第44話「一緒に生きよう」
「────────んっ」
目が覚めて最初に見えたのは、無機質で真っ白な天井だった。
つんと鼻につく消毒液のような匂いがする。
おそらくここは病院だ。
「あれ、あたし……」
徐々に血が身体全体に巡っていく感覚が肌に伝わってきた。
そうだ、スタジオで練習していて、それでなんだか変な感じになって、そこから記憶が曖昧で…………。
「佳音!」
ぐるぐると駆け巡る思考の渦の突き抜けるような声が聞こえた。
声の主の方へ振り向くと、明日香が顔をぐしゃぐしゃにしてあたしの手を握っている。
「あれ、なんで明日香がいるの?」
「アタシが呼んだんだ」
病室の壁際で理恵は腕組みをしていた。
はあ、と大きなため息をつき、あたしの方へ詰め寄ってくる。
「感謝しなよ、この子、ずっとアンタの傍から離れようとしなかったんだから」
ポンポンと明日香の頭を理恵は優しく撫でる。
聞けば、あたしが倒れてしばらくした後、あたしの身内にこのことを連絡しようとしたらしい。
スマホにはいつもロックをかけているけれど、チューニングや録音の関係でスマートフォンをつけっぱなしにしていたからスムーズに連絡ができたと言う。
もちろんうちの実家にも連絡済みのようだ。
病室の掛け時計を見ると、もう夕方の6時になっていた。
スタジオに到着したのが大体正午前後だったから、約6時間の間気絶していたことになる。
「検査入院で今日一日は絶対安静だからね。明日には退院できるから。ま、原因は過労だね。アンタ最近やつれてたから。ちゃんと食べてる……よな。こんなかわいい子に毎日作ってもらってるみたいだし」
「おかげ様……って、なんで理恵が知ってるの」
「教えてもらったんだよ、いろいろ」
明日香の方を見ると、彼女は未だに鼻水を垂れ流しながらあたしの手を掴んでいる。
理恵にどこまで話したかはわからないけれど、変なことを吹き込んでいるかもしれない。
一気に血の気が引き、冷や汗が噴き出た。
「どこまで聞いたの?」
「うん? いろいろ教えてくれたよ。明日香ちゃんの作る手料理にいつも美味しいって言ってくれることとか、最近ちょっと揉めてることとか」
第三者に指摘され、現実を叩きつけられた。
理恵の言葉は鋭いから、その言葉のナイフの一つ一つがピンポイントで心に突き刺さる。
再び理恵は溜息を洩らした。
「こんな可愛い子泣かせちゃ駄目じゃん。責任取るのは勝手だけど、心配かけちゃダメでしょ」
「面目ない」
「それと、あんたしばらくうちのバンド出禁ね。あんな腑抜けた演奏されちゃたまったもんじゃないから」
じゃ、と理恵は病室から颯爽と出ていってしまった。
驚嘆の声すら出ない。
しかし出禁なんてやりすぎではなかろうか……いや、本来の姿に戻っただけだ。
何も問題はない。
しばらく沈黙が続いた。
これはもう、決着をつけるしかあるまい。
目を潤わせ、ずび、と鼻水を啜る明日香の姿は、まるでいつぞやのあたしを見ているようだ。
「えっと、その……」
「佳音のバカ! なんで倒れるまでこんな無茶するの! 死ぬ気?」
ここまで怒る明日香をあたしは見たことがない。
横になった状態なのにピンと背筋が伸びる。
「佳音さ、私に無理するな、なんて言っておいて自分は無理ばっかりして、ずっと心配してたんだからね?」
「ごめん……」
「もう少し私を頼ってよ。佳音が不安になるのもわかるけど、私、自分で大丈夫なボーダーくらいちゃんとわかるよ?」
「うん…………」
そう言うと、明日香はあたしの手を離し、両手を突き出す。
そのポーズが何の合図なのかすぐ理解できた。
「ハグにはリラックス効果があるんだって」
「知ってる」
身体を起こし、明日香に包まれていく。
ほんのりと柔らかな匂いがした。
荒んでいた心がどんどん浄化されていくようだ。
「もう、一人に……しないで……」
震える声だった。
きっと積もりに積もった言葉だったのだろう。
明日香が家に来てから、あたしはどれだけちゃんと彼女と向き合っただろうか?
「ごめんね。あたし、明日香のこと全然見てなかった」
「私だって、佳音のこと支えてあげられなかった。お互い様だよ」
「そんなこと、ない……」
ハグの効果のおかげか、ボロボロと涙がこぼれて止まらない。
それは明日香も同じだったようだ。
ぎゅっと、抱擁する力が強くなっていく。
「一緒に生きよう、不器用なりに」
彼女の背中を掴みながら、あたしは全身全霊の想いを口にする。
明日香を幸せにしたくて、独りで突っ走ったあたし。
全てを背負い過ぎて、現実逃避の仕方が下手糞な明日香。
お互い一人で生きるには不器用な生き方をしてきたけど、これからは力を合わせながら生きていきたい。
これからはきっと上手くできる。
かつてのあたしたちがそうだったように。
「…………嬉しい。ありがとう。私も、佳音と一緒に生きていきたい。だからこれからもよろしくね?」
「もちろん。だって明日香は、あたしのかけがえのない特別な人なんだから」
また、ぎゅっと抱きしめた。
幸せな気持ちが体の芯から溢れ出て止まらない。
やっと一歩を踏み出せた、そんな気がする。
その後母さんから電話が来て、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。
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