第5話「一抹の希望」

 しばらくして明日香の両親がやってきた。

 2人はあたしのことなんか見えていないようで、明日香の姿を見てはボロボロと涙を流していた。

 母親の弥栄子やえこさんは膝をついて泣き崩れ、父親の雄一郎ゆういちろうさんがそれを宥める。

 こんなに辛そうな2人を見るのは初めてだ。


「ご家族の方、でよろしいでしょうか。石神明日香さんの現状についてご説明したいのですが」


 病室から青い医療服を着た男性が出てきた。

 救命救急部部長、という肩書が首からかかる名札に書かれている。


 ここで、2人はようやくあたしの存在に気づいた。

 どうしてここにいるの、という表情を弥栄子さんはあたしに向ける。

 この場にいちゃいけない、という空気が直感で伝わった。


「あなたも?」


 医師はあたしに尋ねる。


「いえ、あたしは明日香の友達で、その……邪魔であれば帰りますので」

「待ちなさい」


 そう後ずさりするあたしを雄一郎さんが呼び止めた。


「この子も一緒に説明を受けさせてあげてください。明日香の大切な友人なんです」


 大切な友人、と称されて少し涙腺が緩む。どうして、と弥栄子さんはあたしに懐疑的な目を向けていたけれど、何も言わなかった。


あたしは彼に続いて「お願いします」と頭を下げた。


 わかりました、と医師は明日香の現状について淡々と説明した。

 彼が発する言葉の中には、どうしても受け入れたくない内容も含まれていた。


 想像の通り、明日香は自殺を図り、7階の自室から飛び降りた。

 しかし運よく自転車駐輪場の屋根に落ちたことにより、なんとか一命をとりとめているそうだ。

 しかし危険な状態に変わりはなく、まだ回復の見込みはないらしい。


 私から言えるのはそれだけです、と無表情な顔から出てくる声は、どこか苦しそうだった。


「娘は、明日香は助かるのでしょうか」

「わかりません。最善は尽くしました。あとは祈るしかありません。今は予断を許さない状態です。我々も全力でサポートしますが、万一の場合も想定しておいてください」


 質問した雄一郎さんが絶句する。

 神頼み、という言葉は傍から見れば無責任かもしれない発言だけど、医師の顔を見るに本当に手は尽くしたのだろう。

 あとは明日香を信じるだけだ。


 失礼します、と医師はその場を立ち去った。

 あたしたちもロビーへ向かう。

 既に面会時間は過ぎてしまっていた。


「あの」


 思わず2人に声をかけてしまった。

 こんな時、どんなことを言えばいいのだろう。

 頭の中が真っ白になってしまう。


「宮村佳音さん、だったね」


 雄一郎さんがあたしの名前を呼ぶ。

 けれどフルネーム呼びに妙な威圧感を感じ、喉が締め付けられるような返事しか出なかった。


「あの子と友達でいてくれてありがとう。多分明日香も、君と出会えて幸せだったと思う」


 ただそれだけだった。

 何か言葉にするのも辛そうで、彼は口元を噛みしめている。

 あたしを見るその目は、もはや諦めにも似ていた。


「そんな諦めるようなことを言わないで頂戴。まだ明日香が死ぬと決まったわけじゃないんだから」


 強い口調で、弥栄子さんは雄一郎さんに詰め寄った。

 そして今度はあたしを睨む。


「どうしてあなたがここにいるのかはわからないけれど、これはうちの家庭の問題だから、これ以上は関わらないで」

「……すみません」


 反射的に謝ってしまった。

 昔からあたしはこの人のことが苦手だ。

 よく明日香が「お母さんが厳しくて」と愚痴をこぼしていたことを思い出す。


 雄一郎さんは彼女に対してまあまあと宥めていた。


「今日はとにかく帰りなさい。面会時間も過ぎているから」


 あたしを気遣っているのか、口角は上がっているけれど、にじみ出る切望と絶望は隠しきれていない。


 失礼します、とだけ言ってあたしはその場を立ち去った。

 結局あたしは2人に何を言いたかったのだろう。

 背負ったままのギターケースは、来た時よりも随分と重かった。


 あの時、明日香はどんな思いであたしと会話していたのだろう。

 別れの挨拶か、それともあたしに止めてほしかったのか。

 もし止めてほしかったのなら、あたしは何を言えばよかったのか。

 あたしの言葉で明日香は飛び降りをしなかったのか。


 電車の車窓に映るあたしの顔はかなり不細工だった。

 髪はボサボサで、目元は真っ赤。おまけに顔色が真っ白だ。


「酷い顔」


 自嘲するようにあたしは呟く。

 窓の奥には、いつも通りの夜の街が広がっていた。

 道路に立ち並ぶビルも、行き交う車の往来も、せわしなく歩く雑踏も、何もかもが変わらない。

 その光景が、まるであたしを嘲笑っているかのように見えた。


 自宅に戻り、あたしは布団も敷かず横になった。

 スーパーで買ったおにぎりとサラダなんか食べる気力なんてない。


 明日香との思い出が次々に流れてくる。

 初めて出会った日のこと、一緒に音楽をしたこと、何気ない日常……今までの明日香との全ての思い出が鮮明に脳内に映し出される。


「死なないで……」


 小汚い4畳半でボロボロと涙をこぼすアラサーの姿は、きっと地球上の誰よりも醜い姿をしていただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る