第51話「世界で一番幸せなあたしたち」

 壇上から降りると、堪えていた感情が一気に爆発する。

 楽器も片付けずにぎゅっと明日香を抱きしめた。

 他人に見られていようが、知ったことか。


「やったよ! 大成功だよ!」

「ちょ、佳音、苦しい、苦しいって!」


 ぽふ、ぽふ、と明日香はあたしの腕を叩いた。

 だけどもう少しだけ、この抱擁を堪能したい。

 そうしないと、この身体の火照りはきっと冷めないから。


 サポートとして、いろんなライブに参加したことがある。

 路上ライブもたくさんやった。

 だけど今日のそれは今までのどんなステージより一番価値のある宝物だ。


 嬉しさが身体中から止まらない。

 明日香を抱きしめながら、あたしはボロボロと涙をこぼした。


「よかった。よかったよぉ……」


 すると、明日香もぎゅーっとあたしを抱きしめ返す。

 よほど一番嬉しかったのか、それとも先程の仕返しか、今までのハグの中で一番力が強かった。

 けれどこの力加減は嫌いではない。


「私、これからも佳音と一緒に音楽したい」


 明日香は目を潤わせながら、満面の笑みを浮かべる。

 やっぱり、あたしと同じことを考えていたらしい。

 そんなの、答えは一つだ。


「あたしも」


 できることなら、音楽の相方としてだけではなく、人生のパートナーとしても明日香と一緒にいたい。

 共に支え、支えられ、そうやって生きていく。

 それがあたしたちなりの上手な生き方だと思うから。


 簡易テントから出ると、理恵たちがあたしたちを出迎えてくれた。

 あたしたちのためにこんなにも多くの人が集まってくれたことが嬉しい。

 だけどその中に明日香のご両親の姿はなかった。


「聴いてたよ。最高にカッコよかった。アタシ、アンタたちのファンになっちゃうかもなー」

「大げさだなあ。理恵はいつも一緒にあたしと演奏してるじゃん」

「大げさなもんか。ステージの2人、ちょっと羨ましかったからさ」


 理恵にそんな風に言われると、なんだかこっちまで恥ずかしくなる。

 言っている本人も恥ずかしかったのか、滅多に見せない赤面顔を見せた。


「お疲れ様です」


 今度は芳賀くんだ。

 いつもの不愛想な表情とは違い、少し柔和な雰囲気が出ている。


「初めて聴きましたけど、すごくよかったです」

「でしょう? だから言ったんですよ。佳音さんはすごいんだって」

「ああ、それもう100回くらい聞いたから」


 ふん、と咲良ちゃんはなぜか自慢げに胸を反らす。

 辟易とした表情を芳賀くんを浮かべている辺り、かなりあたしのことを口うるさく言われたんだろうな。


 はあ、と溜息を吐き出した彼はこちらに目線を向けた。


「俺も、何か夢を見つけられるように、頑張ります」

「…………そっか。頑張れ、応援してる」


 随分と大人になったものだ。

 そんな風に言われたら、ちゃんとやらねば、という使命感が燃えてくるじゃないか。


 だけどあたしたちが頑張ってこられたのは、この人たちがいたからだ。

 理恵に、杏奈さんに、真由美さん。

 そして咲良ちゃん、芳賀くん、萩本さん、野島さん。

 もちろん母さん、涼葉、それに明日香だって。


 誰か一人でもかけていたら、あたしはまだ後ろを向いていたかもしれない。

 少しは、みんなに恩を返せたかな。


「みんな、今日は本当にありがとう。あたし、もっと頑張るから、応援してください!」

「当たり前じゃん。もっと頑張ってもらうよ」


 あたしが頭を下げると、理恵はコツンとアタシの後頭部を拳で軽く突いた。

 その影響でバランスを崩し、思わず転んでしまいそうになったけれど、何とか立て直す。


 賑やかな集団の中、独りだけぽつんと取り残されている人がいた。

 明日香だ。

 他の人たちは皆あたしとの交友があるけれど、明日香とはほとんど何もない。

 だから、疎外感を覚えているのだろう。

 こちらに手招きしても、明日香は少し離れた場所で首を振るだけだった。


「明日香お姉ちゃん!」


 息を切らしながら涼葉がやってくる。

 あのステージの観客席の中に涼葉の姿があったこと、もちろん見逃すはずがない。


「涼葉ちゃん、どうしたの?」

「あの、明日香ちゃんのお父さんとお母さんから伝言を預かってる」


 え、と明日香が言葉を詰まらせた。

 直接言ってあげたらいいのに、と思ったけれど、涼葉曰く「直接対峙すると何を言えばいいのかわからなくなってしまう」とのことらしい。


「それで、お父さんとお母さん、なんて言ってた?」

「えっと、『素敵な演奏だった。すごく生き生きして、感動した。これからも、あなたらしい音楽を貫いてください』だって」


 この言葉を贈ったのは弥栄子さんの方だそうだ。

 そっか、認めてくれたんだ。

 自分のことではないけれど、嬉しさが心の奥底から込み上げてくる。

 だけど明日香の方がもっと大きな感情を抱いているに違いない。


「そっかあ、お母さんが、そんなことを……」


 ボロボロと涙をこぼし、今度は明日香の方があたしに抱き着いてきた。

 ギューッと力強い抱擁は、しばらく解かれそうにない。


「ありがとう佳音、これからもよろしく」

「こちらこそ、これからもよろしくね」


 ぎゅーっと、お互いを確かめ合うように抱きしめた。

 あたしたちは、今世界で一番幸せだ。

 この幸せが、ずっと、ずーっと、続いていけますように。

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