第27話「特別」

 ベッドの上の明日香は、多分今までで一番頼りない姿をしていた。

 びくびくと肩を震わせ、2人を見る。

 人前に立つときはいつも胸を張ってシャキッと背筋を伸ばす姿がほとんどだから、これほど自信なさげな明日香を見るのは新鮮だった。


 でも多分これが明日香にとって初めての反抗期なのだろう。

 じっと2人を見つめる濁りのない瞳には力強い「生」を感じた。


「お父さん、お母さん、私は、佳音と一緒にいたい、です……」


 様子を見るように明日香は言葉を並べた。

 彼女の告白に両親は、特に弥栄子さんは驚きを隠せていない。


「佳音といるとね、なんだか心がすごく落ち着くんだ。お母さんたちは心配だと思うけど、佳音はお父さんやお母さんが思ってるほど悪い人じゃないよ。あの言葉が軽い気持ちだったとしても、あたしのことを想う気持ちは軽くないと思う」


 そこまで信頼されると照れくさいを通り越して恥ずかしい。

 あたし、明日香が思っているほどいい人でもないよ。

 どちらかと言えばご両親が想像しているような「悪い人間」の方が正しい気がする。


「だから、一生に一度のわがまま、どうか聞いてください」


 明日香は深々と頭を下げた。

 泣いているのか、肩が小刻みに震えている。

 あたしのために泣いてくれているのかな。

 そう思うと嬉しいような、申し訳ないような、複雑な感情だった。


 呆気に取られていた両親だったが、今度はあたしの方をじっと見る。

 ものすごい圧を感じた。

 特に弥栄子さんの圧が恐ろしい。


 本当はさっきの言葉を受けて何か返さなければならないのだろうけれど、適切な返答が思い浮かばない。

 キョロキョロと目を泳がせつつ、やっと言葉を紡ぎ出す。


「えっと……少し、明日香と話をさせてください」


 あたしだってまだ混乱している。

 考える時間だって合っていいはずだ。


 雄一郎さんは「行こう」と弥栄子さんに促す。


「私は、認めませんからね」


 弥栄子さんは雄一郎さんに連れられながら鋭い目をこちらに向ける。

 その瞳に輝きはなかった。

 なんだか呪いをかけられているようで、ぞわりと背筋に寒気が走る。


 雄一郎さんは彼女を宥めつつ、ぺこりとあたしに頭を下げて病室を出た。

 結局残ったのは、重たい空気とあたしたち2人だけだ。

 明日香はあたしの方を見て申し訳なさそうに笑う。


「ごめんね、こんなことになって。でもお父さんやお母さんにどうしても伝えておきたかったから」

「うん……」


 少し目線を下に落とした。

 気持ちが落ち着いた今、猛烈な自己嫌悪に陥る。


 なんであんな風に激昂してしまったんだろう。

 いつものあたしなら絶対弥栄子さんに刃向かったりしないのに。

 慣れないことをしたから疲労が身体中の至る所に蓄積されている。

 ずしん、と肩や太ももなどに金属の錘を乗せられているようだ。


 ゆっくり、あたしは口を開く。


「明日香はさ、本当に、あたしと暮らしたいの?」

「うん」


 即答だった。

 そこまで真っ直ぐにあたしのことを思ってくれていることに胸が痛む。

 ちゃんとしなければいけないのに、情けない姿ばかりだ。


「佳音はどうしたいの?」


 そう問われ、キュッと胸が締め付けられる。

 答えなんて昨日の今日でまとまるはずがない……いや、本当は最初に口にした時点でもう出ていたのかもしれない。

 だけどそれをちゃんと実行できる勇気も気概も環境も、何もなかった。


「……あたしに、明日香を支えられる資格なんてあるのかな」


 本当に明日香はあたしと一緒にいて幸せなのだろうか。

 家族と一緒にいた方がいいのではないだろうか。

 自立するにしても、あたしじゃない、もっと頼れる機関に委ねた方がいいのではないか。


 要するに、踏ん切りがつかないのだ。

 思考がグルグルと頭の中で渦巻く。そんなあたしのモヤモヤを払拭するように、明日香はニッコリと微笑んだ。


「資格なんて関係ないよ。私は、佳音と一緒にいたい。佳音じゃないと駄目なんだ。私はこれからの人生、佳音に支えてほしい」


 そんな風に言われるほどあたしはできた人間じゃない。

 家事も料理も何もできないし、明日香の方ができることの方が何百倍もある。

 唯一できると言えることがは音楽のみだけど、現状は目も当てられない様だ。


 そんなあたしが、本当にあすかを支えることができるのか?


「明日香はさ、昔から友達多かったじゃん。それなのにどうしてあたしを選んだの? あたしなんか、明日香の友達のうちの一人でしかないのに」

「それは違うよ」


 明日香は首を振った。


「佳音は私にとっての特別だよ。ちーっちゃい時からずっと一緒にいて、ずっと傍にいてくれた、かけがえのないたった一人の親友」

「そりゃ、どうも……」


 なんだか身体がむず痒い。

 そんな風に思っていてくれたなんて初めて知った。


 多分あたしに向けてくれている感情は、あたしが明日香に向けている感情とほとんど同じだ。

 嬉しくて、口元が緩むのを抑えられない。

 それと同時に、こっ恥ずかしく感じてきた。

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