第42話「ただいまとおかえり」
翌日になっても気まずい雰囲気は変わらなかった。
決してお互い口にはしないけど、確実に地雷として存在している。
正直明日香に対してはまだ不安がある。
元気にはなったけれど、完治したというお墨付きは貰っていない。
彼女の両親の前であんな啖呵を切ってしまった以上、もし無理をさせて倒れたりしたら、2人に合わせる顔がない。
「行ってきます」
返事はなかった。
あたしはゆっくりと玄関の扉を閉め、バイト先のコンビニに向かう。
今は、あの家に居たくない。
「お疲れ様です」
コンビニに到着すると、いつものようにバックヤードで仕事をしている野島さんに挨拶をする。
ポチポチとPCとにらめっこをして、それなりに暇そうだった。
「野島さん、お話があるんですが」
「何? どうしたの?」
「しばらく、シフトの時間を伸ばしたいんです」
あたしの発言に野島さんはうーんと首を捻る。
そこまでおかしなことを言ったつもりはない。
むしろ店側としては稼働力が増えて問題ないはずだ。
「宮村さん、週いくつ入ってたっけ?」
「4です」
「で、時間は?」
「MAXで7時間」
野島さんはさらに首を捻る。
「これ以上増やしても、そこまで変わらないと思うけど」
「構いません。少しでも多く稼げるのなら、そうしたいんです」
「……ひょっとして、一緒に住んでる子のため?」
何も言い返せなかった。
そうだという気持ちが半分と、一緒に居たくないという気持ちが半分。
でもそんなこと言えるはずもない。
そんなあたしの様子を見かねてなのか、野島さんは何も言わずに「わかった」とだけ口にした。
「MAXでも週5。それ以上は労基に違反しちゃうから。あと、1日の勤務時間は変更なし。これでいい?」
「大丈夫です」
たった1日増えるだけだが、積み重ねれば金額として大きく変化が出てくる。
明日香を幸せにするためなら、多少無理をしても構わない。
そもそもこのくらい無理のうちに入らないけれど。
野島さんと話を終え、あたしはレジに立つ。
レジでは芳賀くんがタバコの補充を行っていた。
平日のこの時間帯に彼が勤務しているのは少し珍しい。
「お疲れ様」
「…………ぅす」
不愛想な返事だったけれど、いつのも冷たい反応とは違ったから、やっぱりあたしと彼との距離はほんの少しだけ縮まった気がする。
同じ釜の飯を食うと、ある程度壁は取っ払えるようだ。
それ以上会話はなかったけれど、あたしはいつものように仕事をこなした。
胸はまだざわついたままだったけれど、それでも他のことをやっているとある程度気は紛れた。
けれど当然頭の中から完全に切り離されたかと言われたらそんなはずはなく、不意に少し寂しそうな明日香の背中を思い出してしまう。
「……責任取るって、決めたんだ」
自分に言い聞かせるように言葉を唱える。
明日香はあたしを選んでくれた。
だったら、あたしは彼女に応えなければならない。
あたしが、明日香を幸せにしてあげなければいけない。
自分を信じよう。
信じなければ、何も上手く行かない。
そう言い聞かせて、あたしは仕事に取りかかる。
それでもまだ心臓の痛みは消えなかった。
「大丈夫、ですか」
よほど心配になったのか、芳賀くんが声をかけてくれた。
その気持ちは嬉しいけれど、関係ない人まで巻き込みたくはない。
「ありがとう、大丈夫」
「だといいんですけど……」
歯切れが悪かったけれど、それ以上は何も言わず、芳賀くんは店内の棚の補充に向かった。
あたしも自分のやるべきことをやる。
その後も客足が途絶えたり途絶えなかったりするのを業務をしながら見ていた。
だけど今日の1日はとても長く感じる。
まあ、家に帰ったところで楽しいことなんて何もないのだけれど。
お疲れさまでした、とあたしは退勤し、家路に向かう。
家に一歩近付く度に、足が金属のように重たくなっていく。
はあ、と溜息をつきながら、一歩、また一歩、足を動かしていった。
「ただいま」
あたしが小さく呟きながら玄関を開けると、明日香は「おかえり」とまた小さな返事をくれた。
表情は口端を上げているのに、どこか寂しさを感じる笑顔。
その寂しさを助長するように撫で下がった肩。
引っ越してからしばらくはこの「ただいま」「おかえり」のやり取りが嬉しかったのに、今、こんなに心が弾まないなんて想像にしなかっただろう。
キッチンから良い匂いがするので顔を覗かせると、小さなテーブルに色とりどりの料理が並べられていた。
唐揚げにキャベツの千切り、卵とわかめのスープに白米……全て明日香の手作りだ。
あたしがバイトやサポートで家を空ける日は、いつも明日香は手料理を作って待ってくれている。
たとえそれがどれだけ夜遅くても。
本当に健気で律儀な子だとつくづく思う。
今日みたいな気分が最悪な日であろうとも。
「食べよっか」
「そうだね。ちょっと荷物、置いてくる」
鞄を部屋に置くために自室に入った。
ポイッと部屋の隅に投げ捨てると、ぺたんと腰を下ろし、ドアに背中を委ねる。
しばらく部屋からは出られなかった。
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