第50話「最高のステージ」

 母さんのMCに呼ばれ、あたしたちはステージに上がる。

 客席は簡素なもので、パイプ椅子もなければそもそも立ち止まって聞いてくれる人もいない。

 強いて言うなら、バイト先の人たちが数人、ALTAIRのメンバーが見てくれているくらいだ。

 咲良ちゃんや萩本さん一家が来てくれたのはもちろん予想できていたけれど、まさか芳賀くんまで来てくれるとは思いもしなかった。

 とはいえ、このステージが閑古鳥であることに変わりはない。


 似てるな、路上ライブと。


 なんて思いながら、あたしはマイクを片手にMCを始める。

 台本なんて考えていない。


「皆さんこんにちは。えっと、あたしたち……ユニット名なんだっけ」


 練習に夢中になっていたので、ユニット名なんかつける考える余裕なんかなかった。

 そのことに今さっき気が付いて、途端に頭の中が真っ白になる。

 ここで笑いの一つでも起きればいいのだけれど、そんなうまい話はなく、皆無表情でこちらをじっと見つめる。

 客席に座る理恵は呆れて舌を向いていた。


 そんなあたしを見かねてか、明日香はあたしが持っていたマイクを取る。


「急遽結成したばかりなので、ユニット名は決まっていないんですけど、今日は皆さんの記憶に残るような、そんな演奏をしたいと思います」


 さすが明日香だ。

 こういう咄嗟の対応も完璧にこなす。


 明日香のMCの後、パチパチパチ、とまばらな拍手が返ってきた。

 最初、少しやらかしてしまったけれど、もうこれ以上やらかしようはない。

 そう考えたらかなり気が楽になった。


 ギターを構え、いい? と明日香に目配せする。

 大丈夫、と明日香からのアイコンタクトが返ってきた。


 よし、やれる。


 コツ、コツ、コツ、とピックで三つカウントを取り、あたしたちはギターをかき鳴らした。

 誰も聞いていないかもしれない。

 だけどどこかで誰か一人でも聞いてくれているのなら、その人だけに向けて歌いたい。

 たとえそれが隣で一緒に歌っている相手だけであっても。




泥だらけ 汗まみれ カサブタだってできあがって

なんでこんなことやってんだって 夜の空に吠える




 まずは出だしをあたしが歌う。

 この曲を作った高校時代、あの時のあたしたちは若かった。

 なんでもできる気がして、全部わかった気になって、生意気にもエールソングなんて作ってしまった。


 でもまさか昔作った歌詞が今の現状をそっくりそのまま表してるなんて、なんだか癪だが、多分今のあたしたちに歌われるために生まれてきたんだと思う。




目の前が真っ暗で 脚も上手く動かなくて

僕はずっとここに 立ち尽くしたまんま




 今度は明日香がハモリを入れる。

 いつ聴いても透き通るように綺麗な声だ。

 まああたしだって歌声では負けていないけれど。


 気分が乗ってきた。ストロークにも熱が入る。




それでもね 君がいるから 隣に君がいてくれるから

暗闇だって 怖くないんだ

さあ行こう Be all right




 今度は明日香がメロディを歌う。

 そういえば高校の頃、全然ハモリが合わなくて夕日が沈むまで一緒に練習したっけ。

 なんだかいろんな思い出が歌声と一緒に蘇ってくる。


 観客なんてどうでもいい。

 今はただ明日香と一緒に歌いたい。

 上手いとか下手だとか、そんなの全部振りほどいて、ギターをかき鳴らす。


 目指すのは、いつかテレビで見たあの演奏。




一人じゃできないことだって 二人ならなんだってやれるさ

どんなに険しい壁だって ぶち壊してしまえばいいよ

時間は永遠じゃなくたって 絆は永遠の宝物

君に出会えてよかった

だからどこまでも With you




 力の限りをぶつけた。

 明日香と一緒に音楽ができる楽しさを、一緒に生きている喜びを、ギターと歌声に乗せ、魂をすり減らしながら演奏した。

 明日香も今までで一番生き生きとした表情をしていて、文字通り「音」を「楽しんで」いるようだった。


 ギターを弾く手を振り下ろす度に、心が浄化されていく。

 不思議と、口角が自然と上がっていくのが伝わった。


 ああ、これが音楽なんだな。


 物心ついた時からずっと音楽に触れて生きてきたけれど、この時ようやく音楽というものの真髄に触れられた気がする。


 曲が終わると、あたしはさっきまでがらんどうだった目の前が人で埋め尽くされていたのに気づいた。

 いつからこんなに人がいるようになったんだろう。

 拍手喝采が鳴りやまない。

 咲良ちゃんも、萩本さんも、芳賀くんも、理恵たちも、皆あたしたちに笑顔を向けて拍手を贈る。


 人混みの中をよく見ると、後ろの方で明日香のご両親が涙を流していた。

 ようやく今の明日香を認めてくれたような気がする。

 隣に目をやると、明日香は小さく「ありがとう」と呟いて、涙を流していた。


「…………ありがとうございました!」


 2人で礼をして、ステージを後にする。

 あっという間の10分間だった。

 まさかこんな風になるなんて予想もしなかった。


 どくん、どくん、と心臓の鼓動が鳴りやまないことにようやく気付いく。

 こんなにうるさかったら、明日香にも聞こえているだろう。

 早く鎮まれ、と自分に言い聞かせたけれど、この興奮はしばらく続いたままだろう。

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