭でのことは手を出さぬがよろしい。ひとつに、鄭は面従腹背にてふらふらする国です。今は我らが手綱をにぎっておりますが、下手に内政に干渉すれば再び楚に通ずるやもしれませぬ。あの場所は中原の要、手放すわけにはいきませぬ。次に、文公は晋にとって都合の良い臣や国君を配することを望む方でしたが、鄭の誰を据えても晋に絶対の誠意を見せるわけではない。そして最後ですが、我らも弑君を出しました。その手で他国の弑君の件をもう触れぬ。どの面下げて、となるでしょう」

 覇者として調停すべきではないか、と問うてきたのは君主である黒臀であった。黒臀の思考は少々古さがあり、周の法を前提に政治に向こうとする。が、それは理想郷であり現実に添っていない。しかし、現状では厳しいことを丁寧に諭せば、ゆっくりであるが理解して退く君主でもあった。以前であれば政治的無能者であると期待せず適度な距離をとろうとしたやもしれぬ。しかし、今は少しずつ育てようと親身になっていた。趙盾の霊公れいこうに対する拘りは行きすぎとしても、郤芮げきぜい恵公けいこうに尽くした思いも、狐偃こえんが文公に期待した思いも、同じようなものであろう。君主に最も近い臣としての責とも言えた。ともあれ、六卿りくけいは郤缺に賛成し、黒臀も上奏に頷いた。

 末席にいる趙盾は黙っている。この議は彼にとって二重の思いがあったであろう。ひとつに、趙盾は内政干渉を厭うていた、ということである。しかし、覇者としての看板が下ろせず、示威行動をくり返すことになった。無駄だ、と彼は以前から断じており、それをようやく終わらせたという感慨がまずあった。そしてその言い訳に霊公が使われる悲哀もある。が、趙盾は表情ひとつ変えず、賛同の拝礼をするだけであった。

 さて、陳が晋から離れ楚に身を寄せた翌年、趙盾が辞した。前述したが紀元前六〇三年である。六卿に穴が開くわけではないからと、春が過ぎたころに完全に辞職してしまった。

「成そうとしたこと、成すべきこと終えましたゆえ、拝辞いたします。みなさまがたには、長年お世話になりました。非才不徳の身なれど、正卿として、そして末席としてまつりごとに務めることできたは、六卿の方々の支えあってのことでした。卿は引退いたしますが、ちょう氏の長としては務めて参りますので、何かございましたらお声かけくださいませ」

 相変わらずの美しい儀礼、見事な稽首けいしゅで趙盾が拝辞の挨拶を行った。郤缺は見納めかと思うと、一抹の寂しさと肩の荷が下りた気持ちとなった。郤缺の政治人生の最初は欒枝らんしが傍にいたが、途中からずっと趙盾の面倒をみていたようなものである。荀林父がお元気でと、半泣きで返礼していた。荀林父も趙盾と長い。友愛に強い彼は郤缺以上に感極まっているようであった。郤缺もご健勝を、といった内容の返礼をした。妙に声音が湿気てしまったことに、己で苦笑した。

 朝政ちょうせいが終わり、帰ろうとする郤缺を趙盾が呼び止めた。政堂から外へと向かう廊下である。

「お声かけ失礼致します。私があなたとお話するも顔を合わせるも最後でしょう。……ここは人が歩くおおやけの道、場所を変えます」

 まるで己が正卿であるといわんばかりの態度で、趙盾が促してくる。ここで、あなたは末席、否、もうけいも辞められたでしょう、というのはいささか無粋である。郤缺はおとなしく従った。初夏の陽光は少々眩しかったが、春の強風が弱まったぶん、過ごしやすい。連れて行かれた梅林は、青々と葉がしげり、そろそろ実も大きくなっている。

「この時期、あまり人が通りませぬ。梅は初春が良いとみな思っておられる。私は実がなるこの時も悪くないと思う」

 趙盾がぽつりと言った。

「香りより実がお好きでしたな」

 いつかの問答を思い出しながら言えば、その通りです、と返された。それにしても何用か、と笑みを浮かべながら待つ。趙盾は言いよどむような男でなく、丁寧な儀礼をしたあと、

下寿かじゅになられた。おめでとうございます。私はげき氏ではないため、祝いの儀に参じるわけにもいきませんでしたが、あなたとも長いつきあいです、どうしても申し上げたかった」

 と静かに言祝ことほいだ。

「謹んで言祝ぎお受け致します。長く生きただけの私ですが若い方々に何かお伝えできればと思う次第です。趙孟はまだお若い。これからゆっくりされ、下寿だけでなく中寿ちゅうじゅを越えて頂きたいものです」

 郤缺は素直に返礼する。正月に下寿の儀はしている。氏族の長が六十才を迎えたのである、一族総出の祝いであった。さて、返礼を受けた趙盾は久しぶりに淡く笑んだ。この男は別段表情を抑えているわけではなく、出にくいだけであるため、素直に笑ったのであろう。それもすぐに、すっと平坦な表情へ戻り、再度口を開いた。

「郤主の言祝ぎ大変ありがたく嬉しいことなれど、私は下寿を迎えることございません。先日、血を吐きました。父のように腹部膨れておりませぬゆえ、同じ病ではないと思いますが、長くは無いでしょう。ぼくにて占ったところ、先はよろしくないとのことでした。それが私なのか趙氏なのかわかりませぬが、どちらにせよあなたとはながの別れになるかと思います。成すべきこと全て終わった後で助かりました」

 郤缺は驚愕するまえに、おかしみが生じ、次に苦笑が出た。己の最期さえも、議を上げる口調と態度なのである。趙盾らしい、と思えば思うほど、悲哀ではなく諧謔かいぎゃくを感じてしまったのだ。笑いを腹のうちにおさめ、郤缺は丁寧な礼をした。

「永のお別れ、名残惜しいものです。あなたはこの国のお役に立っておられた。それだけはまちがいない」

 趙盾が最も喜ぶ言葉を郤缺は本音で言った。趙盾が丁寧な返礼をする。

「あなたのお言葉を我が喜びと致します。それではさようなら、ごきげんよう」

 さて、郤缺の視点で動くこの話において、最も暴れ回った趙盾は、これにて出番を終える。知り合って二十年以上、郤缺は趙盾につきあっていたが、最後まで友人ではなかった。父性を以て趙盾を見たことはなく、趙盾もそれを求めていなかったであろう。面倒を見る先達とそれを尊敬する若輩であり、共犯者であり、息の合う上席と下席でもあり、政敵でもあった。こういった関係に具体的な言葉をむりやり当てはめても意味があるまい。

 趙盾は常の姿勢の良い歩きかたで去っていった。新緑の葉、柔らかな風の中、郤缺はその背を見送った。晴れた空にわた雲がふわふわと流れている。

「まさか趙孟に下寿を祝われるとは、青天の霹靂というものだ」

 郤缺は苦笑して呟いた。趙盾は理を優先し人を道具として見ていた。そのためか、私事に関してはガンとして立ち入らぬ。本来なら郤缺の下寿を祝うことはない。引退してようやく口にしたのだ。そのあたり不器用さは変わらない。趙盾が己の死を宣言していたが、彼がそうだというのだから、死ぬのであろう。初めて会ったときから、そういう男であった。郤缺はやはり諧謔を感じ、肩を震わせて静かに笑った。

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