第43話「走馬灯」
あれから大体1週間近く過ぎた。
今はあたしがバイトの量を増やす、ということで一応収まっている。
何の解決にもなっていないけれど、今はこれしか道が思い浮かばなかった。
シフトがない日はギターのサポートだが、コンビニとサポートとのダブルブッキングも珍しくなくなった。
おかげで休日はなくなったし、家にいる時間だって短くなった。
もちろん、母さんからのオファーに返事はまだしていない。
まだ期限は先だけど、今は当分そういう気持ちにはなれないし、そもそもそんな時間の余裕なんて今のあたしにはなかった。
ひょっとしたら辞退するかもしれない。
「行ってきます」
行ってらっしゃい、という明日香の返事を背に、あたしは家を出た。
今日はALTAIRのサポートだ。
ライブの日程も決まり、皆張り切っている。
だからこそあたしが足を引っ張ってはいけない。
スタジオに着くと既にメンバー3人がチューニングを始めていた。
あたしもすぐにギターをセットし、演奏準備に入る。
そんな中で、あたしの顔を見た理恵は目を丸くしてこちらを凝視してきた。
「あんた、すごい顔だよ?」
「え、そう?」
「うん。目の隈がすごい」
ほれ、と理恵のスマホのインカメの画面があたしに向けられる。
バキバキに割れていて少し見にくいが、確かに言われてみればそんな気もする。
でも目の隈ぐらいどうだっていい。
明日香を幸せにしてやれるのなら。
「あたしは大丈夫だから、練習始めよ?」
理恵の言葉を一周するように、あたしはギターを適当にならす。
うん、今日もいい音だ。
杏奈さんと真由美さんもどこか困惑している様子だったけれど、気にせずあたしはチューニングを始めた。
「あの、大丈夫ですか? 理恵さんも言ってたけど、目元の隈、すごいですよ。おまけに顔色もよくなさそうだし。ここのところすごく無理しているようで……私、とても心配です」
「同意見だ。何かあったらすぐに私たちを頼ってほしい」
2人もあたしに心配の声をかけてきた。
杏奈さんはともかく、普段は寡黙な真由美さんでさえここまで言葉を並べるなんて、よほど体調が悪いように見えるのだろうか。
でも手足はちゃんと動く。
思考もいつもと同じだ。
きっとみんなの思い過ごしなんだよ。
「大丈夫です。それよりもうすぐライブも近いから、張り切って練習しましょう?」
「え、ええ……」
杏奈さんは不穏な表情で真由美さんと見合わせた。
真由美さんも何か言いたげな顔をしていたが、何も言わずにベースを構える。
理恵は、もう観念したかのように溜息を放ち、あたしに鋭い眼光を放った。
「アンタ、倒れたりしたら絶対に許さないよ」
「わかってるって。もう25なんだし、体調管理くらい自分でしっかりやれますから」
あたしの言葉に首を傾げた理恵だったけれど、それ以上は何も言わず、杏奈さんに「お願い」とアイコンタクトを送った。
ドラムのカウントを合図にセッションを進める。
ドラム、ベース、ギターの音が重なって、ずんと身体に重たく響いてくる。
今演奏しているのは次のライブで初披露する新曲だ。
今までのどの楽曲よりも強く、激しく、力強いサウンドをコンセプトに作ったそうで、この練習スタジオで演奏しているだけでも一音一音がまるで質量を持っているようにあたしを刺激してくる。
……なんか、頭がふわふわする。
そう思った瞬間、あたしの視界は一気に歪んだ。
楽器の音がどんどん遠ざかっていく。
あれ、次はあたしのギターソロのはずなのに、思うように指が動かない。
なんで、どうして……。
疑問が片付かないまま、どんどん意識が消失していくような感覚に襲われる。
ゴトン、という音が聞こえたけれど、これが何の音なのか自分ではよくわからない。
状況を確認したくても、手も、足も、腕も、指さえ思い通りに動いてくれなかった。
目の前の視界もぼやけていき、何も聞こえなくなる。
声も出ない。
あたし、ここで死ぬのかな。
最後に聞こえたのは、3人の叫び声。
最後に見えたのは、杏奈さんのドラムセット。
最後に思い浮かんだのは…………しゅんと肩が下がった明日香の後ろ姿。
ごめん明日香、幸せにしてあげられなくて。
無責任だよね、情けないよね。
あたしを選んでくれて嬉しかったけど、どうやらあたしには明日香を幸せにすることはできなかったみたい。
だけど明日香がこの世界に生きてくれているのなら、あたしはそれだけでいい。
それだけしか願っていないから。
…………ああ、いろんな思い出が浮かんでくる。
不思議と出会った頃の思い出は少なかった。
明日香が飛び降りてから、今に至るまでの思い出ばかりだ。
明日香と一緒に暮らせて楽しかった。
けど最後はいつも悲しい顔ばかりさせていたな。
もしやり直せるとしたら、もっと明日香を笑わせたい。
明日香には笑顔が一番だから。
悲しんだり苦しんだり、そんな思いはもう二度と味わわせたくない。
そこから先、記憶はなかった。
薄れゆく意識の中、最後の最後で頭の中に浮かんできたのは、ニッコリと屈託のない笑顔で笑う明日香の顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます