第45話「ハグの時間」

 検査入院も無事に終わり、病院を出ると早速明日香が迎えに来てくれた。


「元気そうでよかった」

「元気だよ。どこも異常なかったし。帰ったら一緒にご飯作ろ」

「いいね。何食べたい?」

「えーっとね……」


 こんな不毛な会話も久しぶりだ。

 無駄話をしながらあたしたちは家路につく。


「私、思ったんだ。一緒に住むにはルールを決めた方がいいって」

「ルール?」

「そう。1日1回ハグの時間」


 なんだか身構えて損した。

 てっきり部屋の住み分けとか、家事の分担の徹底とか、そういうものだとばかり思っていたから。


 話を聞く限り、どうやらハグをしてお互いのストレスを解消しよう、という狙いがあるらしい。

 これまで2度試したけれど確かに効果は抜群だ。

 少し恥ずかしい気持ちもあるけれど、これで幸せになれるならそれでいい。


「わかった、いいよ」

「やった」


 なんて話しているうちにアパートまで戻ってきた。

 たった1日離れただけなのに少し懐かしさを感じる。


 明日香がドアを開けるといきなりぐっと両手を差し出してきた。


「ほら」


 早速やるようだ。

 パタン、と玄関の扉が閉まると同時にあたしは彼女に抱き着いた。

 柔らかい匂い、体温、ぬくもりがあたしを包み込んでくる。


「うん、やっぱり幸せ」

「あたしも」


 たった数10秒の出来事出たけど、それはそれはとてつもないほどの安心感と多幸感で満たされていた。

 明日香から離れる時、「もっと傍にいたい」と思ってしまうほどに。


 時計を見るともうすぐ12時を指し示そうとしていた。

 今日のお昼はオムライスにするらしい。

 エプロン姿で台所に立つ明日香の隣で、あたしも料理の準備を始めた。

 明日香ほどの腕はないが、多少は自炊をしてきた経験がある。

 オムライスを作るのは初めてだけど。


 米を炊き、その間に玉ねぎをみじん切りにしたりポークウインナーを切ったりしながら、準備を進めていった。

 明日香の包丁さばきはまさにプロの技だ。

 あたしはというとただ卵をかき交ぜているだけだったので本当にいる意味はあったのかと自問自答したくなる。


 ものの30分近くでオムライスが完成した。

 味はもちろん美味しいのは食べなくてもわかっているが、見た目も綺麗だ。

 お店で出したら看板メニューになること間違いないだろう。


「いただきます」


 声を揃えてこんなことを言うと、なんだか幼少期に戻ったような気分になる。

 少しこそばゆく、でも微笑ましい。


「前にさ、明日香、働きたいって言ってたじゃん」

「うん、言ってたね」


 明日香はスプーンを止めることなく会話を続ける。

 あたしはもう緊張で声が少し上ずっていた。

 地雷に片足を突っ込むようなものだ。

 緊張どころの話ではない。


「あれ、先生と相談して、大丈夫そうって判断が出たら働いてもらいたいなって」

「いいの?」


 彼女のスプーンを持つ手が止まる。

 鳩が豆鉄砲を食ったようとはまさにこのことで、明日香は目を丸くしてあたしを見つめた。


「う、うん。その方が、家計的にも助かるかなって。あたし働きすぎて無理しちゃって、もうこんなこと起きないようにって思ったら、やっぱり明日香に働いてもらうのがいいのかなって」


 これ以上明日香に迷惑はかけられない。

 だったら、無理のない範囲で明日香を頼るしかない。

 病院で一日頭を冷やした結果生まれた答えだった。


 ありがとう、と明日香はさっきよりも2倍くらいの速さでスプーンを動かしていた。

 美味しそうに食べる彼女を愛おしく思う。

 この笑顔をいつまでも守り続けていきたい。


「でも、最初は少しずつだからね。無理はしないで」

「わかってますって。もう、心配性だな」

「そりゃするよ。明日香のこと、大事なんだもん……」


 言ってみて恥ずかしくなったので誤魔化すようにオムライスをかき込んだ。

 卵がふわふわしていて、それがチキンライスとマッチしていて美味しい。

 チキン代わりにウインナーを使っているので厳密には違うけれど。


 けれど今は味を堪能する余裕なんかなかった。

 気まずさとは別の沈黙が流れる。

 カチ、カチ、という秒針の音しか聞こえない。


「…………そんなこと言われると、照れるね」


 明日香はにやけながらスプーンを皿の上に置くと、


「私も、佳音のこと大事に思ってるよ」


 と少し顔を赤らめながら呟いた。

 それがまた恥ずかしくてたまらない。

 多分今のあたしの顔はチキンライスのケチャップよりも深紅の色に染まっているだろう。


「そういえばさ、あの時なんて言おうとしてたの?」

「あの時?」

「ほら、働きたいって言った時、『だけど』って」

「言ったかなあ」


 とぼけた様子だったけれど、本当に覚えてないみたいだった。

 あれからすこし胸に引っかかっていたから解決できればと思っていたのに。


 明日香はクスリと微笑む。


「多分、もう頼られてばっかりの私じゃない、とか言いたかったんじゃないかな」

「あー、言ってそうだね」


 ならいっぱい頼られるように、あたしも明日香を頼らないとな。

 なんてことを考えながら、あたしはオムライスをまた口に運んだ。

 明日香が今まで作ってくれた料理の中で一番美味しかった。

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