第24話「一緒に住もうよ」
2月の上旬、いつものように明日香のお見舞いに向かう。
コンコン、とノックをして、扉を開けると、いつもよりも1割増しの笑顔を引っ提げて明日香が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、佳音」
「うん。今日はやけに嬉しそうじゃん」
「そうなんだ~えへへ」
語尾に音符マークがついているようだった。
よほど嬉しいことでもあったのだろう。
こういう表情を見ているとこちらも嬉しくなる。
今までの仮面の笑顔とは違う、本物の喜びの雰囲気があるからだ。
おほん、と明日香はわざとらしい咳ばらいをする。
「実は、私の退院日が決まりましたー拍手!!!」
パチパチパチ、とセルフ効果音も加えつつ、明日香は拍手を自分に手向けた。
あたしはというと、まだ状況を飲み込めずにぱちくりとゆっくり瞬きをすることしかできなかった。
「……マジ?」
「マジです! と言っても、まだちゃんとした日程が決まったわけじゃないんだけどね。でも昨日先生が言ってたんだ。これなら退院の目処がつきそうだって」
えへへ、と笑うその表情に嘘偽りはない。
最近、こういう明るい顔が増えてきた。
心の方も少しずつ健康になっている証拠なのかもしれない。
真っ先に抱き着こうとする気持ちを抑え、あたしは丸椅子に腰かける。
「おめでとう。で、いつ頃になりそう?」
「えっとねえ、3月から4月になるかもって言ってた気がする。もしかしたら私の誕生日と重なるかも」
明日香の誕生日は3月18日だ。
あと1ヶ月と少し。
この期間は長いようで、あっという間だ。
病院に運ばれてきたときは身体中が管に繋がれ、痛々しい姿をしていたのに、よくここまで回復したものだ。
なんだか感慨深いものがある。
「じゃああたしが退院と誕生日祝いになにかプレゼントしてあげよう。何かほしいものでもある?」
「えー、別にないよー。もう大人なんだし、欲しいものは自分で買います」
「まあまあ堅いこと言わず」
うーん、と明日香は首を傾けたけれど、案の定彼女の口から欲しいものは出てこなかった。
昔から物欲が薄かった明日香だけれど、せっかくの機会だからショートケーキくらいは買ってあげよう。
これくらいは贈ってあげたいし、貰ってもバチは当たらない。
「それにしても今日は寒くない? 外めっちゃ寒かった」
「そうだね、大変だったでしょ? 曇ってるし」
「そうなんだよ。太陽全然出てこないし、風は強いし、あーさむ」
身体を震わせながら立ち上がり、はい、と紙コップに注いだ緑茶を明日香に手渡した。
さっき近くの自販機で買ったばかいからまだぽっかぽかだ。
その証拠に、コップから白い湯気がもやもやと立っている。
「ありがとう佳音」
「どういたしまして」
ゴクリ、と緑茶を飲んだ。
美味い。
こんな寒い日はあったかい飲み物が身体に染みる。
「なんかさ、こうやって佳音と二人でいる時間がずっと続けばいいのにね」
えへへ、とはにかみながら明日香はちびちびと緑茶を飲む。
頬がほんのりと紅潮しているように見えた。
恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。
しかし言われた方はもっと恥ずかしい。
かあっと体温が上昇していくのが伝わってくる。
だから思考がトチ狂ってしまったのかもしれない。
「……じゃあ、一緒に住もうよ」
その言葉を口にしたと認識した瞬間、今度は一気に体温が冷めていくのが分かった。
冷や汗がダラダラと吹き出してくる。
何を口走ってんだ、あたしは。
誤魔化すように緑茶を飲み干した。
グビッと、飲み物を喉の奥へと押しやる。
「ごめん今のなし、忘れて」
この時ほど早口で喋ったことはないだろう。
冷や汗の次は身体が火照り出した。
頬が焼けるくらいに熱くなっていく。
心臓もばくばくと激しく脈打っているのがわかった。
茶化されるんだろうな、と覚悟したけれど、返ってきたのは意外な言葉だった。
「いいよ」
「…………へ?」
「私、佳音と一緒に住みたい」
目の前の明日香は優しく微笑んでいた。
予想外の言葉に、頭をハンマーで殴られたような衝撃が襲いかかってきた。
「……いいの? あたしで」
「うん。佳音だからいい」
いいのかな、と頭の中でグルグル思考が巡る。
あたしだって、ずっと明日香と一緒にいたい。
明日香のことを支えていきたい。
だけど…………。
「……ごめん、言い出しっぺが言うのもあれだけど、ちょっと即答できないわ。だからしばらく考えさせて」
「うん、わかった」
今日は帰る、と言ってあたしは病室を出た。
入れ違いで明日香のご両親がやってくる。
雄一郎さんは優しい笑みでペコリと会釈してくれたけど、弥栄子さんは相変わらず冷たい態度を向けていた。
今の話聞かれてないよな、と内心びくつきながら、あたしは会釈を返し、明日香の病室を後にする。
同居、か。
実家にいた時は妹と母がいたけど、家族以外の人間と一緒に生活するのは想像するだけで新鮮だ。
なんだかんだ楽しいんだろうな、と思い始めてきたが、よくよく考えるとうちの住んでいる4畳半に到底もう1人が住める空間はない。
思い返せば思い返すほど、自分の言動の軽さを恨んだ。
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