第17話「壊れた心」
「そっか、それは大変だったね」
「うん。もう軽く修羅場。おかげでストレスMAX」
年の瀬も近くなってきたけれど、相変わらずあたしは明日香の元へ通った。
何気ない会話を繰り返すだけで、未だに明日香の奥底に触れられずにいる。
なんだか明日香の未知なる領域に踏み込んでしまいそうで怖かった。
明日香は普段通り元気そうな笑顔を向けてくれる。
それが果たして本物なのか偽物なのか、ますます疑わしい。
いや、ほぼ作り物であると言う事は間違いないのだけれど、まだ心のどこかで明日香を信じてあげたいという気持ちがあった。
「怪我の具合はどう?」
「バッチリ。順調に回復してるって先生も言ってた。でもまだリハビリもあるから、退院は早くても来年の3月からになるかもだって」
「それはよかった」
淡白な返事を返す。
退院の目処が立ったのは嬉しいことだけど、きっと明日香はまた無理をする。
もしくはまた自ら命を絶とうとする。
せっかくこうやって命が繋がったのに、根本的な問題が何も解決できていなければ意味がない。
ホッとする気持ちよりも、今後の焦りの方が大きかった。
その感情が顔に出てしまっていたのか、明日香はきょとんとした目でこちらを覗き込んだ。
「佳音、最近元気なさそうだけど、ちゃんと食べてる?」
「え? ああ、うん。食べてるよ」
誰のせいでこうなっているんだ、とは流石に言えなかった。
このところストレスのせいでまともに食事が喉を通らないし、いくら寝ても疲労感が拭えない。
単純な疲れもあるけれど、間違いなく明日香が自殺未遂をしてからこうなってしまっている。
まあ、おそらくこんなことを言ってしまったら間違いなく険悪な関係になってしまうから口が裂けても絶対に言えないけれど。
「明日香の方こそちゃんと食べてるの? 少し瘦せたように見えるけど」
「ホント? 痩せてる? 嬉しいなあ」
「いや、明日香の場合はもっと太った方がいいよ」
「えー、本当?」
わざとらしく明日香は答える。
会話だけを切り取ると今まで通りのあたしたちなのだけど、あたしと明日香との間には明らかな溝が生まれていた。
クレバスのような深い溝。
一目見ただけではわからないけれど、一歩踏み込んでしまったら最期、そこに落ちてしまったら二度と命の保証はない。
そんな畏怖を植え付けさせる。
「もう年末だね。なんだか実感ないや」
窓を見ながら明日香が呟く。
そうだね、と答えたけれど、今はそれどころではない。
ざわつく心を隠し、いつものように「またね」と挨拶をして病室を出た。
明日香からの返事はなかった。
1階のエントランスに戻ると、明日香のご両親が見えた。
挨拶をしておくべきだろうか、と声をかけようとしたけれど、すぐに担当医と一緒にどこかに行ってしまった。
行き先は明日香の病室……ではない。
胸の奥がざわざわする。
両親の表情から察するに、いい報告ではないと言う事だけはわかった。
こっそり後をつけてみると、2人は担当医に促されて小さな会議室のような部屋へと入っていった。
鍵が閉められこれ以上中には行けなかったけれど、会話はかろうじて聞こえる。
秘匿性とは、と少し疑問に思うけれど、今は何を話しているのか集中しよう。
きっと、明日香のことだから。
案の定、担当医は明日香のことについて話し出す。
けれどそれは身体の治りがどうこう、という目に見える問題ではなかった。
「明日香さんは、何かしらの精神疾患を患っている可能性があります」
担当医が口にした瞬間、沈黙が部屋を貫く。
精神疾患。
そう聞いて少し混乱してしまったけれど、目が覚めてからの明日香を思い返すと何ら不思議なことではない。
現状の症状としては食欲不振と睡眠不足が目立っていて、中でも深刻なのは意欲低下らしい。
誰もお見舞いに来ない時は口角ひとつ上げず、ただ虚空を眺めているだけだそうだ。
やっぱりあの笑顔は仮面だったのか。
妙に納得してしまう。
先生は話を続けた。
「精神科の先生にお越し頂いて診てもらいました。曰く、彼女の笑顔は一種の防衛反応に近いそうです。どういう風に上手く感情を表現していいのかわからない。ゆえに笑ってその場を取り繕っている、と」
それもなんだか明日香らしいな、と腑に落ちる。
元々ストレスや感情を表に出すような人間ではなかった さらになんでも卒なくこなしてしまう才能の持ち主ゆえに、周囲から過度な期待を背負い続けてきた。
それは両親からの愛情も、あたしの羨望もそうだと思う。
常に完璧を求められ、それに応えるために完璧を演じ、また高いハードルの完璧を要求される……知らず知らずのうちに精神を病んでしまい、結果壊れてしまった。
あたしたちのせいで。
「今は、とにかく明日香さんに寄り添ってあげてください。決して彼女のことはもちろん、彼女の発言を否定しないように」
「そうですか……」
2人は言葉を詰まらせる。
不思議とあたしはご両親ほどショックを受けていなかった。
むしろいろいろ納得した部分が多かった。
これ以上ここにいては迷惑だろう。
それに見つかったら面倒臭いことになる。
あたしは聞き耳を立てるのをやめ、病院を後にした。
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