第2章
第15話「疑惑の仮面」
明日香が目覚めてから一晩経った。
あの後、病室はとにかく慌ただしくなってしまい、「検査がある」と医師に告げられてその日はそこで帰されてしまった。
その昨日の今日だ。
緊張感は今までとは桁違いに襲いかかってくる。
明日香の病室に近づくにつれ、どくん、どくん、と心臓の脈が次第に強くなっていった。
毎日会っていたのに、こんなにも怖く感じるなんて。
でも大丈夫、もう明日香は目覚めたんだ。
ふう、と呼吸を整え、3回ノックした後、あたしは扉を開けた。
「来たよ、明日香」
「あ、佳音だ。久しぶり~。でも昨日ぶりか」
ベッドに横になる明日香は、まるで何事もなかったかのようにケロッとした笑顔を向けた。
想像以上に元気そうで拍子抜けだ。
集中治療室でのあの痛ましい姿は一体どこに消えてしまったのか、まるで昔と全く変わっていない、明るい女の子が目の前にいた。
「……身体、大丈夫なの?」
「うん。なんかね、昨日色々検査されて、骨折とかまだ治っていないけど、脳とか他の臓器に異常はないんだって。不思議だよね」
「そう、だね……」
あたしの問いに明日香ははつらつと答える。
やっぱりこの元気さもあたしの知っている明日香だった。
明日香はいつも明るくて、決して曇った顔なんて見せない。
幼少の頃からずっとそうだった。
今だってこの通り、明日香は明るく振る舞っている。
じゃあ、あの電話の時の苦しそうな声はなんだったの?
だって明日香、あんなにもぎゅうって胸を締め付けられるような声をしていたじゃない。
あんな明日香の悲痛な声、今まで聞いたことがなかった。
今の明日香を見ていると、あの出来事をなかったことにされているような気がして少し怖かった。
心配させまいと無理して明るく振る舞っているのではないか。
そう思うとなんだか見ていられなかった。
「とにかく明日香が元気そうでよかった」
お世辞だ。
普段口から出まかせを言うのは苦手だけれど、今回に限ってはすらすらと出まかせが出てきた。
ひょっとしたらお世辞ですらないかもしれない。
あたしは明日香のベッドに丸椅子を寄せ、作り笑いを浮かべた。
これも今日は上手く表情を偽造できている気がする。
「何年振りだっけ、明日香に会うの」
「あー、最後に会ったのって確か私の大学の卒業旅行の時だったと思う」
「じゃあ3年くらいになるのか。なんかそんな気がしないね」
「まあ、いっつも電話してたもんね」
電話。
あの日のことを連想させるワードだ。
途端に場の空気が重たくなる。
明日香も表情には出なかったけれど、
それを察知しているようだった。
「彼氏とかできた?」
さすがに動揺してしまったのか、明日香が変なことを聞いてきた。
誤魔化すのが下手か、というツッコミは心のうちに留めておく。
しかし話題の振り方は下手くそなくせに、ポーカーフェイスを作るのだけは上手い。
昔からそうだったのだろうか。
高校時代も、そのもっと前も、あたしに見せる顔は作り物…………じゃあ本当の明日香はどこにいるの?
あたしの前での明日香はずっと作り物だったの?
もしかして、親友だと思っていたのはあたしだけ?
だったらあたしはなんて間抜けで愚かなんだろう。
ずしんと心にドロドロに溶けた鉛が流れ込んでくる。
……やめよう、こんなこと考えるの。
こんなことを今考えたってすぐに答えなんか出ない。
「いないって前に話しなかったけ?」
「そういえばそんな気がする。えへへ、忘れてたよ」
今は明日香が生きてくれるならそれでいい。
不信感は拭えないけれど、やはり大事な人が生きていることの喜びの方が勝った。
「早く元気になってね。そうしたらまた2人でどこか遊びに行こう」
だけどあれだけ抱いていた「明日香が目覚めたらやりたいこと」も今はどうでもいい。
なんだかフッとろうそくの火を吹き消された気分だ。
ゆっくりと立ち上がり、病室の壁に丸椅子を戻した。
「もう帰るの?」
「うん。この後バイトだから」
それは本当だけれど、今のあたしにはただの方便でしかない。
じゃあ、と手を振り病室を出た。
明日香が目を覚ましたのに、明日香と会話できたのに、どうしてこんなにも心がざわつくんだろう。
あの明日香は偽物だ。
確証はないけれど、おそらくそうなのだろう。
ひょっとしたら偽物を演じ続けたことでそれすら本物になってしまったのかもしれないけれど、そんな面倒臭いことを考えるのはやめよう。
だけどそれがもし本当だとしたら、裏切られた、とまではいかないけれど……やはりショックだ。
しばらくは立ち直れないかもしれない。
そんなに明日香への信頼は脆かったっけ、なんて嘲りながら、電車に乗り込んだ。
なんだかこんなことを考えていることすら馬鹿馬鹿しく感じてしまう。
今は、明日香のことがよくわからない。
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