第21話「動機」

 明日香が目覚めてから約1ヶ月。

 1月もそろそろ終わりが近づいてきた。


 この日は妹の涼葉もお見舞いに来ていた。

 大学1年生の授業が丁度終了したから、せっかくだし会いに行きたい、と涼葉から提案されたのが昨日だ。

 この強引なところは昔からちっとも変っていない。


「久しぶりだね。ちょっと痩せた?」

「逆に涼葉はちょっと太ったんじゃない?」

「そうなんだ。正月食べすぎちゃったかも」


 なんて会話をエントランスで交え、明日香の病室に向かう。

 涼葉が明日香と対面するのは、あたしたちの高校の卒業式以来だ。


 明日香の病室が近づくにつれ、次第に涼葉の表情が険しくなる。

 あたしが母さんに明日香のことを始めて伝えた時も、涼葉は酷く動揺していた。

 多分あたしよりも明日香に懐いているから、相当ショックだったと思う。


「明日香お姉ちゃん、大丈夫かな」

「まあ、意識は回復したし、最近はリハビリも頑張っているみたい。順調に回復している、と思う」


 断言できなかったのは、やはり明日香が心の大きな闇を抱えているからだ。

 身体は良好になりつつある。

 けれど、心は全くプラスの方向に動いていない。

 早く心身共に元気になってほしい、と願いつつ足を動かした。


 明日香の病室の扉がいつもよりも大きくそびえ立っているように映る。

 もちろん病室は変更されていないし、目の錯覚ではあるのだけれど、それほどまでに明日香の存在がアタシにプレッシャーを与えていた。


 ふう、吐息を整え、コンコンコン、とノックをする。


「はーい」


 扉を開けると、やっぱり明るい笑顔で出迎えてくれる明日香がいた。


「あれ? もしかして涼葉ちゃん? 大きくなったねえ。久しぶり」

「…………明日香お姉ちゃん」


 涼葉は明日香の姿を見ると、真っ先に彼女の元へ駆け寄り、ワンワンと子供のように泣きじゃくった。

 持っていた鞄も床に放置されてしまっている。


 鞄を拾い上げ、あたしは丸椅子を用意した。

 丁度2個あったけれど、これは本来明日香のご両親のために用意されたものだろう。


「調子はどう?」

「まあまあかな。昨日のリハビリ、結構ハードでさあ。昨日の筋肉痛が全然取れなくてもう大変なんだ」

「そうなんだ」


 そうやって彼女は屈託のない笑顔で話す。

 だけどあたしにとってその笑顔はすごく居心地の悪いものだった。


 この顔はきっと本心じゃない。

 リハビリの話だって、本当は何も考えたくない日常から無理やり探してきたものかもしれない。

 やっぱり明日香は無理をしている。

 作り物の笑顔からこぼれるほころびも観察できるようくらい、あたしの目も肥えてきた。


「ねえ明日香お姉ちゃん、退院、いつになるの?」

「どうかなあ。まだわかんない。怪我もまだ完全に治ってないから」

「そうなんだ……無理しないでね」


 うん、と明日香は涼葉に頷く。

 その返事が中身のない空虚なものに一瞬で気付いた。


 もう、耐えられない。


「あのさ」


 張り詰めた冬の空気をつんざくように、あたしは言葉を紡ぐ。

 明日香はいつもの笑顔を崩さずにあたしの方を見ていた。

 涼葉も見ていた。


「…………なんでさ、死のうと思ったの」


 一瞬にして空気が凍る。

 涼葉は目を見開き、何言ってんの、と言わんばかりにあたしを睨んでくる。

 その視線が鋭く突き刺さり、とても痛い。


 言わなきゃよかった。


 死亡動機を尋ねるなんて、自殺未遂者にしてはいけないタブーのひとつだ。

 それはわかっている。

 わかっているけれど、やっぱり知りたかった。

 どうしてあんなことをしてしまったのか。

 今、あたしたちは明日香の目にどう映っているのか。


 だけどここまで場の雰囲気を殺してしまうとは思わなかった。

 飛ぶ鳥を落とす勢いどころではない。

 訊くにしても、いくらなんでも直球すぎだ。

 もう少し変化球で攻めてみるべきだった。


「…………ごめん」


 そう呟いて、明日香の方を見る。

 以外にも、彼女はケロリとした様子で笑っていた。

 こんな異常事態にも関わらず。

 それがむしろあたしの恐怖心を駆り立てた。


「えー、それ聞いちゃう?」

「まあ、うん。気になるし」

「気になるかあ、そっかあ」


 まるで気にしていないような素振りだったので呆気に取られる。

 本人にとってはその程度の出来事なのだろうか。

 もしそうだとしたら絶対に許さない。

 あたしがどれほど心配をかけたと思っているんだ。

 ふつふつとはらわたが煮えくり返りそうになる。


 …………いや、違うな。

 冷静に観察してみると、目は笑っていなかった。

 笑顔もどこか寂しい感じがする。

 やっぱり彼女の表情には、どこか違和感があった。


 すん、と興奮が冷めていく。

 だけど涼葉があたしに向ける熱はまだ収まっていない。


「お姉ちゃん、正気じゃないよ」

「かもね」

「かもねじゃないでしょ? なんでそんなにデリカシーないの?」


 まったくもってその通りだ。

 何も言い返せない。

 もうこうなったら開き直ってやる。

 失うものが何もない人間は、こういうところで強くなる。


「今は明日香に訊いてるんだけど」


 そう尋ねた直後、涼葉はあたしの左頬を一発叩く。

 冬場で乾燥しているせいもあり、とてもヒリヒリと痛みが残っている。


「…………最低」


 涼葉はそれだけ呟いて、病室を出た。

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