第35話「ようこそ、わが家へ」
新居では既に野島さんや萩本さん家族が待っていた。
「じゃあ、さっさと運んで、いらないものは粗大ごみに出しちゃいましょう」
野島さんの合図であたしたちは作業を進める。
家具を壁などに当てないように搬送しなければいけないので、かなり神経のいる作業だけれど、そこは男性陣の2人がなんとかしてくれるからとてもありがたい。
あたしと明日香と萩本さんの女性陣は段ボールの荷物を次々と運んでいく。
元々段ボールが少なかったというのもあり、あっという間に荷物は全て片付いた。
「本当にありがとうございました。このご恩はいつか必ず」
「いやいや気にしなくていいよ。困ったら助けるのが人間でしょ」
さらりと野島さんの姿はいつもよりも凛々しく見えた。
これで太っていなければ完璧だったのに。
萩本さんの旦那さんにも感謝しなければならない。
あたしとは面識が全くなかったのにもかかわらず、こうして応援に駆けつけてくれたのだから。
「あの、今日は本当にありがとうございました」
「いえ、大丈夫です。それより家内から聞きました。音楽活動をされているそうで。懐かしいなあ、僕も学生時代にバンドを組んでたんですよ。それで勝手にシンパシー感じちゃって」
「はあ……」
眼鏡の奥で彼が微笑む。
その笑顔がとても素敵で、なるほどこれは萩本さんも惚れるわ、と思った。
優しい人なんだろう、というオーラが立っているだけで滲み出ている。
こんな人と結婚できた萩本さんは幸せなんだろうな。
萩本さんに羨ましさを感じながら、ぐるっと部屋の中を一望する。
以前まで住んでいた一室とは明らかに広さが違う。
手を伸ばしても、腕は壁に届かない。
さすが2DKだ。
不動産の人には1LDKの方を勧められたが、2DKの方が家賃が安かったのと、お互いのプライベートのスペースを確保できるということもあって、2DKにした。
とはいえこの広々とした空間にはまだ馴染めそうにない。
ひとまず部屋のレイアウトは後回しにしよう。
「それじゃあ僕は帰るけど、また困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございました」
ペコリと頭を下げ、あたしは野島さんにお礼を言う。
野島さんは軽トラックの運転席からニッコリと微笑み、車を出発させた。
荷台にはまだ衣装ケースが残っていたけれど、新しく買い替えるつもりだから問題はない。
「それじゃあ私たちもこれで」
萩本さんたちも帰っていった。
帰り際に葉月ちゃんは明日香にぎゅっと抱きしめて離れなかったけれど、明日香がなんとか宥めてくれたおかげで事なきを得た。
「可愛かったなあ、葉月ちゃん。なんだか昔の涼葉ちゃんを思い出すよ」
「あー、今はなんかちょっと生意気になったからなあ」
「そんなことないよ、すごくしっかりした子になってた」
「じゃあそれ、本人に伝えてあげて。きっと喜ぶから」
オッケー、と明日香はスマホにポチポチと文字を打つ。
きっと涼葉にメッセージでも送っているのだろう。
涼葉と明日香が連絡先を交換したのはあのお見舞いの日が初めてで、それ以来ちょくちょく連絡を取り合っているようだ。
「どうしたのいきなり、だって。可愛いね」
「そりゃいきなりそんなこと言われたら、誰だって戸惑うよ。ほら、自分の荷物の整理して」
明日香が実家から持ってきたのは、衣類やノートPC、あとは必要最低限の必需品くらいで、案外荷物は少なかった。
トランクケース2個相当だろうか。
「これだけ?」
「うん。充分かなって。服はこっちで調達すればいいと思って。最悪貯金もあるし」
ほら、と明日香はあたしに貯金通帳を見せてくれた。
そこに書かれてある金額は……言えないけれど、少なくともあたしの貯金額よりははるかに多い。
「な、7桁……」
というか、もうすぐ1000万円行きそうな額だ。
大手はすごいな、なんて感心したけれど、その代償が明日香の命だとしたら元も子もない。
当面は明日香の貯金でなんとかなりそうだけど、それも有限ではない。
それにちゃんとあたしが稼いだ金で明日香を支えてあげなければ意味がないのだ。
「大丈夫、そのお金は最終兵器として温存しておくから。とりあえず今はあたしの貯金からなんとかやりくりする」
「はーい」
呑気な返事をし、明日香はケースから自分の荷物を取り出す。
「佳音、どっちの部屋使いたい?」
「どっちでもいいよ。明日香が選んで」
「うーん、じゃあ東側」
そう言うと明日香は東側の部屋に自分の荷物を運んでいく。
あたしも自分のの持つを西側の部屋に持っておき、梱包から外していく作業を進めた。
ほとんどがらんどう状態だった部屋もいろいろ家具を置いたりしていくとそれなりに狭い。
とはいえダイニングだけでも以前の4畳半と比べたら随分とマシな広さをしているので、何とも言えない。
ただご飯を食べて、ダラダラと時間を過ごすだけなら何も問題はないだろう。
「今日から一緒に暮らすんだね」
「どんな感じ?」
「楽しみ。佳音は?」
「あたしも」
ふふ、と笑みがこぼれた。
本当に明日香を支えられるのか、という不安は多少はあるけど、今は楽しみの方が圧倒的に勝る。
これから新しい暮らしが始まるんだ、と思うとなんだかワクワクしてきた。
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