第20話「路上の花」
帰宅ラッシュの午後6時半、あたしは駅前でギターを構え、路上ライブを行う。
相変わらず誰も足を止めない。
サラリーマンも、OLも、学生たちも、あたしには見向きもせずに素通り、スルーしていく。
もう見慣れた光景だ。
すう、と呼吸を整え、演奏を始める。
今日は気分があまり乗らない。
喉の調子も万全ではない。
だけどそんなものは言い訳にすらならない。
とにかく歌った。
とにかく叫んだ。
だけど、歩みを止めてくれる人は誰もいなかった。
ギターのストロークで曲を締める。
いつもなら全く聞こえない拍手も、今日はパチパチとまばらに聞こえた。
「やっぱり佳音さんはカッコいいです!」
あたしの目の前でキラキラと目を輝かせながら、咲良ちゃんは熱烈エールを贈ってくれる。
咲良ちゃんの都合とあたしのライブの日程が噛み合わないことが多く、あまり足を運んでもらえないけれど、暇さえあれば熱心にあたしの閑古鳥ライブにやってきては最前列を貸し切りしている。
だけど今日はもう1人、別の観客がいた。
「すごいですね。私、宮村さんの演奏初めて聴きましたけど、とても力強くてカッコよかったです」
萩本さんだった。
以前「ライブを見に行きたい」と言っていたが、まさか本当に来るとは思ってもいなかった。
てっきりリップサービスなのかとばかり思っていたから、今でも萩本さんが来てくれたことが信じられない。
だけどそれ以外の人たちはあたしのことなんか見向きもせずに目の前を素通りする。
いつもの光景だけど、今日に限ってはこの見慣れた光景がいつも以上にぐさりと心に刺さる。
だから、萩本さんの言葉を素直に受け止めることができなかった。
「ありがとうございます」
ペコリと一礼し、次の曲に移る。
だけどやっぱり咲良ちゃんと萩本さん以外は誰も立ち止まってくれなかった。
ワンストロークする度に惨めさが増してくる。
「…………ありがとうございました」
パチパチパチ、と小さな拍手を受けながらあたしは頭を下げる。
これ以上この空間に居たくない。
「お疲れ様です」
構えていたギターをケースにしまおうとすると、咲良ちゃんと萩本さんが声をかけてくれた。
その優しい声がさらにあたしの心に深く突き刺さってくる。
合わせる顔もなく、また口角が下がる。
「素晴らしい演奏でした。また、聴かせてください」
「あ、あはは、いいのかな、あたしのこんな錆びれた路上ライブなんかで」
もちろん、と頷いてくれた萩本さんの優しささえも今は侮蔑に感じる。
いつからあたしはこんな卑屈な性格になってしまったんだろう。
「佳音さん! 次はいつライブするんですか?」
そうやって尋ねてくる咲良ちゃんの瞳はキラキラと眩しくて、直視なんてできなかった。
どうして彼女はあたしにこんなにも純粋な羨望の眼差しを向けることができるのか疑問で仕方がない。
「いつ、かな。まだ予定組んでないからわかんないや」
「えー、そうなんですか? 残念です。でも、塾がなかったらまたライブ見に来ます! もちろんALTAIRのライブも。楽しみにしてますね!」
「あ、ああ、うん。みんなにも伝えておくね」
実のところ、もう路上ライブはやりたくない。
やっても自分が価値のない人間だと認識させられるだけだし、もう音楽に対する熱もない。
こんなことを言ったら、多分母さんにも、明日香にも笑われてしまうだろう。
それもいいか、なんて思いながらギターケースを背負った。
「それじゃあお疲れさまでした」
「待って、宮村さん」
この場所を早急に立ち去ろうとしたのに、萩本さんがそれを許さなかった。
ふふ、と微笑み、あたしを呼び留める。
「なんですか?」
「えっと、負けないでくださいね」
「はい?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
萩本さんが何を言いたいのか、この一言だけでは全く見当もつかない。
隣にいる咲良ちゃんだって、きょとんとした様子で萩本さんを見る。
萩本さんは続けた。
「雑草って、たとえばアスファルトとか、コンクリートとか、そういうところからでも生えてくるじゃないですか。しかも踏まれても踏まれてもめげずに何度でも立ち上がる。なんだか、今の宮村さんと似ているなあって思って」
「そう、でしょうか」
少し的はずれだと思う。
彼女の言う通り、あたしは都会に出ていろんな挫折をした。
誰にも見てもらえず、己の技量の壁を感じ、そして今まさに匙を投げようとしている。
踏まれてもまだ懸命に生きようとするアスファルトの花とは違うのだ。
俯いて探したけれど、周囲にそんな花はもちろん、植物1本すら自生していなかった。
やはりこのコンクリートジャングルに植物は厳しい環境なのかもしれない。
萩本さんの言っていることは正しいと思う。
けれど、環境が違い過ぎると芽吹くものも芽吹かない。
「だから、頑張れって、言いたかったんです。ごめんなさい上手くまとまらなくて」
「いえ、言いたいことは伝わりましたから。それでは」
ペコリと頭を下げ、家路につく。
あたしは雑草以下か、なんて呟きは、絶対表には出さないようにしよう。
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