第22話「笑顔の裏」

 涼葉がいなくなって、やっと2人きりだ。

 あたしはじっと明日香を見つめる。

 明日香の表情は少し戸惑いがあったけれど、それでも笑っていた。


「やっと2人きりだね」

「いいの? 涼葉ちゃん怒らせたままで」

「後で謝る。それより今は明日香のこと。教えて? あの日、何があったの?」


 ああ、と少し明日香の口角が一瞬下がった。

 ようやく笑顔以外の顔を見ることができたような気がする。


「まあ、何となくわかるよ。明日香、昔からストレス発散とかリフレッシュとか苦手だもん」

「あはは」


 明日香は苦笑いをすると、そのまま再び口端を上げた。

 だけど目の奥に輝きはなく、生命力の欠片も感じない。


 どれほどの沈黙があっただろう。

 明日香はようやく重い口を開いてくれた。


「まあ、終わらせたかったんだよ、全部。両親からの期待、会社でのストレス、人間関係、とにかく色々……」


 想像通りの動機だった。

 口から出た言葉は単純だったけれど、それゆえに重く心にのしかかる。

 まるで他人事で、自分に関心が全くない。

 そんな空っぽな明日香がやっぱり悲しかった。


「星を見てね『あ、綺麗だなー』なんて思ったらもう身体は勝手にベランダに向かってるの。恐怖心なんか全然なかった。で、外に出たタイミングで佳音から電話が来てさ、『最期に聞けたのが佳音の声でよかったな』って思いながら飛び降りたんだ。まさかまだ生きることになるなんて全然思わなかったけど」


 あはは、とこぼれる彼女の笑い声はとても渇いていた。

 なんで、そんな風に淡々としていられるのか理解できない。

 どこまでも他人事で、興味も抱くこともなく、平然と濁った瞳をこちらに向けてくる。

 それほどまで明日香の心は壊れてしまったのか。


「佳音?」


 きょとんと、明日香が首を傾げる。

 その姿が昔の彼女と重なってしまった。


 あたしを見ては、ニッと屈託のない笑顔で微笑む彼女。

 あの笑顔だけは純粋であってほしいと切に願う。


「明日香……」


 気が付けば目元が熱くなっていて、涙が止まらなかった。

 なんで話し手より聞き手の方が泣いてるんだ。

 これじゃあどっちが壊れているのかわからないじゃないか。


 そんなあたしを見て明日香は少し吹き出す。


「なんで佳音が泣いてるの?」

「なんでだろう。いろいろ考えちゃったからかな。昔のこととか、今の明日香のこととか。でも大丈夫。ちょっとスッキリした」


 ずび、と鼻をすするのと共に、あたしは両手を差し出す。


「ん」

「何? いきなりどしたの」

「ハグすると、気持ちが落ち着くんだって」

「なんだそれ」

「いいから」


 いつか見たネットの記事に書いてあった。

 ハグをすると脳内の幸福ホルモンが分泌されてどうたらこうたら……という内容だったけれど、細かいことは忘れてしまった。

 ただ、ハグは心を豊かにすることだけは確かだ。

 あたしの方こそ何年もハグはされてないし、したこともないけれど、今でも母さんの抱擁の温かさは覚えている。


 戸惑う明日香だったけれど、答えも聞かずに優しく彼女を抱きしめた。

 想像以上に明日香の身体は細くて、骨が浮き出ているよう。

 それでも体温はやっぱりあたたかく、ちゃんと明日香がここに生きてことを実感させられる。


「佳音、あったかいね」


 柔らかい言葉と共に、ふへへ、という変な笑い声が聞こえた。

 それと同時に明日香が私を抱きしめる力がほんの少し強くなる。

 きっとこれが明日香が初めてくれたSOSなのかもしれない。


「うん、あったかい、佳音……」


 今度は小さくすすり泣く声が耳に届く。

 次第にあたしを掴む力も強くなっていった。


 過去含めて初めて明日香が泣いているところに立ち会えたと思う。

 泣き顔までは見えなかったけれど。


 だけどこの涙はきっと本物だろう。

 少しだけ、明日香の心を溶かすことができた気がした。


 また、あたしの目元から涙がこぼれる。


「生きてるからあったかいんだよ。死んだら、もうこの温かさには二度と触れられないんだよ? そんなの嫌だよ。もう少しあたしを頼ってくれたっていいじゃん。相談ならいつでも乗るからさ。だから、もう終わらせようなんて思わないで」

「ごめん、ごめんね? 佳音……」


 精神が疲弊してる人に厳しい言葉をかけるのもタブーだ。

 だけどこれだけはどうしても言いたかった。


「明日香のバカ……」


 あたしたちは親友同士ではなかったのか。

 もう少し信頼されていると思っていたのに。


 そんな明日香への不満は抱擁する時の腕の力に昇華されていった。

 身を寄せるようにハグをすると、幸せが満ち溢れていくような感じがする。

 ぽかぽかと心臓の奥から身体が温まっていく。


 やっと、スタートラインに立てた気がする。

 抱擁の腕を離し、お互い見つめ合うと、クシャッとした表情で笑い合った。

 この時の明日香の笑顔は偽りではないと信じたい。


「じゃあ、帰るね。涼葉と仲直りしなきゃだから」

「うん。頑張れ」


 グッと明日香は右手の親指を突き上げる。

 あたしもそのポーズを真似て、病室を出た。

 明日香らしい茶目っ気も戻ってきて、少し安心感を覚えた。

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