第28話「ちっぽけな生き物」

「特別、か……」


 響きのいい言葉だ。

 だけどものすごい重圧もある。

 あたしは、果たしてその言葉に相応しい人間であろうか。 


「……なんであたしが特別なの?」

「だって、佳音が佳音だっだからかな」

「どういうこと?」

「話せば長くなるよ」


 少しはにかみながら明日香はあたしを見る。

 身体を少しあたしの方に寄せて、そっと手をあたしの手に添えた。

 ぽかぽかと温かい彼女の体温が掌に伝わってくる。

 しかしその温もりと対照的に、明日香の表情が徐々に曇っていく。

 

「子供の頃からずっと、周りから期待されてたんだ。勉強もスポーツも、習い事のだって。私がやることは全部完璧なんだっていつも思われてた。どれだけ無理難題でもちゃんとやってくれるって、だれも疑ってなかったように見えた」

「でも実際そうだったじゃん。成績はいつも学年トップだったし、運動神経もバリバリで」

「あんなの全部努力だよ。勉強も運動も、人の何倍も努力して、みんなが望む石神明日香をずっと演じ続けてきた。私はね、周りから失望されるのが怖かったんだ」


 明日香の小さな手があたしの手を掴もうとしてくる。

 顔は俯いていてよく見えなかった。


 あたしはそっと明日香の手を握る。


「正直佳音が羨ましかったな。誰にも左右されずにいつも自分のあるがままで生きていて、いつか佳音みたいになれたらなって、ずっと思ってた」


 それが理由らしい。


 あるがまま、というのは聞こえはいいけれど、それを拗らせた結果学校ではいつも独りだった。

 それで不自由はあまりなかったが、明日香みたいなキラキラした学生生活を満喫してみたい、という願望も心の奥底のどこかに芽生えていた。


「ねえ、覚えてる? 佳音に『部活どうしよう』って相談したこと」

「えー、そんなことあったっけ?」


 なんて口にしながら脳内を片っ端から探していった。

 明日香が指摘した記憶はすぐに見つかり、脳内でその当時の出来事が再生される。


 高校生になってそこまで経たなかった春頃。

 当時は明日香の交友関係の広さに少し絶望し始めて、あまり明日香と交友を持とうとしなかった。


「部活、いろんなところから誘われてるんだけど、どうしよう」


 夕暮れの帰り道にそんなことを明日香は呟いていた。

 うちの高校は部活動は強制ではなく、入る、入らないは個人の自由であり、誰も明日香の希望を強制する権利なんて持っていない。


 あたしは帰宅部で即決定したけれど、誰からも慕われている明日香は違う。

 おそらくどの部活に入っても即エース級の活躍をすることは間違いない。

 明日香は「努力したから」と謙遜していたけれど、生まれ持った才能だってあるだろう。


 そんな人望アピールと能力アピールに辟易していた当時のひねくれたあたしは、かなり突き放した言葉を明日香に投げかけた。


「入らなくてもいいんじゃない?」


 我ながら思い返して吐き気がする。

 この頃からあたしの無責任ムーブは健在していた。

 今振り返って見るとかなりひどい言葉だな、これ。


 明日香はぽかんと口を半分くらい開けていた。

 突拍子にこんなことを言われてしまったら、誰だってこんな顔をする。


「いやー、どこに入るか悩むくらいだったら、いっそのこと入らなくてもいいと思うんだ。いろいろ人間関係とか面倒臭そうだし。しんどいと思うよ」

「そう、かな……」


 その時はかなり戸惑っていた様子だったけれど、一晩経てば考えも固まったようで、結局明日香はどこの部活にも所属しなかった。

 そのおかげで明日香と一緒に音楽をすることができたのだけれど、当時のあたしは単純に思ったことを口にするだけのクソガキだった。

 もう思い出したくもない。


 回想を終え、再び現在の明日香に目をやる。

 今度は、こっちを向いてニッコリと口端を上げていた。


「ここまでズバッと言われたの、初めてだったなあ」

「あれは……もう忘れて。あたしの黒歴史」


 ふふふ、と明日香は笑う。


「でも嬉しかった。他の人はなんだかあたしに遠慮してくる感じがあったけれど、明日香は違ったから」

「そりゃあ、物心ついた時から一緒にいたからじゃないの?」

「それもあると思う。けどね、明日香のそういう部分があたしを抑圧から解放してくれたと今でも思ってるよ」


 ありがとう、と明日香は呟く。

 そんなお礼を言われるようなことはしていないつもりだ。

 

 ぎゅーっと胸が苦しくなる。

 知らんぷりを決め込んでいた、明日香に対しての黒い感情。

 憶測でも自分の背丈くらいはあるバケモノのようなシルエットと、ドロドロと泥で構成されたような表皮。

 自分でもまさかこんなものが眠っていたなんて思いもしなかった。


 しばらく、明日香の顔が見れない。


「そんな綺麗にまとめられるほど、あたしはできた人間じゃない。いつも羨望の眼差しで見ていたし、嫉妬だって何度もした。明日香が思ってるよりも、あたしは惨めでちっぽけだよ」


 それでもなお明日香はフフッと微笑んだ。


「私もちっぽけ。佳音と一緒。音楽にストイックで、ひたむきに取り組んでた佳音に、憧れていたし、ちょっと嫉妬もしてた。似た者同士だね」


 ニヒヒ、といたずらっ子のように笑う明日香に、あたしもつられて口角が緩んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る