第31話 長い夕暮れ

 結論から言う。かんは秋に死んだ。

 初夏に倒れた驩は元々罹患して長かったのであろう、みるみる衰弱していった。それでも朝政ちょうせいに挑み、ひとつひとつの議を応じ、決めていく。正卿せいけいである趙盾ちょうとんは容赦が無い。東国問題、内政問題、軍制にいたるまでしっかりと献策をしてきた。が、とうとう吐血するにいたり、ぬかづいていた趙盾もさすがに黙った。が、驩は果敢にも口を開いた。

「続けよ。秦に対してだ。前の戦でげんの城を伐ち秦を追い払ったが、いつぞやは目と鼻の先である王官の地まで攻められている。秦公が亡くなったとはいえ、あのものどもが我が晋を侵すは時間の問題であろう。一歩たりとも、秦をいれるな。そのためにも、こうに備えをつくり、河西かせい河曲かきょく河南かなんの砦を強化せよ」

 殽は晋秦間の要害と前述した。河は黄河のことであり、秦とは黄河沿いの競り合いが多い。防御に強い砦を造ると言うより、相互連絡する有機的なものを造れとも言う。このあたり、驩はやはり武に強いと言えた。吐いた血を布で拭うと、瀕死の君主は息をつく。目だけはぎらぎらと光っていた。それが天命に逆らうものではなく、消える寸前に燃え上がる最後の炎であることを、部屋にいるものは誰もが知っていた。

 朝政であるが、驩の私室でもある。枕元に正妻の穆嬴ぼくえいがぽろぽろ泣きながらはべっていた。秦公任好じんこう諡号しごう穆公ぼくこうの娘である。他は世話をする寺人と、卿や近臣である。闘病中、驩の私生活を示すものはこの妻しか存在していない。

 趙盾は主君が続けろと命じたことに忠実であった。咳き込み吐血をくり返す驩に奏上し、取り決めし、最後に

「お世継ぎをお決め下さい。我が君はもう長くありません」

 と無慈悲な通告をした。穆嬴が、ヒッと小さく悲鳴をあげ、生きて下さい、生きて下さい、と意味なくくり返し始める。驩は不快にも思わず、そうか、と返す。一年半ていど、この男と過ごしてきたのである。彼は無慈悲なことは言うが無情ではない。必要であることをまっすぐ言上するだけである。それが驩を冷静にさせていった。ゆえに、冷静に驩は口を開く。

「我が子、夷皋いこうを次の晋公にせよ。我が父の直系として、ふさわしい格である」

 小さな声を聞き漏らすまいと傍に寄っていた趙盾は、眉をかすかにひそめた。よわい八才の幼児である。覇者として東国を睨み、楚を牽制し、隣国秦と対峙しながら、襲い来るてきを払う。内はまだ税務が整わず、氏族の間にも不満が生じ始めている。――飾りの君主を置けるような余裕など、晋には無い。

君公くんこう! それはできませぬ! いずれ御子おこを公になさるとしても、今は難しい。外には成人した弟ぎみがたくさんおられます。特に秦に預けております公子ようは仁に篤く勇気あると評判です。一度、こちらの方をお呼びし、その次に御子を公にすえる手はずでいかがか!?」

 趙盾の真横で、近臣の陽処父ようしょほが怒鳴るように言った。さらに趙盾は眉を顰め、卿らは苦い顔をした。

「……どうも、陽子ようしは公子雍に目をつけたようだな」

 箕鄭きてい先都せんとに小声でそっと漏らす。

「我が君のと調子に乗っていたら、今のざまだ。早めに手を打っておいたのだろう、ちょう氏の走狗があさましい」

 心底軽蔑した声で先都が返す。その声は、陽処父や驩には届いていないが、近い場所の郤缺げきけつ荀林父じゅんりんぽなどの末席には聞こえた。荀林父が、悲しそうな顔をする。確かに驩はまつりごとに向かぬ性格をしていたが、秦と幾度も戦い勝利を収め、白狄はくてきを追い返した武に優れた君主である。その彼がいま、黄泉こうせんへと旅立とうとしている時に、いたわることなく己らのことしか考えぬ近臣やけいが悲しかった。先蔑せんべつも先都を睨み付けている。彼は政治に明るいわけではないが、勇を好む。このようなときにひそひそと陰口をたたく先都が同族であるのが忌々しい。

 郤缺はくちばしからピーチクパーチク出てくる雑音などどうでも良かった。問題は驩の言葉である。

率爾そつじながら正卿せいけい。末席でございますが、言上をお許しいただきたい」

 趙盾に向かって口を開くと、すぐさま

「許そう、郤主げきしゅ

 と静かな声で返ってきた。この男は、動揺を見せるということは無いらしい。郤缺はそれではと言葉を続ける。

「おそれながら正卿に申し上げまする。君公の御子は御年やっつ、ようやく傅の教えを受け始めたころでしょう。今、我らは外難と内難の双方を相手取り、我が君がいてさえも苦労しております。新たな君公が幼年であれば、他国は侮り、民は不安を覚えるでしょう。文公の御子、君公の弟御は、周都しゅうとちんしんの各国におられます。我が君はそれぞれの公子の長所短所を覚えておられるでしょう。どなたかこれという方をご推挙いただき、かつ、御子の行く末をご不安というのであれば、河の神、天に誓わせ証文を交わすこと、お取り次ぎ願いたい」

 取り次ぐも何も、目の前に驩はいる。が、郤缺は趙盾への発言を許されていても、君主への直言は許されてはいない。めんどうな茶番でもあった。

「我が君。郤主の言うこと、最もです。如何いかん?」

 趙盾は手短に聞いた。もう、驩はこときれると感じていたのであろう。驩は、頑固にも首を振り、趙盾の服に腕を伸ばし、しがみついた。

「いや、私の子は汝に託す、とん。我が子が覇者として立派に育ったなら私は汝に感謝し恩をきよう。もしつまらぬ者、暗君になれば私は汝を怨む」

 溢れる血そのままに、歯を赤く染めながら驩は脅迫めいた遺言をした。彼はわがままであったろう。しかし、もうひとつの真実を知っている。驩の父は、前公の息子を殺して戴冠している。他国に逃げたならともかく、本国で捨て置かれた公子に生きるすべが無いことを、驩は肌で知っていた。

 彼なりの、晋を安んじる方策であったのであろう。誰が君主であっても、国を回せ。そういうことである。

 が、卿らは戸惑った。幼少の君主をかかげた国は、たいがい終わりが良くない。郤缺は、驩の言うこともわからぬでもなかった。父は文公より恵公の息子である若年の壊公を選んだ。郤芮げきぜいはそれでも国を回す自信もあったろうし、何より仕えた君主の息子であった。今は乱が起きているわけではない。できぬことではないだろう、内国だけを見れば。しかし外を見るとき、幼弱さは仇でしかない。

「――私は、それは得策とは思えませぬ。しかし、君命であれば務めましょう」

 遺児を託すというものは、相手へ多大の責を背負わせると共に、最大の信頼の証でもある。それをぶつけられれば、趙盾もそう返すしかなかった。驩は少し不満げな顔をした。趙盾は頷いていない。それを一考する、と応じただけである。が、傍らの穆嬴は、己の子が君主になると内心ときめいた。彼女には政治の機微などわからぬ。後、これが不幸につながるが、今は据え置く。

「……あとは、卿らに託す。私は少し疲れた」

 その言葉を最後に、驩は息を引き取った。四十を超えたかどうかの年であったろう。幼い頃に父は旅立ち、母と二人で心細い少年期を過ごした。青年となり偉大な父に羞じぬよう努めた。勝利もあったが、掴めぬものもあり、取りこぼしたものもある。肌に合わぬ責務を徒労と言われてもやり続け、最後まで君主としてこき使われた。この男は父の影に隠れ、後世、見向きもされぬことが多い。失態も目立ってはいる。しかし、晋の激動期の最後として、父の残した宿題から逃げなかったことは、評価されるべきだと、筆者は思う。

 驩の諡号は襄公じょうこうであるため、以降、襄公と書く。襄公の哭礼こくれいであった陽処父が行い、みなで哭いた。礼もなくわあわあと泣く穆嬴に比べ、卿や近臣は義務的な哭礼であったといえる。否、荀林父が少々行きすぎたか、鼻水を垂らしてしゃくりあげていた。哭礼で、生きていないかと確認する作法も含め、淡々と行ったのは趙盾であった。趙衰ちょうしも感情が見えぬ男であったが、趙盾のわからなさは群を抜いている。――己だけでなく君公も道具か、と郤缺は苦笑するしかない。

ひんのこと、次代のこと、急ぎ決めねばならぬことは多いですが、本日はみな帰るよう。君公におかれましては、ご内室、御子との時間が必要です」

 散々それを奪ってきたのは趙盾であったが、みな頷いた。しずしずと卿や近臣が帰っていく中、荀林父が庭へと歩き出す。それをなんとなく見ていた郤缺と目が合い、荀林父は顔をくしゃくしゃとした笑みをみせた。

「帰っている間に泣き出しそうですので、庭で、たくさん泣く所存です。おはずかしい」

 郤缺は首を振った。

「人が死ねば、悲しいものです。まして君公です、恥ずかしいことなどございませんよ。宮にある秋の庭も良いものです。荀伯じゅんはくの心を穏やかにしてくださいますでしょう」

 荀林父は郤缺の優しい言葉に、ほっとした表情を見せ、歩き去っていった。郤缺は、襄公の死に対して悲しさが無いことに気づいた。恵公、文公、襄公と三代仕えたからか。それとも、人の死になれすぎたのか。いや、これは。

「私はかの公に情が無い。ついぞ、君公に期待することが無かった」

 己でも薄情であるとわかっている。誠意を以て仕え、職分のできる範囲で献策もしてきた。しかし、郤缺は襄公に何も期待していなかった。武が少しできるだけで、政治的無能者であると切り捨てており、それをどう支えて見栄えよくするか、が命題で、育つとも思っていなかった。実際、政治的勘を育てようがない。即断をやめろと先軫せんしんの時代から忠告されて、結局治らなかった。ゆえに、郤缺は繕うことは考えたが、期待はしなかった。

「荀伯は君公に期待されておられた、ゆえに惜しまれておられる。私に透徹は遠く、敬も無いようです、見込み違いですな欒伯らんぱく

 みな帰り誰もおらぬのだと、郤缺は回廊で冷笑とともに呟いた。が、目の端に何かがよぎった。寺人じじんか、余人か。別段聞かれても困ることではないが、恥ずかしさはある。未練がましく欒枝らんしに語りかける青さを己で露呈しているのである。言い訳はせぬが、誰か、くらいは見たかった。

 趙盾の後ろ姿が、庭に消えていった。荀林父とは違う方向である。無駄なくすぐに帰るのが彼である。数ヶ月前、郤缺を呼び止めたのが珍しかったのだ。郤缺は何やら胸が騒ぎ、そっと追いかけた。何をするかわからぬが、何をしでかすかわからぬのも趙盾である。

 姿勢正しく歩いていた趙盾は、ふと庭の隅で樹に向かい、幹に拳を叩きつけた。郤缺はすぐさま振り返り、立ち去ることにした。後ろから嗚咽が聞こえてくる。ガリガリと木の皮を削る音は、泣き崩れているからであろうし、そこからは嗚咽ではなく号泣であった。

 ――あれは人を好きすぎる

 趙衰がかつて言っていた。普段の趙盾を見れば、それは親の欲目ではないかと一笑に付すであろう。しかし、趙衰はそれを欠点として捉えていた。郤缺も、そう思わざるを得ない。あの男は人を好きすぎるが、同時に人を道具と見る。その自家撞着じかどうちゃくに気づいていない。彼は今、初めて襄公の死が悲しいと気づいたのだ。あれだけ死の臭いをまきちらされながら、受け止める準備さえしていなかったのだ。

「不器用な男だ」

 見なかったことにして、郤缺は歩き去って行く。男が一人で隠れ泣こうとしているのだ、きっと己の家でも泣けぬと思ったのであろう。そっとしてやりたかった。

 郤缺もそして隠れていた趙盾も想像しなかったことであるが。

 なんと、同じようにしくしく泣きながら、こっちはうろうろしていた荀林父が趙盾を見つけてしまった。ちょうど号泣していた趙盾は、話しかけられぽかんとし、すっと表情を無くして

「お見苦しいところを、」

 と礼儀正しく挨拶をしようとした。しかし、荀林父が

「私も君公が身罷みまかられ、とても悲しく泣いておりました。ましてや正卿は私より長く近く君公に仕えていたお方です、悲しいのは当たり前です、泣きましょう、礼から外れるやもしれませぬが、悲しいときは悲しいとしましょう」

 と半泣きで無邪気に言うものであるから、趙盾は荀林父の肩を借りて泣いた。荀林父は趙盾の恐ろしく危うい性質に気づいていなかった。それが幸いであったか不幸であったか。この時点では語れない。

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