第48話「誰かのぬくもり」

 無事に明日香は面接に合格し合格し、塾講師として働くようになった。

 駅近くの個別指導塾で、最初は週1勤務から始めたが、生徒からの評判はいいようで、次第に週2、週3と、シフトを増やしていった。


 今も通院しながらバイトを行っているが、医師からも「問題ない」とお墨付きをもらっているらしい。

 実際、隣で笑う明日香は健康そのものだ。


「明日、理恵のところに行ってくるよ」

「理恵さんって、佳音がお世話になっていたバンドの?」

「うん。土下座でも何でもして、また一緒に音楽やりたいって頼み込んでくる。あとあたしたちのライブの宣伝も兼ねてね」

「でも大丈夫なの? 佳音、コンビニと掛け持ちで大変じゃない? そっちも忙しいんでしょう?」

「それは……店長と相談して減らしてもらえるように頼み込んでみるよ」


 許してもらえるだろうか。

 あたしのわがままで野島さんを振り回し続けてしまって、本当に申し訳なく思っている。

 傍から見たら迷惑な人間だろう。

 胃がキリキリと軋む音が聞こえた。


 とにかく先のことを考えるのはやめよう。

 考えるのは性に合わない。


 はむっ、とだし巻玉子を頬張った。

 甘さが控えめで、出汁が効いていて、白米との相性もいい。


「やっぱり明日香の作った料理は最高だあ」

「もう、そんなことばっかり言って」


 半ば呆れたように明日香はあたしを見る。

 少々はにかんでいるようだったけれど、その表情の奥に幸せが垣間見えた。

 これからもっともっと、あたしと一緒に幸せになっていけたらいいな。




 野島さんに相談すると、「いいよ」の二つ返事で快諾してくれた。

 ついこの前シフトを増やしてほしいと懇願したのに、そんなすぐに変更できるのだろうか。


「うちはそういう風にできるの。だからいいんだ」

「でも、私、いつも迷惑ばかりで……」

「迷惑なんてそんな、全然。宮村さん、頑張ってるから。応援したくなっちゃうんだよ。あ、ミニステージ、頑張ってね」


 その優しさが、大きな手のひらのように思えた。

 あたたかくて、あたしの全部を包んでくれるようで、そのぬくもりに涙がこぼれそうになる。


 丁度そこにレジ業務を終え、ファストフード商品を揚げにきた萩本さんがあたしをぎゅっと抱きしめる。

 よしよし、と小さい子供を宥めるように優しい声をかけてくれた。


 今、そんなことをされてしまったら、本当に涙が止まらなくなってしまう。


「ありがとうございます……このご恩は必ず…………」

「あはは、じゃあ有名になってくれることが僕たちへの恩返しかな」

「…………はい!」


 その後しばらく涙は止まらなかったけれど、今日の仕事は過去一番やりがいを持ってやり切ることができた。


 コンビニのバイトを終えると、その足で速攻理恵たちの元へ向かった。

 今日はライブだ。

 あたし抜きでやるつもりらしい。

 元々の形に戻ったといえばまだマシに聞こえるが、実質仲間外れにされたようなものだ。


 ギターなんて今は持ってない。

 だけどあたしには歌がある。

 手もあるし、足もある。


 今から殴り込みだ、くそったれ。


 と、コンビニを出た時は威勢がよかったけれど、いざ電車に乗ってライブハウスに向かうと、沸騰した頭は次第に冷却されていく。

 どくん、どくん、と心臓の鼓動が早くなる。

 本当にあたしは緊張に弱いな。


 ふう、と呼吸を整え、スマホの待ち受け画面の明日香との2ショットを眺めた。

 以前「一緒の待ち受けがいい」と言われ、撮ったものだ。

 自撮りなのだが、お互い勝手がよくわかっておらず、あまり移り映えはよくない。

 けれど、大切な宝物だ。


 ありがとう明日香、元気出た。


 ライブハウスの最寄り駅に電車が到着する。

 よし、と小さく呟いて、あたしは右足を踏み出した。


 ホームグラウンドであるATOMICは相変わらずの熱狂ぶりだ。

 観衆たちの視線を彼女たちは独占していた。

 あたしの路上ライブとは随分と様が違う。

 こうやって見ると、やっぱり羨ましい。


 曲が終わり、拍手が上がる。

 次が今日最後の曲だ。


 理恵がMCに入ろうとしたとき、あたしは空気も読まずに客席の前に向かった。

 ステージ上の彼女たちももちろんあたしに気付く。


「何しに来た」


 マイク越しに理恵は強い口調で問いかける。

 答えなんて、ずっと前に出てた。


「本気で音楽、やりに来た」


 ステージに上り、理恵と対峙する。

 杏奈さんと真由美さんは何も言わず、じっと黙ってあたしたちを見つめた。


 理恵は、表情一つ変えず、ステージの下手に移動する。

 ざわざわしていた観客たちがまたうるさくなった。

 かと思えば、理恵は自分が装着しているものとは別のギターを手に持ってやってきた。


「ほら、今日こいつ貸してやる。ったく、本気で音楽やりに来たんなら、ギターくらい持って来い、バカ」


 ん、と理恵はあたしにギターを差し出す。

 まさか、あたしがここに来ることを想定して用意していたのだろうか?


 あたしがそのギターを手に取ると、観客たちは盛大な歓声と拍手をあたしに手向けてくれた。

 みんな、あたしを待っていてくれたんだ。

 本当にみんながそう思っているかはわからないけれど、なんだか嬉しくなった。


「それじゃあ最後の曲!」


 その後は、ただひたすら楽しかったという記憶しか残っていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る