第69話 無事是貴人
「来年、あらためて
冬の
「
士会の言葉は会盟だけではなく、郤缺の政策にも合致していた。白狄との和議がまず第一義である。また、郤缺は正卿に集まりすぎた権限を散らそうとしている。正卿以外が会盟を差配するのにちょうど良いころあいであった。趙盾が一手に集めていたのは、彼が独裁を好んでいたからというのもあるが、それを裁く能があったところもある。郤缺でさえ少々手に余るそれを、今、少しずつ分割している。たとえば、法制はすでに
「中軍の佐が出るのであれば、諸侯の手前、数が少々足りぬところ。上軍の将に支えて頂きたい」
配された
郤缺は、この年に胥克の職を解いた。史書には
次に下軍の佐となったのは
「意外なことだ」
久々に邸に来た士会がゆったりとした仕草で言った。そのような仕草でもどこか肉食獣を思い起こさせる男である。郤缺は苦菜を一口飲み、何が、と返す。
「
「まあ、しかし。才はほどほどといったところであろう。柔和であるがそれだけと私は見ている」
郤缺は少々辛辣な評価をくだしている。欒盾ほどではないが議に鈍い。彼一人で成しえることは少ないであろう。士会が、肩をすくめる。同じことを思っていたらしい。
「年を考えれば
士会の言葉に郤缺は首を振った。正卿である己が嗣子を六卿に入れれば、均衡が崩れるというものである。士会も本気で言ったわけではない。郤缺以上に権勢の均衡を見ている人間である。これが崩れれば、往年の騒乱に戻る可能性もあるのだ。
「我が君は才高いわけでは無いが、節度あるお方。大夫も民も安心して暮らしているのは、我が君の徳というものだ。私がそれを壊すわけにいかぬ。我が君はまだまだお若い。汝と変わらぬ。私はもう老年だ、いつ逝ってもおかしくはない。その後は汝が荀伯と支えて欲しい」
遺言めいたことを言う郤缺に士会が苦笑する。
「あんたはそうそう死なぬよ、一度生き恥をさらしたものはしぶとい。それにあんたがいなくなると野ウサギどのは泣く。
上寿は百才である。そこまでいけば、仙人であるな、とひとしきり笑うと郤缺はずっと言いたかったことを口にした。
「荀伯は野ウサギではなくリスであろう。リスのほうが合うと思わぬか、
士会はもちろん、強く反駁し、この日は延々と口論となった。このしょうもない議論は、当然ながら後に至るまで決着がついていない。
郤缺は、
波風を国内に立てない、が正卿郤缺の姿勢ともいえた。逆臣の子となり、父の仇に許され、乱を厭い晋を託されたこの男らしく、そして手堅い。
ところが、郤缺の目論見は少々破綻した。
晋公黒臀が、会盟の地で急死したのである。呼びつけても来ぬ陳を、予定調和のように攻めている最中であった。介添えの荀林父は知らせを受け、陳攻めを取りやめ、軍を退いてかけつけた。場所は鄭の
黒臀の諡号は成である。国を平らかにし、民に安定した世を与えたものに贈られる。この諡号を決めたのはもちろん六卿であろう。彼らは、こうであってほしかった、という願いもこめたのではないだろうか。黒臀の治世は確かに安定していたが、もっと生きて欲しかった、というのも大きかったに違いない。以降、成公と記す。
この成公の死に、思う所があったらしい。欒盾が致仕を願い出てきた。よくよく考えれば、郤缺と同じく最長老の卿である。さて欒盾を降ろすのであれば、趙朔を引き上げ欒盾の息子、
郤缺の不審に気づきながら、欒盾はしずしずと訴える。
「私は非才の身でありながら、親の余光で六卿の任をあずかり、その責を果たして参りました。霊公、成公と仕えましたが、お力になれたとは申せませぬ。
欒盾の必死の請願に郤缺は一瞬言葉を失った。この男が必死だったからではない。己も
「卿の嗣子を次に据えるが混乱が起きぬ。あなたの嗣子を一度見たが、とても頼もしい青年であった。下軍の佐としてお迎えしたい」
わざわざ使者をやり打診せねばならぬことが多い中、これは早い、と郤缺は思っていた。が、欒盾が首を振って否とする。郤缺は再び眉を顰めた。
「我が息子はいまだ若輩です。また、私は下軍の将であり、卿として高い格ではない。格の高い卿の嗣子、そして先達を押しのけることは、
君主おらぬ今、決めるのは正卿である。つまりは郤缺ということである。欒盾のくせに道理に適っている、と郤缺は口はしを引きつらせた。しかし、正卿が己の嗣子を卿に加えるのは権勢に酔っていると思われかねない。
「
郤缺の言葉に欒盾は引き下がらなかった。そうなれば、欒盾の引退そのものを引き留めたかったが、それも拒まれる。
「末席からよろしいでしょうか」
口を出したのは
「我が
先氏三名は家督争い、人事争いの結果である。
「わたしは郤孟と友誼を交わしているが、父の余光で六卿になった、などと言われるような男ではない。また、六卿と公族大夫の制度を考えればこの先似たようなことはあるであろう。そのたびに同族同家のものは使えぬ、となれば人事の要がくずれかねん。適材適所というものは、血族だから控える、他家であるから登用するというものではない。ただ適しているかどうかではかるもの。
と言った。郤缺は舌打ちを堪え、必死に笑みを浮かべ続けた。趙盾が完全に握っていた人事権を六卿に分けたがために、欒盾の主張を強権を以て否定できぬ。その上、趙朔がさらに畳みかけた。
「恐れ入りますが、言上つかまつります。郤孟は私より年が上、私は父の余光で下軍の佐を頂いております。戦場にも出たことのない若輩者、既に
道理に道理を重ねられ、郤缺は折れた。父としてではなく、正卿として
正卿として苦い顔をした郤缺であったが、父として郤克が政堂に入ることは密かに喜んだ。郤克に人事を告げた後、長々と訓戒を垂れたが、幼少のころ死にかけ不具となった子が、国政を担う卿になったことは、やはり感慨深く嬉しかった。さらに言えば、父に大声で自慢したいくらいであった。
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