第23話「姉と妹」

 病室を出ると、涼葉が「ぎょ」と気まずそうな表情を浮かべて立ち尽くしていた。


「聞いてた?」

「うん、まあ。実のところあたしもちょっと気になってたし。明日香お姉ちゃんがどうして飛び降り自殺を図ったのか」

「だよねー。で、理由を知った今の気持ちをどうぞ」

「上手く、言葉に言い表せない。なんかこう、心の奥底がモヤモヤってなる感じ」


 ポツリと呟き、涼葉は病院の廊下を歩く。

 現実を思い知ったのか、少し表情は暗かった。

 よく見ると目元が少しだけ赤く腫れている。

 盗み聞きにもらい泣きとは、まったく、困った妹だ。


 エレベーターの中で、あたしはポンポンと軽く涼葉の頭を撫でる。


「だーいじょうぶ。明日香は強いから。必ず、また前を向いてくれる。だから今は明日香を信じてあげて」

「……そうだね。そうする」


 すりすりと涼葉は自身の頭をあたしに寄せてくる。

 涼葉がこんな風に甘えることなんて滅多にないから、内なる姉心がくすぐられる。

 よしよしよし、と大型犬を可愛がるように涼葉を撫でた。

 やっぱり涼葉はあたしの可愛い妹だ。


 ピンポーン、とエレベーターが1階に到着する。

 扉が開くと涼葉は甘えん坊モードから一変していつものしっかり者の表情に変わった。

 キリッと背筋を伸ばし、頼れる女オーラを醸し出す様子は、見ていて少し面白かった。


「何笑ってんの? お姉ちゃん」

「いや、さっきまであたしにべったり甘えてたくせに」

「うるさい」


 ガシッと涼葉はあたしの脛を軽く蹴り飛ばす。

 小さな動作だったけど、確実に急所を突いてきた。

 思わず「いっ」と小さな悲鳴が漏れてしまう。

 涙が出るくらい痛かったけれど、声を殺して痛みに耐えた。


「あんた、いつの間に足癖悪くなったの」

「お姉ちゃんが変なこと言うのが悪い」

「別に隠すことでもないでしょ」

「そんなだからモテないんだよ」

「今それは関係ないでしょ? それに、あたしだって彼氏いたもん」

「数年前までね。いつまで引きずってんの?」

「別に引きずってなんか──」


 言いかけて、言葉が喉の奥に引っ込む。

 目の前に弥栄子さんの姿が見えたからだ。


 彼女はあたしたちを見つけると、あからさまに嫌な顔を浮かべた。

 溜息をつくような重たい顔だ。

 あまりいい気持ではないけれど、挨拶くらいはしておかなければならない。


「こんにちは」


 声をかけたけれど、弥栄子さんは反応してくれなかった。

 あたしの目の前を素通りし、エレベーターへと足早に向かう。

 まるであたしを避けているかのようだった。

 ここまで露骨に嫌わなくてもいいじゃないか、なんて思いながら涼葉を連れて病院を後にした。


 駅に向かう道のりで、徐々に涼葉の歩みが早くなる。

 これは内心でぐつぐつと怒りが煮えたぎっているサインだ。


「涼葉、落ち着いて」

「ごめん、ちょっと無理」


 涼葉は尚も足を止めようとはしない。

 大股で早足になっていく涼葉の歩幅についていくことが精一杯だった。

 多分、さっきの弥栄子さんの態度に腹を立てているんだろうな。


 駅の改札を抜け、電車を待つまで、涼葉は歩きっぱなしだった。

 足を止めた涼葉はその分怒りを言葉にして発散する。


「あーもう何? あの人。ホント態度悪すぎるんだけど」

「昔からああだよ。もう気にしてない」

「だからって、挨拶無視するのはダメじゃない? お姉ちゃんもガツンと言ってやらないと、舐められたままだよ」

「舐められているのかはさておき、少なくともあたしが弥栄子さんに言ったってどうせあたしの言う事なんか耳を貸さないよ。あたし、不良物件だから」


 多分弥栄子さんの中でのあたしは明日香の進路を阻む悪者になっている。

 きっとあたしのことを悪魔か何かに見立てているのだろう。

 明日香という大事な宝物を音楽でたぶらかし、地の果てまで叩き落した張本人。

 そんな解釈をされていてもおかしくない。


 ああいう面倒臭いタイプの人間は関わらないことが吉だ。

 まともに取り合っても会話が成立することなんてまずありえない。

 トラブルは避けるに限る。

 あっても得なことなんて何一つとしてない。


「私、あの人嫌い」

「それは同感」


 あたしは自販機に小銭を入れ、缶コーヒーのボタンを押した。

 ガコン、と缶が取り出し口に落ちてくる。


「お姉ちゃんのおごり」

「ありがとう……って、ブラックじゃん! 私微糖がよかったんだけど」

「さっきあたしの脛を蹴った報いだよ。それとも涼葉はブラックコーヒーも飲めないお子様舌なのかなあ?」


 わざと挑発してみた。

 あたしもブラックコーヒーはあまり好きではないけれど、飲めないことはない。

 まあ飲んだら苦い顔はどうしてもしてしまうけれど。


 涼葉はあたしが買ったブラックコーヒーを手に取り、カシュッ、とプルタブを開けた。

 これでもう後には引けなくなってしまった。

 勢いよくコーヒーを口にし、案の定うげえ、と舌を出す。


「やっぱ無理。お姉ちゃん飲んで」

「もう口付けちゃったんだし、自分で飲みなさい」

「えー」


 ふてくされる涼葉だったけれど、電車が到着するまではなんとか飲み干し、缶をごみ箱に捨てる。

 その時には随分とグロッキーな状態に変貌してしまったけれど。

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