第37話「夢」

 翌日の夜、あたしはいつもの駅前で路上ライブを行った。

 今日も観客はいつもより多い。

 咲良ちゃんに、明日香に、それと数名立ち止まってあたしの演奏を聴いてくれている。


「すごい、プロみたい」

「これでもずっとやってるんでね、一応」

 

 パチパチ、と明日香は熱烈な拍手をくれた。

 そんな風に目をキラキラと輝かされるとなんだか照れくさい。


「でも佳音にこんなかわいいファンがいるとは思わなかった」


 明日香は咲良ちゃんに目を向けるけれど、咲良ちゃんの明日香に対する視線は少し厳しいものだった。


「私は、佳音さんのファン1号なんで、そこをお忘れなく」

「じゃあ私は佳音のファン0号だ」


 むむむむむ、と咲良ちゃんは頬を膨らませる。

 対して明日香は笑みを崩さなかったけれど、その表情はいつもの柔和な感じではなく、少々強張っていて、どことなく威圧感を感じた。

 そんなマウント別になくてもいいだろうに。


「はいはい、2人とも仲良くね」


 はあ、と溜息をつきながら、あたしはギターを構える。

 あたしのファンだなんて、嬉しいけれど、でもやっぱり恥ずかしい。

 だけどこの羞恥心を乗り越えないとプロなんてやっていけない。


 ギターを構え、再びマイクに声を通す。


「今日も精一杯歌いますので、皆さん是非楽しんでいってください」


 少しMCを挟み、何曲か披露した。

 オリジナル曲、カバー曲、いろいろ。

 全てのセットリストを出し切った頃にはまばらだった人たちも少しずつ増えていき、拍手の数も多くなっていった。


 ああ、本当に軌道に乗り始めたんだ。

 込み上げる気持ちを抑えながら、今日最後のMCを務めた。


「皆さん今日はありがとうございました。またここでライブします。よかったら是非──」


 そう言いかけて、言葉が喉奥に戻っていった。

 ここに絶対来ないであろう人の姿が見えてしまったからだ。


「……芳賀くん?」


 口にはしなかったが、驚嘆の感情は隠せなかった。

 黒のパーカーを羽織った芳賀くんは、あたしの方に気付くと、ぎょ、と明らかに嫌そうな顔をして逃げるように改札の方にスタスタと歩いていく。

 それを咲良ちゃんは良しとしなかった。


「あ、芳賀さん! 待ってください! ちょ、待って、待てってば!」


 必死で追いかけているから、いつもよりも言葉遣いが乱暴だった。

 観衆も芳賀くんと咲良ちゃんの方に視線が行く。


 何も知らない明日香はきょとんとした表情であたしを見つめていた。


「何かあったの?」


 明日香の問いに、あたしは「なんでもない」と言うつもりで首を振った。

 そこまでしなくてもいいのに。


 咲良ちゃんは芳賀くんの腕を引っ張り、まるで獲物を誇示する原始人のようにあたしの前に差し出してきた。


「私、芳賀さんが嫌いです。だって、佳音さんの夢をバカにしてるみたいだから」

「お前も夢かよ……」


 呆れた物言いで芳賀くんはポツリと呟く。

 彼はゆらりと陽炎のように立ち上がると、生気のない瞳をこちらに向けた。


「惨めにならないんスか、音楽やってて」

「ならないよ。だってあたし、音楽好きだし。それに叶えたい夢があるから」


 あたしがそう言うと芳賀くんはギロリとこちらを睨む。

 シルエット全体から生きている感じがしないから不気味だ。

 まさか凶器なんか隠し持っているなんてこと、ないよね?


「どいつもこいつも夢だ夢だって……夢見りゃその仕事ができんのかよ! ああ?」


 いきなり芳賀くんはあたしに襲いかかろうとしてきた。

 それを咲良ちゃんが寸前のところで制止する。

 周囲からは小さな悲鳴が次々と起きていた。


 明日香もいきなりのことに硬直していた。

 あたしは明日香を守るように彼女の傍に駆け寄る。


「大丈夫? 怪我とかない?」

「あたしは平気。それより明日香は?」

「こっちも大丈夫。それより、あの人、どうしたの?」

「わからない。いきなり因縁つけられて、暴れられて……」


 周りがざわざわとし始めた。

 警察を呼んだ方がいいのではないか、という声もちらほら聞こえてくる。

 それだけはまずい。

 事情聴取やら何やらが結構面倒臭かったことをあたしの体は覚えていた。


「皆さん大丈夫です。落ち着いてください。あとはあたしたちがなんとかしておきますので。本日はありがとうございました!」


 無理やりMCで場を収め、観衆の半分くらいはぞろぞろと帰っていった。

 しかしまだ残りの人たちは面白いもの見たさでこの場にとどまっている。

 これ以上騒ぎを大きくされるといろいろ面倒だ。


「とりあえず、場所、移そっか」

「そうですね。ここは少し目立ちます」


 咲良ちゃんは芳賀くんを拘束したまま、あたしの後ろをついてく。

 明日香も咲良ちゃんの隣を歩き、怯えながら芳賀くんの方を一瞥していた。

 騒ぎを起こしてから、彼は何も語る様子はない。

 それがかえって不気味さを増していた。

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