第25話「支える気持ち」

 自宅に戻り、鞄を乱雑に放り投げてごろんと横になる。

 カーペットなんて敷いていないから、床が氷のように冷たい。


 思い切り腕と足を延ばして四肢を動かす。

 やっぱり狭い。

 タンスや機材があるから本来の大きさよりも圧迫感を感じる。

 こんな場所に明日香を住まわせるわけにはいかない。

 

 思い切って引っ越すか、と意気込んでみたけれど、引っ越しできるほどの資金は用意できていない。

 業者に以来すると何万円も費用がかかる。

 今あたしの全財産は……思い出したくもない。

 少なくとも同世代の一般企業に勤める正社員の給料と貯蓄よりははるかに見劣りするので、毎月本当にカツカツの生活を強いられている。

 なんとか税金を支払えている状態のあたしに引っ越しなんて余裕は持てない。



 口が滑った、と言ってしまえば聞こえが悪いが、実際そうなのだから仕方がない。

 別に冗談で言ったつもりなんて全くなかった。

 ただあの時は、ふとあの言葉がポロリと出てしまったのだ。


 責任を担う自信はない。

 だけど、あの言葉は冗談で出たものではない。


 あたしはこれからも明日香を支えていきたい。

 どんな形でなろうと、明日香を全力でサポートしていきたい。

 あれはその決意の表れ……と呼べるほど仰々しいものではないが、ひょっとしたら潜在的に眠っていた明日香への想いが言葉となって発現されたのかもしれない。


 神様が与えてくれた試練だと思えば少しは気も紛れるだろうか。

 ……ならないな。


 ぼうっと天井を眺めていると、スマートフォンが鳴る。

 ゆっくりと起き上がり、メッセージを確認すると、明日香からだった。

 入院中に彼女からメッセージが届くのは初めてだ。

 何の用だろう、と思ってアプリを開く。


『ごめん、今日のこと両親に全部言っちゃった。明日話がしたいって言ってるんだけど、佳音明日予定ある?』


 嘘でしょ、とつい口にしてしまった。

 やっぱり聞かれていたか。

 どおりで少し神妙な顔つきをしていたのか合点がいった。


 しかし考えさせて、と言ったのに、どうやらその時間すら与えてもらえないらしい。

 なかなかハードなことをさせるな。

 思わず乾いた笑みがケラケラとこぼれてしまう。


 いや、笑いごとではない。


 慌てて明日のバイトの予定表を確認する。

 明日のシフト表にあたしの名前はなかった。

 おまけにサポートの仕事も入っておらず、何一つとして予定はない。

 何もない日なんて基本ないのに、どうしてこういう時に限ってあまり嬉しくないイベントばかり重なってしまうのだろう。

 こんなの、出向くしか道は残されていないじゃないか。


「明日、殺されるかもなあ」


 重たい溜息をつきながら、明日香に「大丈夫」とだけメッセージを送った。

 本当は「大丈夫じゃねーよ」と子供のようにわめき散らしたい気持ちでいっぱいだ。

 だけどこういうのは早いうちにケリをつけた方がいいのだろう。


 また明日香からのメッセージが返ってきた。


『急なお願いだったけど、本当によかったの?』


 尋ねるくらいなら最初から訊くな、と少し悪態をついてしまう。

 それくらい今の精神状況に余裕はない。

 だがもとはと言えば自分が蒔いた種だ。

 責任を取るのが筋だろう。


 そんなことはわかってはいるけれど、実際問題そう簡単に引き受けられない。

 お金、住む場所、その他諸々……誰かを養うということは、様々な問題を背負うということと同義だ。

 そんなゆとりがあるかと問われたら、間違いなくないと答える。


 とはいえ、明日香を支えていきたいという気持ちに変わりはない。

 これでは堂々巡りだ。


 あたしはスマホの画面をコツンコツンと人差し指の第2関節でつつきながら、いい対策を考える。

 その前に明日香への返信だ。


「明日はバイトもサポートもないし、予定は空いてるから大丈夫。それに、こういう問題は早めに解決しないといけない気がするから。あたしの気持ちもちゃんとハッキリしておきたいからさ」


 それに対する明日香の反応は「わかった」だけだった。


 明日、いよいよ決戦の火蓋が切られる。

 おそらく明日香の今後をどうするか、と言う話し合いが名目なのだけれど、事実上の糾弾に近いことをされるのだろう。

 どんな罵倒を浴びせられるのだろうか。

 想像するだけで胃がキリキリしてきた。


「あークソッ」


 ネガティブなことばかりが頭の中で渦巻く。

 これ以上考えても仕方がない。

 エレキギターのケースを開き、アンプもつけずにひたすらぐちゃぐちゃに音をかき鳴らす。

 しかしどんなノイズでも気持ちを誤魔化すことはできなかった。

 それどころか余計に感情がぐちゃぐちゃになっていく。


 ギターを鳴らす手を止め、また横になった。

 とりあえず今日はもう何もしたくない。

 ギターを片付けるのも、食事をするのも、何もかもが億劫だった。

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