第12話「いい演奏だったよ」

 咲良ちゃんと別れて間もなく、一本の電話がかかってきた。

 相手の名前を見てほんの少し顔が歪む。


「…………はい」

「あ、佳音さーん、まだ外ですかぁ? 暇なら一緒に飲みません?」


 すでに出来上がった杏奈さんの声だった。

 彼女は飲むとすぐ脱ぎたがるし、周囲を脱がそうとする変態に変貌する。

 質の悪いことに、酔っ払った時の記憶が全く残らないから厄介だ。


 杏奈さんの声に割って入るよう、理恵の少し苛立った声が届いた。


「佳音、ヘルプ」

「……はいはい」


 電話を切り、彼女たちの向かった店に向かう。

 そこまで離れた距離ではないものの、来た道をもう一度戻るのはそれだけで心労になる。

 それに、どうせ杏奈さんや真由美さんを介抱しなければならないのだろう。


 はあ、と溜息をつく。

 身体が重たいのはギターを背負っているからだけではない。


 店に入ると、えへへへへー、と杏奈さんが抱き着いてきた。

 既に脱ぎ魔になっていて、上は今日着たライブのTシャツ1枚だけになっている。

 薄着だから起伏のある体のラインがまるわかりだ。


「ちょっと杏奈さん、お酒臭い」

「そんなこと言わずに飲みましょうよぉ」


 杏奈さんはガシッとあたしの腕を掴み、残りのメンバーが座っている席へと引き込んだ。

 ドラマーのせいかものすごく腕力が強い。

 振りほどこうとしてもなかなか振り払えない。


 結局あたしは杏奈さんの隣に座らされ、目の前で鋭い眼光を放つ理恵に委縮してしまった。

 理恵の隣にいる真由美さんは普段のクールな表情と打って変わってニコニコと微笑んでいる。


「な、何?」

「いや、ちょっと杏奈の面倒見るの疲れたから代わりに相手してよ」

「そのためにあたしを呼んだの?」

「それ以外あるかよ」


 鼻で笑われた。

 彼女は酔うといつも以上に粗暴になる。

 専門学校時代の飲み会ではよく騒いでいたけれど、その頃と比べたら随分と大人しくなったものだ。


 とりあえずとりもものたれを1本とビール一杯、あとおつまみの枝豆を注文した。

 隣の杏奈さんは「もっと飲みましょうよ」と相変わらず腕を掴んで離さない。

 むにゅん、と彼女の柔らかいものが腕に当たる度に、ふつふつと殺意が僅かながらに沸いてくる。


「ねえ理恵、この席変わって?」

「断る」


 そりゃそうだ。

 こんなウザ絡みなんてされたくない。


 注文した商品がやってくる。

 焼鳥の香ばしい匂いだ。

 ここに来るまで全くお腹が空いていなかったけれど、少し食欲がわいた。


「それだけで足りるの?」

「歳のせいかな。このところあまり胃に入らなくて。あとお金がない」


 ふうん、と不思議そうに眺める理恵の前につくねが置かれた。

 そのついでに杏奈さんのところにレモンサワー、真由美さんのところにビールが運ばれる。


「ま、今日はライブだったからさ、お腹もいつも以上に空いてると思うし、遠慮せずにじゃんじゃん食べてね」

「でも割り勘なんでしょ?」

「まさか。自分で食べた分は自分で支払いましょう」


 そこは奢ってくれる流れではないのか、という言葉は胸中にしまい込んだ。


「それで次のライブどうしようか」

「もうすぐクリスマスだしぃ、その辺にまたもう一回やりたいよねぇ」


 理恵の問いに、レモンサワーを飲みながら杏奈さんが答える。


「私もそれで問題ない」


 真由美さんも同意する。

 この人は普段寡黙だけど飲みの場だと口数が多くなる。

 それでも少ない方ではあるけれど。


「佳音は?」

「あたしは……うん、みんながそれでいいなら、それでいいと思う」

「そう? ならそれで決定ね。セトリは後で考える。とにかくみんな、今日はお疲れ様。いい演奏だったよ」


 いい演奏だった。


 この言葉が理恵の心からの賞賛ではないということはわかっている。

 当たり障りのない無難な言葉だから、それ故に無難に褒める時に彼女はよくこの言葉を使う。

 逆を言ってしまえば、それ以上の褒める要素が何一つとしてない、と言うことだ。

 もちろんお客さんの反応も良かったし、ライブは大成功とも言える。

 だけどそれだけで満足しないのが理恵だ。


 この言葉は、理恵が求めるハードルが高いがために生まれたものだ。

 そして杏奈さんも真由美さんもちゃんと理恵が求めているレベルに到達している。

 じゃああたしは?

 あたしは理恵が求めるレベルに到達できている?


「どうした、顔が暗いぞ、佳音」


 真由美さんが尋ねてきた。

 大丈夫です、とだけ返し、枝豆に手を付ける。

 塩加減が効いていてとても美味しい。

 しかし少々塩が効きすぎているような気もする。


「私、もっと上手くなりたいです。もっともっと、ギター、上手くなりたい」


 膝上に置いた左拳をぎゅっと握る。

 今のままじゃいけない。

 明日香に誇れるあたしでありたい。


 すると理恵はぽん、とあたしの頭の上に手をやり、わしゃわしゃと髪を撫でた。


「大丈夫。アンタは上手いし、これからももっと上手くなる。アタシが保証する」


 ニッと彼女は笑った。

 続くように2人も笑う。

 その笑顔がたとえお世辞であっても、今はその言葉を素直に受け止めよう。


 そういえば今日は明日香が病院に運ばれて丁度1ヶ月だ。

 今度元気になったら、あたしたちの演奏を聴かせてあげたいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る