父の仇に許された

はに丸

第一部

第1話 序章

「どうしてこんなことを」

 郤缺げきけつは乱れた衣服を握りしめ、喉奥から呻くように言った。このような床を這うような声など出すのは初めてである。郤缺は常に人に対して礼を以て接し、いっそ敬愛の念を抱くこともしばしばである。それを受けた相手は

「郤主は篤敬とっけいの人よ」

 と讃えることも多い。己としてはそれほどの者ではないと思うのだが、賛辞は好意である。郤缺は謹んで受け止めている。

 そのような郤缺であるにも関わらず、喉奥から怨毒えんどくを吐くような声音で

「どうしてこんなことを」

 と再び言った。同じ言葉をくり返しているのは、未だ混乱しているからであろう。

臼季きゅうきが私となんじが何やら策謀をしているのではと疑い始めていたのだ」

 欒枝らんしが頬杖をつきながら言う。郤缺が睨み付けると、いたずら子のような笑みを返してくる。あと数年もすれば、六十に手が届くであろう男の顔ではないと郤缺は口を歪ませた。その郤缺をいなすように、欒枝が手を伸ばして衣服ごしに膝を撫でた。思わず身じろぎをする。下半身の痺れはまだ収まっていない。

「あんまりその疑心の目がうるさいので、私は汝を囲っている、郤主は年はいっているが私の情人だと応えた。応えたからには、事実にしておいたほうが良い」

「そんな愚かなやりとりで、同意も無く! 既成事実を作ったのですか! いや、本当に、愚か、ありえない、嘘だ」

 郤缺は眩暈さえ感じて、突っ伏した。死にやがれこのオヤジとも思った。他人に対してこのような不快な感情をいだいたのは初めてである。

 この、ちまたでは沈毅貞節と言われるしんの重鎮欒枝に、郤缺は先ほどまで犯され、あげく喘いでいたのである。

 どうして、このような目にあっているのか。郤缺は突っ伏したまま目をつむった。さて、それに関してはこの二人が何故共にいるのか、史書には全く無いそれを語らねばならず、それは逆臣の息子であった郤缺が許されるところから始まる。

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