第46話「思い出の曲」

『それで、いい加減答えを聞かせてほしいんだが?』


 電話越しに聞こえた母さんの声は、ほんの少しだけ苛立っているように聞こえた。

 多分あたしが答えを先送りにし続けたからだろう。

 だからこうして母さんに電話をかけたているのだけれど。


「決めたよ。あたし、明日香と一緒に歌う」

『そっか。それを聞いて安心した。ならそのようにエントリーしておくよ。あ、明日香ちゃんと代われるかな』


 母さんにそう言われ、あたしは明日香と電話を交代した。

 明日香は母さんと仲睦まじそうに話す。

 時に声を上げて笑ったり、時に顔を赤く染めたり、いろいろ表情を変化させながら電話をするその姿は、見ていてとても安心感を与える。

 だって、こんな明るい表情は、きっと病院にいた頃だと絶対できなかったから。


 はい、と明日香はあたしのスマホを手渡してきた。

 母さんとの通話を十分堪能したのは傍から見ても明らかだ。


『明日香ちゃん、元気そうじゃないか。安心したよ』

「まあね。あたしもホッとしてる。そろそろ社会復帰もできそう』

『社会復帰かあ。そこからはまた大変だと思うが、頑張れよ』

「わかってる。必ず明日香のことを支えるから。あと、オファーありがと」


 本当に母さんには感謝してもしきれないくらいだ。

 ずっと女手一つであたしと涼葉を育ててくれて、あたしの夢を応援してくれて、あたしと明日香のことを気にかけてくれて。

 将来は、母さんみたいな人になりたいな。


 じゃあね、と母さんは電話を切った。

 涙を堪え、よし、と両頬を叩く。


 今から曲目の作戦会議だ。

 母さんから提示された条件はただ一つ。

 MC含めて10分のステージをこなす、ただそれだけ。

 曲目は枠に収まるのなら何曲でもいいし、オリジナル曲でもカバー曲でもいい。


「で、何の曲やりたい?」

「高1の時文化祭でやったやつ」

「文化祭? ああ、あれか……」


 明日香が挙げたのは、あたしたちが初めて作ったオリジナル曲だ。

 昨日のことのように、文化祭でのステージからの光景が鮮明に蘇ってくる。

 眩しいスポットライトを浴び、ギターをかき鳴らして思いの丈をぶつけたあの日、あの時の熱気は今でも忘れられない。


「懐かしいね。初めて作った曲だから、思い入れあるよ。それが、選んだ理由?」

「それもなんだけど、私が病室で眠っている時、歌が聞こえたんだ。佳音の優しい歌声。それが、この曲だった」


 ああ、とあのクリスマスの奇跡を思い出す。

 耳は聞こえているはずだから、何か言葉をかけてやれ、という担当医の言葉を基にやっていたあの行為、やっぱり無駄じゃなかったんだ。

 途端に嬉しさが込み上げて、涙がポロポロと流れ出てくる。


 思えば昔からこうだった。

 文化祭のライブでも、一番盛り上がったのはいつもこの曲で、その声援があたしたちに力をくれた。

 それは歳を取っても変わらなくて、あたしたちに勇気と唯一無二の絆を作ってくれた。


「よし、やろう!」

「うん!」


 そうと決まればまずは明日香のリハビリからだ。

 明日香は自室に戻り、ケースに眠ったままのギターを呼び起こす。

 引っ越しの際に持ってきたはいいものの、結局触らずに毎日を過ごしていたから、ちゃんと使う機会ができて良かった。


「懐かしいなあ、この感じ」


 ピン、と明日香は6弦を弾く。

 そのたった一音を噛みしめるように、明日香は目を瞑る。

 きっと瞼の裏にはこの楽器とのいろんな思い出が流れていることだろう。


 初めのうちは数年ぶりに楽器を手にしたということもあり、なかなか思うようにギターを鳴らせなかったが、少し触ればすっかり感覚を取り戻していた。

 プロの腕前、と言うほどではないけれど、やっぱりそれなりにこなせている。


「なんか、高校生の頃を思い出すね」


 ニッ、と笑う彼女の姿が高校時代の明日香と重なる。

 明日香は音楽に対して、いつも純粋だった。

 純粋でまっすぐで、時々あたしとぶつかることもあった。

 どう弾いたらいいか、どう歌ったらいいか、たくさん喧嘩もしたけれど、全部いい思い出だ。


「楽譜、必要?」

「ううん、大丈夫。何となく覚えているから」

「じゃあ、1回通しでやってみよっか」


 ワン、ツー、スリー、とカウントを入れ、あたしたちは歌った。

 技量も技法も何も気にせずにアコギを鳴らし、歌いたいように歌う。

 この曲を歌っている間だけは、まるで時が巻き戻ったかのように、いろんな思い出が蘇ってくる。

 楽しかった日々、だけどもう戻れない日々。

 だから、これからは新しい思い出と一緒にこの曲を歌っていきたい。


 一通り歌い終わり、あたしたちは笑い合った。

 ギターの調律すらまともにできていないし、所々指がもたついているところもあったし、歌もちゃんと音程が取れていないところが多かった。


 だけど、こんなに楽しいセッションは久しぶりだ。

 音楽って、こんなにも楽しかったんだな。


「どうだった?」

「全ッ然ダメ、もう一回」


 笑いながら明日香はもうワンテイクを要求してくる。

 あたしも同じ考えだ。


 そこからは日が暮れるまでずっと歌い続けた。

 休憩なんて挟まなかったから、おかげで喉はガラガラだ。

 しばらく路上ライブの予定はなかったから助かったけれど、明日のレジ業務には多少の支障は出そうだ。

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