第10話「タバコ」

 数日経ち、あたしはALTAIRのサポート練習に回っていた。

 あと1週間でライブだから、皆演奏に力が入っている。

 サポートとはいえ、あたしだって情けない演奏なんてできない。


 10分休憩、と理恵が言ったので、お手洗いついでに喫煙室に向かった。

 ポケットから電子タバコを取り出し、一服しながらスマホを眺める。


「よっす」


 喫煙室に入ってきたのは理恵だった。

 少し藍色がかったウルフカットの毛先は少し痛んでいて、だけどその粗雑さが彼女の狼らしさを引き立たせている。


 しかしALTAIRの中では唯一の喫煙者である彼女だが、ここ最近は禁煙していたはずだ。

 まあ理恵の禁煙が失敗するのは今に始まったことではないけれど。


 理恵は壁にもたれかかると、ライターで火をつけてタバコにやる。

 ふう、と白い煙が放たれた。


「タバコ、やめたんじゃなかったっけ」

「やっぱり吸わなきゃやってらんないよ。ストレスばっかでさ」

「そう、なんだ……」


 気持ちはわかる。

 あたしだって気分が落ち込んだり悩み事がある日は、全てをうやむやにするように何もかもを全部吐き出してしまいたくなる。


 はあ、と白い煙を吐き出し、理恵の隣に行く。


「佳音さ、最近何かあった?」

「……やっぱりわかるよね」

「当たり前でしょ? 路上ライブ蹴った時だってそうだったけど、ここんところすごく思い詰めてるみたいだからさ」

「うん、いろいろあってね……」


 明日香のことを理恵に話そうかと考えたけれど、そこまで開けっ広げに全てを打ち明けられるほどの深い関係ではない。

 それに、他人に軽々しく他言できるようなものでもない。


 理恵はタバコを吸いながら、淡々と言葉を並べていく。


「ま、大変だとは思うけど、私情を演奏に持ってくんなよ? アタシ、それが一番嫌いだから」


 その言葉はまるで氷よりも冷たく、触れただけで一瞬にして凍らされてしまいそうな、そんな絶対零度の冷酷さがあった。


 昔から、理恵は音楽にストイックだった。

 妥協なんて一切認めず、丁寧で力強い音を作り上げていく。

 そこが彼女のすごいところで、あたしが一番尊敬しているところだ。

 あたしはこんな風に音楽に対して非情になれないから。


「まあアタシはそんなことより、いい加減返事をもらいたいんだけど」

「返事、か……」


 ざらりと気色の悪い感触が理恵の言葉と共にあたしの肌を触る。

 スマホを見るふりをして、あたしは彼女から目線を逸らした。


 ALTAIRとは昨日今日の付き合いではない。

 彼女たちとはもう1年くらいの長い付き合いになっている。

 当初から理恵に「メンバーになってくれ」と勧誘を受けているけれど、あたしはいつもその言葉を保留にし続けていた。


「もう1年近くライブもやって、ファンもアンタのことを4人目のメンバーだって思ってる」

「メンバーなんて、あたしには荷が重いよ」

「またそれ。結局今の自分に甘えてるだけじゃん。アンタ、今のままでいいの?」


 何も言い返せなかった。

 全くその通りだ。

 ズキンと胸の奥が刃物で刺されたかのように痛み出す。

 その痛みはタバコでは誤魔化せなかった。


「あたしは、あたしのやりたいようにやるだけだから」


 逃げるように喫煙室を出る。


「…………強がっちゃって」


 去り際に理恵が呟くのを、この耳は逃してはくれなかった。

 小さい声だったけれど、ざらりと耳障りのする声だった。


 スタジオに戻ると、杏奈さんがぐいっ、ぐいっ、と上半身を動かしてストレッチをしていた。

 あたしより2つ年下で、肩までかかるふわふわの茶髪は小型犬を想起させる。

 小柄でいつものほほんとしているから、余計にそう感じる。


 だけどドラムの演奏はいつもの癒し系とは全く異なり、力強く、スケールが大きいものになっている。

 ALTAIRの演奏を支える小さな大黒柱だけど、やっぱり体にはそれ相応の負担がかかっているのだろう。

 大変なんだな、なんて思いながら鞄の中のペットボトルを手にし、一口飲んだ。

 コンビニで買ったミネラルウォーターはもうぬるくなっている。


「あ、佳音さん、お疲れ様です」

「お疲れ様。真由美さんは?」

「さっきお手洗いに行ってくるって言ってましたけど……」


 ガチャリ、とスタジオのドアが開き、真由美さんが涼しい顔をして入ってくる。

 整った小顔に腰までかかる黒い髪、おまけに高身長で抜群のプロポーションというこの世の美を全て兼ね備えたかのような彼女は、何をやっていても絵になる。

 バンド活動の傍らモデル業もやっているようで、女性ファンも多いのも頷ける。

 あたしより3つ歳が離れているということもあるかもしれないが、未だに威圧感があって上手く距離感を掴むことができない。


 真由美さんはベースを構え、ボン、と一音鳴らした。

 たったこの一音だけでも体の芯まで深く響いてくる。

 いつ聴いてもいい音だ。


 またドアが開く。

 今度は理恵だ。


「よーし、練習はじめっぞー」


 理恵の号令と共に各々演奏準備に取りかかる。

 その後の練習は、まあまあいい感じに行ったと思う。

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