第13話 愛情の行方

 強風が吹き荒れるのは初春で終わるわけではなく、初夏まで続く。黄砂が吹き荒れるこの国は砂の国といえる。元はとうと呼ばれていた。唐の字義じぎは『つきかためる』という意味であり、肥沃ではない土地を物語っているようである。この土地に封じられた周の王弟は『晋』と国に名付けた。黄河の支流晋水にちなんだものである。が、晋という文字はえき六十四卦において『坤下離上こんかりしょう』を示し、地上に明るさの出る象徴である。もし易により決めたのであれば、この黄砂に埋もれそうな国に明るさをもたらしたかったのであろうか。その明るさが陽光なら砂と日輪の国であり、星であれば砂と星宿でできた国となる。

 その光も黄砂でさえぎりりそうな初夏のころ、郤缺げきけつは久しぶりに自領で調練をしていた。あいかわらず、歩兵のみである。翌日にはこうへと旅立たねばならぬ。欒枝らんしに紹介したいものがいると書簡を送られてきていたのである。何度かのやりとりの上で、日にちを決めていたのだ。誰を、とは記載がなかった。紹介などとるにたらぬもので、会う口実なのやもしれぬ。

 そこまで考えて郤缺は苦笑した。肌を合わせて半年、最初はそうでもなかったが、徐々に頻度も増えていった。まるで本当に逢瀬のためだと己でも思ってしまうことがある。己は、あの貞節かつ沈毅重厚と言われながらも、素顔に甘ったれた茶目もある男に、どうも慣れ親しんでしまっているようであった。

郤主げきしゅ! どこかに井戸はあるか!」

 暇をもてあましている士会しかいが、郤缺の小領へ同行していた。もちろん、調練など参加していない。本来、他の氏族が触るようなものではないのだ。氏と郤缺の場合は少々特殊だっただけである。

 それはそれとして、である。士会が井戸はどこだとさけぶ。彼の腕の中には黄砂をまともにかぶったのか、郤克げきこくが目が痛いと泣いていた。

「こっちだ、士季しき。大丈夫かねこく、すぐ洗おうね」

 郤缺はかけより、井戸へと案内する。兵には模擬戦でもしていろ、と適当な指示をするのであるから、この男の嗣子に対する入れ込みようは強いと言って良い。はっきり言えば過保護というものである。士会が少々呆れながらも、井戸から水を汲み、郤克に顔を洗わせた。このようなとき、郤缺なら手ずから洗ってやったかもしれぬが、士会はそこは厳しい。郤克はしゃがみこみ、地面に置かれたたらいで必死に顔を洗った。すぐに洗って問題が無ければ良いが、時折、砂の病なのか目が腫れ、酷いときには失明する場合もあった。現代の我々ならなじみ深くなっている、いわゆるアレルギーである。

 郤克は幼児ながらも丁寧に洗い、顔を上げると、ぱちぱちと瞬きを何度もする。まだ違和感があるのか、手で目を擦ろうとしたこところを士会が制した。

「やめろ郤孟げきもう。きちんと洗え。なんじが将になったとき、汚い手で目を拭く兵を見過ごすような愚人ぐじんになるぞ」

 なかなかに大仰な士会の言葉であったが、幼い郤克は真剣な顔をして士会を見上げたあと、目を擦ることなくもう一度水で顔を洗っていた。その様子を郤缺はなんとなく、ぼんやりと見てしまっていたが、

「郤主。きれいな布を持ってきて貰えないか?」

 と士会に声をかけられ、ああ、と二つ返事で邸に向かった。

 どうも己の子のことになると、郤缺の調子は大いに狂う。野に潜んでいた時に、郤克は高熱で寝込んだことがある。何日もうなされ、頭が痛いと泣き、嘔吐までした。体中が痛いと訴え、妻と共に背中や手足をさすってやったが効果は無い。もし、大夫たいふのままであれば医者に診せることができたであろう。げき氏の力であれば君公くんこうに頼みこんで宮中付の医者を呼ぶこともできたやもしれぬ。しかし、恵公も公子ぎょも死に、郤氏はほとんど滅び散じ、郤缺はただの農夫であった。もはや祖霊に祈るしかなく、ただ郤克の生命力を信じるしか無かった。

 郤克は奇跡的に熱が引き回復したが、代わりに右目と下肢が不自由となった。六つにもならずに我が子は走ることもできなくなったのだ。それでも生きてくれているのだと郤缺は祖霊にも天にも感謝をした。死ぬよりは、生きている方がよほど良い。

 そのようなためか、また、郤克の不具のためか、郤缺は郤克に対して甘すぎるところがあった。どこか冷たい理を持っている己が、それを放り出すのが子供のことである。そこを、頻繁にやってくる士会がきゅっと締めていた。あの、稚気溢れる姿で弟が欲しかったなどと言ってきた若者は、本気で郤克の兄をするつもりらしい。厳しいが優しい、共に同じように遊び喜ぶこともある、目の行き届いた兄である。それが士会の一面なのか、それともそのような兄をしてみたかったのか、郤缺にはわからぬ。わからぬが、とりあえずは郤克の顔を拭く布を妻かしょうに持ってこさせなければならなかった。郤缺にはどこにあるのかさえ、さっぱりわからなかったからである。

 砂を浴びてぴいぴい泣いていた郤克であったが、顔を洗い気持ちが収まったのか、郤缺に対して得意げな顔を向けた。

「ちちうえ、克は弓が上手くなりました! 士季が教えてくれました!」

 はしゃぎながら、弓を引く仕草をする。くり返すが郤克は下肢が不自由である。本来なら弓を引く姿勢そのものも難しいであろう。が、士会が郤克の体の癖などをつぶさに見て、指を引く体勢を考えてくれたらしかった。郤缺は笑顔で郤克の頭を撫でると、小さな声で

「感謝に堪えぬ」

 と士会に言った。士会は首を振りやはり小声で返す。

「郤孟は根性がある。何度も努めていた」

 一度でできたわけでなく、なんどもバランスを崩しては転んでいたらしい。そのたびに士会は郤克の姿勢を調整してやっていた。

「わたしがやったのはその程度だ。弓を引いたのは郤孟だ、この子は諦めが悪い。それは良いことでもある」

 良いことだと士会が断言しなかったのは、郤芮げきぜいのことがあったからであろう。それを直截的には言わない男である。郤缺は、何度も弓を引く仕草をする息子を柔らかい目で見下ろしながら、もう一度、頭を撫でてやる。

 ――私の息子は、父に似ているかもしれない。

 知恵者であるが激烈であった郤芮の強さは怖さにも繋がる。諦めの悪さは良いことであるが、時には引かねばならぬこともある。

「郤主よ。暗い顔をするな。郤氏を率いる嗣子が弓を引けないことは郤孟も悔しかったろう。弱音を吐かずにがんばっておられた。きっと強弓こわゆみも手にする」

 最後の一言はお世辞かもしれぬ、と思いつつ、笑いかけてくる士会に郤缺も笑顔を返した。将来、馬車に乗り弓を引き将として兵に指示することさえできぬかもしれぬと思い、ただ過保護にしていた己こそ、息子と向かい合っていなかったのであろう。

「ところで、調練はいいのか、郤主」

 士会が調練場の方向へ軽く指さして言う。郤缺は、いい、いい、と軽く手を振った。

「私がいないと何もできないような育て方はしておらぬ。まして、怠ける者がおれば、他の者が斬って捨てている」

 少々物騒な笑みを浮かべながら郤缺は太陽を見た。その傾きを確認し、もう少し演習を続ける体力はあるだろうと判じる。

「我が息子の師に願いたい。私自身も、下の面倒ばかりで鈍っているだろう。見てくれぬか?」

 暗に、弓を競おうと言われていると士会が気づき、にやりと笑う。

「こちらこそご教示頂きたいほどだ、郤主」

 郤缺は、己と士会なら、きっと士会のほうが腕は上であろうとなんとなく思っている。しかし戦場ならどうか。そこはまだ互角であると思ってはいる。来年になれば戦場でも士会に勝てないであろう。加齢もあるが、才能の差であった。それはそれとして、この年下の男と弓を競うのは、何やら昂揚する。若い頃の春めいた気分が戻ってくるようでもある。

 的にいくつか当てた後、なぜか飛ぶ鳥を落とす状況となった。それを幼少の郤克が目を輝かせ見ている。士会が射れば喜び、郤缺が射ても喜ぶ。彼にとって双方とも英雄のようなものなのだ。

 結局、勝負は士会が勝った。疲れ始めたときの集中力の差であった。体力かと郤缺は軽く息をついたが、士会は武勇に秀でた郤缺に勝つとは幸運だったと笑っていた。揶揄しているというより本気のようであった。

「では次はその幸運無しで挑むがいい」

 郤缺が弓の弦を弾いて微笑すると

「むろん、次こそは実力で勝ってみせるゆえ」

 と、士会がニヤリと勝ち気な笑みを見せた。郤克は父が負けた悲しさより、士会が勝った喜びがまさったらしく、おれも、おれも、と空を射ようとしてすっころんだ。郤缺が思わず手を伸ばそうとすれば、士会が制する。郤克はなんでも無い顔をしてゆっくりと起き上がっていた。

「鳥を射るのはもっと弓を修練してからだ、郤孟。誰も一足飛びに何でもできはしない」

「士季でもか! 父上も!?」

 不思議そうな顔で見上げてくる子に、郤缺は優しく笑んだ。

「ああ。父も必死に研鑽して士季と互角に弓を競えた。一歩一歩進んでいったものだ。己を磨くことはとても大変なことだが、克はできるだろう? 父は知っているぞ」

 郤缺の言葉に郤克が頷いた。士会が少し肩をすくめていたが、その程度の無礼は許してやろう。そのくらい、心やすい仲となっていた。

「郤孟。今日の練習はもう終わりだ。着替えてお母上に報告するがいい。今日はたくさん鳥が食べられるとな」

 士会が少し屈んで言った。郤克は疑問も持たずに家の中に駈けてゆく。郤缺は不審さを隠さず、士会を見た。士会といえば、少し困ったような恥ずかしそうな顔をしており、おずおずと口を開いた。

「郤氏の調練を少し見させて貰いたい――という口実で、あんたにちょっと愚痴というか感傷と言うべきか、を聞いて貰いたいというのがある」

 郤缺に対しすっかりくだけている士会の口調は、少々乱暴である。元来がこうなのであろうが、儀礼を尽くすべき時は完璧にやってしまうのだから、切りかえが上手いとしか言いようが無い。それはともかく、士会の愚痴もしくは感傷とは何か。郤缺は士会を促し歩き出す。士会も頷き着いていった。調練場へ向かっていく。

「若者の悩みを聞くのはおじさんの特権だ。迷いあらば吐き出すのがいい」

 少しからかう口調で言えば、士会が小さく吹きだした。

「郤主、おやじくさい。年上の貫禄が消えているぞ。まあ、それはともかく、わたしが子供の頃の話だ。子犬を貰ってな。わたしは猟犬が欲しかったゆえ、一生懸命育てた。いつも共にいて、かわいがっていた。――かわいがりすぎた」

 士会が一旦口を閉じた。調練場から、かすかに兵がほこを打ち合う音が聞こえてくる。武器の音より、士会の沈黙のほうが重く感じられた。

「猟犬にはならなかった。ただの、愛されることしか知らぬものになっていた。わたしはやはり子供で、理不尽に犬に対して怒りがわいた。私は育てた犬と共に狩りがしたかったのだと腹が立ち、犬に向かって矢を放った」

 若者がため息をつく。それをすっと冷たく見ながら、郤缺はそれで、と続きを促す。

「犬は私が弓を目の前で、本当にすぐ目の前でつがえていると言うのに逃げもせず、わたしの愛情を疑いもせず嬉しそうに見ていた。私は射殺したあと、犬を抱えて泣き出した。結局、愛しくかわいかったのだ。愚かな子だと兄に呆れられ、犬は夕餉になったよ」

「何故、私にそれを言う?」

 郤缺は郤克と己のことを思い出しながら静かに言った。士会が自嘲の笑みを浮かべ、郤缺の顔をしかと見る。

「わたしは郤孟を弟のように思っているが、他者であるから厳しくもなれる。あんたは郤孟が体を使うことには過保護だとは思うが、礼や儀、大夫としての立ち振る舞いを教えるときは厳しいと聞いている。郤孟が居眠りなどしようものなら、容赦無く叩くとな」

「当然ではないか」

 郤缺はそのように育てられた。人に対する礼、そして敬を知ることこそが、まず人間性を作るということである。そう、史官に厳しく教えられていた。その史官がいないことはなかなかに負担であったが、郤缺は全力で郤克にそれを教えている。これを現代人の言葉で言えば、文明的な精神を叩き込んでいると言ってよい。そして、それこそが大夫――貴族の最も大切なことであった。

「わたしは末子だったからか、そこまでの厳しさは無かった。史官は兄につきっきりであったよ。ゆえに祖父の書簡などで独学が少々。いや、そこはいいんだ。わたしは郤主と郤孟を見ていて、己は子に何を与えられるのだろうと思ったまでだ。――他者なら切り離して見ることができる。しかし、身内には難しいやもしれん」

 歩いているうちに調練場に着いた。士会がおお、と眺める。歩兵ばかりであったが、戈の練度は高かった。これなら馬車から指揮官を引きずり下ろし捕獲することもできるであろうし、倒すことももちろんできるだろう。

「元々郤氏の手勢では無かったのだろう? 素晴らしいな」

 先ほどの沈んだ様子はころりと無くなり、士会が開放的な声で言った。郤缺も冷たさを消して、柔らかな笑みで頷く。

「さて、最後は私が指示してくる。見たかったら見るがいいよ、いつか役に立てば我が喜びだ。そして、士季。ひとつだけ忠告しよう」

 士会が、ん? と、身を乗り出すように郤缺の言葉を待つ。そのようなところに愛嬌があるのだと郤缺はくすりと笑いながら、

「子育て云々を言うのなら、まず嫁をとれ。家が士伯ばかり構って面倒を見て貰えないなら、自分で見繕ってこい。まあ、私は家が用意してきたがな」

 大夫の身分が己で見繕うなど、まずありえないことであり、つまりは家に素直に請えという話である。士会は、顔をさあっと紅潮させた。童貞でないのは空気でわかる。下女に手を出しているのか、好奇心で民の乱交に手を出したか知らぬ。しかし、嫁もしょうもいない。末子で養われている身として言いづらいのであろう。

「郤主……。あんたがそんな話にしてくるとは」

「士伯と私は縁ができた。私からそれとなく話をふってみよう。良い家はあきらめてくれ、私は小者だ」

「そしてわたしは無位無冠だからな」

 士会が明るく笑った。士会の感傷は癒えてもおらず、それどころか郤缺にもある種の染みを作ってしまった。しかし冗談なのか本気なのかはともかく、話は愉快な場所へ着地したのだ、少々の感傷や染みなどどうでもよかった。郤缺と士会の関係はそのような形に落ち着いている。言葉がくだけ、めんどくさい儀礼などなくても、本質的な礼と敬をお互い持っていた。

 余談であるが、結局士会は郤缺に頼った。他にアテが無かったからである。郤缺に指摘された士縠は確かに、とようやく気づいたようで、

「会の年を考えると早い方が良い。慣例から外れるが、今年の秋はどうだろう」

 とあまりに早い日程を用意してくる。第一、婚礼は本来、仲春と決まっているのだ。せっかちすぎた。もうすぐ司空しくうになる身である。弟が無位無冠領地の一つも無い独身というのは聞こえが悪いと考えたのであろう。大夫の彼は、士会に邑を一つ譲り体裁は整えた。

「身に釣り合った氏族の娘がおりましたら、是非に」

「心得ました。これでも年は重ねております。士季への嫁御を見つけて参りましょう」

 郤缺は欒枝から貰い受けている最中の縁を使い、士氏には相応しいが末子ゆえの格落ちになる娘をさっさと見繕って、士会に当てた。器量は十人並であったが気立ての良い娘であった。秋に婚姻し、少々新婚呆けになる士会であったが、それはすぐに終わる。その話は後述する。

 さらに余談である。周王朝盛りの時は男は三十、女は二十で結婚という決まりがあったらしいが、この時期になると崩れていると考えて良い。ちなみに、当時の婚姻は吉凶どちらかといえば凶事である。昏姻とも書き、親の死が近づいたという考え方である。そしてやはり吉事でもある。祖霊を祀る子孫が続くということなのだ。

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