第34話「引っ越しのお手伝い」

 4月1日、土曜日。


 集まったのは野島さん、それと萩本さんとその旦那さんに娘さん、そして明日香だ。

 一応咲良ちゃんにも誘ったのだけど、先約があったらしく、行けない、とメッセージが返ってきた。


 一同は明日香を見て同じ顔をする。

 目を丸くして、呆然と明日香に見惚れるその様子は、傍から見ると少し面白かった。


「初めまして! 石神明日香です! 今日は私たちの引っ越しのお手伝いとして来ていただき、誠に──」

「明日香、硬いよ」

「えー、だって明日香の職場の人たちなんだから、ちゃんと挨拶した方がいいでしょう?」


 別にしなくていい。

 というかこんなかしこまった挨拶できたんだな。

 まあ、大手に就職していたということもあり、その辺は叩きこまれたのかもしれない。


「えっと……てっきり宮村さんだけが引っ越しすると思っていたんだけど」

「2人で同棲するんです、私たち」


 野島さんの問いに惜しげもなく明日香が返答する。

 そんな風に堂々と言うものだから、萩本さんの旦那さんは動揺してしまって眼鏡のブリッジを何度もいじる。

 萩本さん本人も「これも多様性なのかしら」とどこか納得している様子だったけれど、あたし、前々からそんなアピールしていただろうか。


「まあかくかくしかじかあって、一緒に住むことになりまして」

「なる、ほど……」


 戸惑う野島さんだったけれど、覚悟を決めたように、ふう、と呼吸を置く。


「じゃあ、荷物をトラックに詰め込もうか」


 野島さんの号令と共に皆が一斉に作業に取り掛かる。

 段ボールの荷物を野島さんの軽トラックや萩本さんのワゴン車に詰め込んでいく。

 あまりものを置かない主義のあたしの性格が功を奏したのか、あまり荷物は多くなかった。


 明日香はと言うと萩本さんの娘さんの面倒を見ていた。


「ほら、輪ゴムはどっちの手に入ってるでしょうか」

「うーん、右!」

「本当かな? お、大当たり!」

「やったあ!」


 明日香の面倒見がいいのか、それとも娘ちゃんが懐きやすいのかわからないけれど、すぐに2人は仲良くなっていた。

 そういえばあたしの家に明日香が遊びに来た時も、こうして涼葉の面倒を見てくれていたっけ。


「あら葉月はづき、もうお姉ちゃんと仲良くなったの?」

「うん、あすかおねーちゃん、すき!」


 少女は屈託のない笑顔を明日香に向けた。

 それに応えるように明日香もニッコリと微笑む。


「可愛いですね」


 あたしは萩本さんに声をかけた。


「ええ。葉月って言うんです。8月に生まれたから、葉月。夫が名付けてくれたんですけど、安直でしょう?」

「いえいえ、素晴らしい名前だと思いますよ」

「そう? やっぱり? うふふ」


 なんだ、ただの惚気か。

 キラリと光る左手薬指は、いつもより鬱陶しいオーラを放っていた。

 いつもは気にしないのだけど、こういう時に幸せアピールをされると少々げんなりしてしまう。

 本人に悪気はないから何も言えないのだけれど。


 でも幸せなんだろうな。

 なんだか萩本さんの笑顔を見ていると、こっちまで笑顔が伝染してしまう。

 あたしもいつか素敵な人と結婚……できるわけないか。


 現実を思い知ったところで、あたしは再び部屋を見渡した。

 4畳半という狭い部屋だったけれど、こうして全て空っぽになってしまうと、なんだか少し広く感じる。

 もうこれで最後なんだ、と思うと目頭が熱くなってきた。

 5年という時間は、この場所に思い入れを育ませるには十分すぎた。


「いろいろあったけど楽しかったよ、ここでの生活」


 ありがとう、とこの部屋に別れを告げ、あたしはアパートを後にする。

 実は新しい家まではここから歩いてでも行ける距離にあり、あたしと明日香は徒歩で新居に向かうことにした。


「引っ越す前に一度でいいから明日香の家に遊びに行きたかったな」

「とてもじゃないけど人なんて呼べなかったよ。明日香の家が広すぎたのもあるし」

「あ、私が遊びに行こうとしても頑なに断ってたのってそれが理由?」

「まあ、うん」


 コクリと頷き、明日香は肩を落とす。


「別にそんなの気にしないのに。私のあの部屋だってもう解約したし、会社だって辞めたんだから」

「ふうん……え、会社辞めたの?」


 それは初耳だ。

 思わず聞き返してしまった。


 あたしの問いに何の臆面もなく明日香は「うん」と首肯する。

 いい会社だったのにもったいないと思いつつ、そりゃそうだろう、とどこか納得する自分もいた。

 事実、あたしが知る限りにはなるけれど、明日香の会社の人は誰一人としてお見舞いに来なかったし。

 単純に明日香の交友関係が浅いのか、それとも他人のことなどお構いなしの使い捨て要員としか見ていなかったのか、はたまた別の理由かはわからない。

 だがこれ以上詮索する気もないし、明日香本人も納得しているようなので何も言わないでおこう。


「あー、すっきりした」


 グッと明日香は両腕を上に掲げ、背筋をピンと伸ばす。

 入院していた時より随分と笑顔が明るくなった。

 そうだ、これが明日香の本来の笑顔だ。

 やっと本当の明日香が帰ってきたんだ。

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