第29話「家族の言葉」

「私は佳音と一緒にいたい。その気持ちは変わらないよ。佳音はどう?」


 明日香はあたしに答えを乞う。

 だけどこんなことを言われて、すぐに答えが出るほどあたしの頭は賢くない。


「ごめん、やっぱりまだ時間欲しいかも」

「うん」


 彼女の申し訳なさそうな目が辛くて、あたしはそっと病室を出た。


 外の廊下ではご両親がソワソワとしていて、あたしと目が合うと気まずそうな表情を浮かべていた。

 さっきの話を聞かれていたのだろうか。

 途端に恥ずかしくなって、顔が火照る。


「明日には答えを聞かせて頂戴」

「…………わかりました」


 失礼します、とあたしはご両親に礼をして病院を去った。

 相変わらず弥栄子さんはあたしに厳しい目を向けていて、その視線が後ろからでも痛いくらい突き刺さる。


 家に帰っても答えはまとまらなかった。

 いや、もうほぼ見つかっている。

 だけど、一歩を踏み出す勇気がない。


 あたしは床の上で横になりながら電話をかけた。

 相手はうちの母さんだ。


「ごめん、今時間ある?」

『何? また明日香ちゃんのこと?』

「まあ、そんな感じ」


 今回のいきさつを簡単に説明すると、あっはっは、と高らかな母さんの笑い声が聞こえてきた。

 面白いことなんて何もないのに、どうしてそんなに笑えるんだろう。


『そんなもの、あんたが責任もって明日香ちゃんと一緒に暮らせばいいじゃないか』


 あっさりとした答えだったに拍子抜けしてしまう。

 まあ、その場その場のノリと勢いで生きている母さんならそう言うだろうなとは思っていたけれど、まさかここまで笑われるなんて思っても見なかった


『あんたのことだから、その気持ちに嘘はないってことくらいわかるさ。だからこそだよ、一度宣言した以上ちゃんと責任は持て。それが最初はポロリと出てしまった言葉でも、本気で考えているんだったら、な。今更日和ることなんてないよ。頑張れ』


 カシュ、とプルタブを開ける音が聞こえた。さてはあたしの相談を酒の肴にしているな? なんという母親だ。


 電話の遠くの方から、「お姉ちゃん?」と妹の涼葉の声が聞こえた。


『涼葉と代わろうか?』

「うん」


 そう頷くと、すぐに涼葉の声が聞こえた。


『やっほー。聞いたよ、さっきの話。相変わらずお姉ちゃん、優柔不断なんだから』

「面目ない……」


 涼葉は母さんに似ている。

 容姿はもちろんだけど、特に思い切りがいいところがそっくりだ。

 大学を決める時だって「家から近いから」という理由だけで即決だったらしいし。

 まあ本人がちゃんとやっているならいいけど。


『明日香ちゃん、お姉ちゃんと一緒に暮らしたいって言ってるんでしょ? なら答え決まってんじゃん。なんでそんな悩んでるの?』

「それは、部屋が狭いとか、あたしの稼ぎが少ないとか、いろいろ不安な面がいっぱいあるから本当にいいのかなって」


 そうポツリと呟くと電話の向こうで「カーッ」とカラスのような甲高い声が聞こえた。


『あんたねえ、そうやってうじうじする前にまず現状整理しろ。本当はどうしたいの、答えが決まったなら何をすべきなの。部屋なんて引っ越せばいいし、稼ぎがないならちゃんとした働き口探せばいい。あとはあんたの覚悟だけだよ』


 少し酒に酔っているような粗っぽい口調だったけれど、言葉の節々から母さんからのエールを見い出せた。

 言葉は厳しいものばかりだけど、それも母さんなりの優しさなのだと思う。


「ありがとう。覚悟決まった」

『そう、それでいいんだよ。まあなんか困ったらいつでも連絡してきな。お金の工面とかなら多少はサポートできるから』


 それはいい、とやんわり断った。

 母さんには返しきれないくらいの恩がある。

 アラサーにもなって家族に頼りっぱなしというわけにもいかない。

 一人でなんとかしてみせる。

 まあそれでも無理だと感じたら……その時は最終兵器として頼るかもしれない。


 その後しばらく、家族3人で談笑を続けた。

 涼葉が無事に2年生に進級できそうな話、母さんの音楽教室での話、あたしの音楽活動……時間を忘れるくらい、いろいろ話し合った。


 たくさん話して、たくさん笑った。

 それと同時に、少ししんみりとした気分になった。

 そういえば最後に実家に帰ったのっていつだろう。

 もう長い間家族と会っていない。


「今年のお盆はさ、ちゃんと帰るよ」

『なーに言ってんの。盆と正月だけじゃなくてもいいからいつでも帰って来い、明日香ちゃんと一緒に。待ってるから』


 そう笑う母さんの声は今までで一番温かかった。


「…………うん、そうする」


 涙ぐんでしまいそうだったのをぐっとこらえ、「じゃあ切るね」と言って電話を切った。

 油断すればすぐに泣いてしまいそうだったけれど、なんとか耐えた。


 よし、覚悟はできた。

 バチンと両頬を叩き、自分に火をつける。

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