第4話「変わり果てた姿」

 駅名を告げるアナウンスがあたしを過去の回想から現実へと引き戻す。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 いい夢を見た、と言いたいところだけど、いまのあたしにとってあの夢は走馬灯のようにも思える。


 重いギターを背負い、電車を飛び出した。

 体力はもう残っていない。

 それでもヘトヘトになりながら、あたしは走る。


 マンションに向かった時以上に息も絶え絶えになりながら、近くの大学病院へとたどり着いた。

 あの現場から一番近い病院はまずここだ。

 だから搬送されるならここが最も可能性が高い。


 けれど、もしいなかったら……?


 勢い任せで行動してしまったけれど、そもそもここに明日香がいる保証なんてどこにもない。

 急に不安がまとわりついてくる。


 どうしよう。

 もし病院を間違えて、ここにはいなくて、そして、別の病院を探している間に明日香が……。


 嫌なことばかりが頭をよぎる。

 とにかくネガティブ思考はやめよう。

 もしここにいなくても、次の病院、そこにいなくても次の病院、しらみ潰しで探すだけだ。


 病院の中には入ることができたけれど、その先がわからない。

 ウロウロとエントランスをグルグル回ることしかできなかった。


「どうしました?」


 ナース姿の若い女性が、あたしを心配するような目で見てくる。

 警官に続き、彼女にも不審者だと思われてしまっただろうか。


「あ、いや、えっと……ここに、石神明日香はいますか?」


 頭がパニックになってしまったので、思わず彼女に尋ねてしまった。

 しかし彼女はいかにも不審なあたしを疑うこともせずに「確認します」と言って、受付のところに向かった。


 事務員だったのだろうか。

 まあ、明日香の居場所がわかるのなら誰だっていい。


 確認業務の間はその場に立ち止まってただ祈ることしかできなかった。

 本当はこんな場所に明日香がいてほしくなかった。

 全部あたしの勘違いで、明日香は、今もどこかで元気にしている。

 そんな理想を信じているあたしがいる。


 どうせ「ドッキリ大成功」と大きく書かれたプラカードでも持ってあたしのことをからかっているんでしょう?

 そうに違いない。

 そうであってくれ。


 だからいつものようにいたずらっ子の笑顔で出てきてほしい。

「やーい、引っかかったー」と煽られても、今だけは文句言わないから。


 お願い……。


 少しして、先程の看護婦の人が神妙な面持ちでやってきた。

 まさか……と最悪の想定を覚悟しながら彼女の言葉を待つ。


「現在救命救急センターで集中治療を行っています。よろしければ案内しましょうか?」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。

 ゴーン、とハンマーのような何かで殴られたような衝撃があたしを襲った。

 けれど、明日香がここに運ばれて、まだ生きていることがわかったことだけは不幸中の幸いなのかもしれない。


「よろしくお願いします。早く連れて行ってください」


 それから身分証の確認等を行い、あたしが怪しいものではないと判明したところで、あたしは事務員さんに連れられて明日香のところへ向かう。


 とりあえず最悪なことではなくてよかった、とほんの少しだけ安堵するけれど、次にどうか無事でいてほしいという別の心配が生まれた。

 とにかく7階から落ちたのだ、ただで済んでいないのは間違いないだろう。

 早く明日香に会いたいという気持ちと、会いたくないという気持ちがせめぎ合う。


 救命救急センターなんて、来るのは初めてだ。

 そんな施設があることすらあたしは知らなかった。


 目的の場所に近づくにつれ、ピリついた異様な雰囲気になっていくのが肌で伝わってきた。


 ここに、明日香がいる。


 どんな姿であっても受け入れようと、そんな風に自分を言い聞かせていた。

 だけど実際集中治療室を前にすると、目の前の現実を認めたくない自分がいた。


「明日香……」


 ガラス越しに見える明日香は、ドラマでしか見たことのないような管や機械に繋がれていた。

 シルエットだけだったので本当に明日香なのかと疑いたくなったが、ネームプレートに「石神明日香」と記されていたのをあたしは見逃さなかった。


 今、あそこで眠っているのは、紛れもなくあたしの親友である明日香本人なのだ。


 何も言葉が出ない。

 ついさっきまで電話していた相手がこんな痛々しい姿になるなんて。

 一気に血の気が引いていく。


 どうしてこんなことになってしまったんだ。

 あたしとか、家族とか、他に誰か頼れなかったのか。

 明日香がこんな風になるまで苦しんでいるとわかっていたら、全ての仕事を放棄して明日香の元へ飛んでいったのに。


 また、ボロボロと涙がこぼれる。

 目的地に着いて、足を止めてしまったからかもしれない。

 涙は留まることを知らず、滝のように流れ続けた。

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