第6話「虚無と絶望」

 気が付けば朝になっていた。

 眠った記憶はないけれど、一晩中泣いていたらこうなっていた。


 今日はバイトもないから一日暇だ。

 ひょっとしたら「明日香を誘ってどこか出かけよう」という発想は、第六感が告げた虫の知らせなのかもしれない。


 わずかに残っていた体力を振り絞って起き上がり、昨日買ったおにぎりを一口かじった。

 これだけでもうお腹がいっぱいだ。

 と言うより、食事が喉を通らない。


 カーテンを開けると、鬱陶しいほどに眩しい太陽があたしを照らす。

 世界は何事もなく廻っているんだな。

 そう思うとなんだか無性に虚しくなる。


 とりあえず流れ作業のように顔を洗って、着替えて、またごろんと横になってスマホを開く。

 ロック画面のデジタル時計は10時3分を示していた。

 そういえばこのロック画面、高校の卒業式に明日香と一緒に撮った写真だ。

 写真の中の明日香はこんなにも楽しそうに笑っているのに、どうしてあんな風になっちゃったんだろう。

 すぐにスマホをロックし、ポイッと近くに投げ捨てた。


 上を見ると、無機質な天井に集中治療室での彼女の姿が映る。

 昨日食べたものも忘れるくらい物覚えの悪いあたしだけど、あの光景に限ってしまえば、色、匂い、空気感……何から何まで鮮明に覚えている。


 あんな痛々しい明日香、もう見たくない。

 できることなら、もうあの病院に足を運びたくなかった。


 でも……。


 自然と身体が起き上がる。

 体力も十分に回復していないけれど、それでもあたしは会いに行きたかった。


 明日香は、あたしにとってかけがえのない、たった一人の親友だから。


 スマホを拾い上げ、財布と一緒に小さめの鞄に放り込む。

 駅に向かう足取りは普段よりも重たく、まるで鉄球つきの鎖を足元に巻き付かれているようで、なかなか前に進まない。


 病院までの道のりは思っていた以上に長かった。

 昨日は正気ではなかったから電車の中の時間なんてあっという間に感じたけれど、実際は明日香の家に行くよりも時間がかかる。


 20分くらいしただろうか、ようやく病院に着いた。

 集中治療室の中で眠る明日香は相変わらず管に繋がれたままで、動く気配すらない。

 まあ、昨日の今日だから当たり前なのだけど、一晩経って頭が冷静になったからこそこの現実が重たくのしかかってくる。

 本当は今すぐに明日香の傍に行ってあげたいけれど、集中治療室への面会は原則親族しか許されていない。


「明日香、来たよ」


 窓越しに呟くけれど、当然反応はない。

 それでもあたしは独り言のようにぶつぶつと語りかけた。


「今の明日香にさ、なんて声かければいいのかわかんないけど、まあ、今はゆっくり休んで、元気になったらまたどっか遊びに行こうよ。どこでもいいよ、明日香が行きたいと思うのならどこでも。北海道、沖縄、あ、外国もいいかもしれない。だから、えっと……だから…………」


 言葉が詰まってしまう。

 気を許せば、また涙がポロポロと流れ落ちてしまいそうだった。


 何やってるんだろう、あたし。


 虚しさだけが心の中に残る。

 支えになってあげたいのに、今は明日香に触ることすらできない。

 もどかしい気分だ。


「明日香……」


 最後にそれだけ呟いて、病院を後にした。

 これ以上あの場所にいたら、あたしの方が壊れてしまいそうだったから。


 また20分かけて自宅に戻り、エレキギターを取り出してやけくそにかき鳴らした。

 アンプも繋いでいないから、弦が弾く音しか聞こえない。

 それでもこのぐちゃぐちゃになった感情を、一度全て昇華してしまいたかった。


 コードもメロディーも何もかもを無視して、ただひたすら感情をギターにぶつける。

 このまま弦が千切れてしまっても構わなかった。

 なんならギター本体を振り回して破壊してやろうかとすら考えた。

 だけど次第に虚しさが勝ってしまって、ギターをかき鳴らす勢いがだんだんなくなってしまう。

 結局そのままギターをケースにしまい、また横になってぼうっと天井を眺めた。


 ピコン、とスマホの通知音が鳴る。

 理恵からだった。


『明日、路上ライブ行くよ。

 下手な演奏したら許さないから』


 そういえば明日は不定期でやっている路上ライブの日だ。

 明日香の件があったから、ライブをしようという気力すら湧いてこない。


「ごめん、明日はやれそうにない」


 そう送ると、すぐに返信が来た。


『何かあった?』

「まあ、いろいろあってね。

 詳しいことは今度話す」


 そっか、という理恵からのメッセージを未読スルーし、再びスマホをその辺に投げ捨てた。

 とにかく今は独りになりたい。


 ただ時間だけが流れていく。

 カーテンも閉め切った部屋の中、ぼうっと天井を眺めて一日が過ぎ去っていくのを待った。

 しかし日付が変わるまであと12時間弱もある。

 それに、日付が変わったところで何かが変わるわけでもない。


 虚無だった。

 目に映るもの全てが色あせて見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る