第39話「夢の呪い」
大丈夫ですか、と明日香は芳賀くんに心配そうに声をかける。
芳賀くんは「はい」と冷たく返事をし、追加の水をコップに注ぐ。
「どういう人だったの? その叔父さん」
「良い人でした。優しくて、いつもニコニコしていて、でも自分の夢にはものすごく熱い人でした。まさか自分で命を絶つなんて思ってもいませんでしたけど」
ごくりと冷水を飲み、淡々と言葉を吐き捨てる。
「俺に言わせてみれば、夢は叶えないとただ空しさが募るだけなんですよ。叔父も結局小説家になることはなかったし、存命中も親戚中からかなり嗤われてました。夢なんて、ただ空しくて、醜いだけです」
彼の瞳に生気は宿っていなかった。
濁った黒がこちらを静かに凝視してくる。
吸い込まれそうな黒に、あたしはぞくりと身震いする。
だけど芳賀くんの言っていることもわかる。
なんなら、あたしも少し前までは芳賀くんサイドの考えを持っていた。
いくら夢を見ても、叶えなければ空虚が積もっていくだけ。
そんな思いを毎日抱えながら、ライブを行ったり、ALTAIRのサポートを行っていた。
目の前の芳賀くんは、なんだか少し前のあたしに似ている。
もしかしたらあたしのなれ果ての姿が芳賀くんなのかもしれない。
「……芳賀くんの言う通りだよ。現実を知ると、夢は見るだけでも辛くなる。理想とどんどん離れていくようで、心が苦しくなる」
「ほら見ろ、言ったことか──」
「それでも、叶えたいんだよ。あたしは、あたしの音楽で、みんなを笑顔にしたい。きっと芳賀くんの叔父さんも、同じ気持ちだったんじゃないかな」
あたしは芳賀くんの叔父さんがどんな人かは知らない。
けど、話を聞いているだけでなんとなく似通ったところはあるとわかる。
あたしだって、夢の重圧に押し潰されそうで何度もギターから投げ出そうとした。
もう二度と音楽なんてやりたくない、と涙したことも数えきれないくらいある。
それでも、結局音楽はやめなかった。
必死にもがいて、あがいて、今の今までやってこれた。
「諦めたくないんだ。なんか、笑われちゃいそうで」
あたしの言葉に、芳賀くんのは困惑の表情を浮かべた。
そんなに難しいことを言っただろうか。
「笑われるって、誰にですか?」
「うーん、昔の自分かな。なにやってんだーって」
子供の頃のあたしを少し思い出してみた。
今もそうだけど、友達と呼べる人も多くなくて、特筆するようなことなんて何もなくて、でも音楽は大好きだった。
母さんのレッスンは厳しかったけど、上達していくのが楽しくて、何より明日香と一緒に演奏するのが嬉しかった。
あんまり今と変わってないな。
過去を回想して、プッと吹き出す。
一度噴き出すとこれを抑えることができない。
「ど、どうしたんですか?」
「佳音、大丈夫?」
咲良ちゃんと明日香があたしに心配の声をかける。
けれどあたしは2人の心配をよそにゲラゲラと笑った。
芳賀くんは半ば呆れたようにあたしに目線を向けた。
「頭、大丈夫ですか?」
「どうだろ。あたし、昔からバカだから、多分大丈夫じゃない。あはは」
笑いながらあたしはセットのハンバーグを口にする。
まだプレートの熱が料理に伝わっていて、出来たてのように美味しい。
肉汁がぶわっと舌に広がっていく。
「ほら、食べなよ。冷めちゃうよ」
少し戸惑いながら、明日香と咲良ちゃんは食べかけた料理に手を付けた。
芳賀くんも渋々ステーキを口に運ぶ。
せっかく高いものを注文したんだ、全部食べてもらわないと困る。
食べながら明日香が尋ねてきた。
「ねえ、さっきなんで笑ってたの?」
「ん? 別になんでもないよ。あたしって、昔からほっとんど変わってないんだなーって」
とはいえいろいろ価値観は変わった。
昔より現実的に考えるようになったことも増えた。
けど、音楽が好きだということに変わりはない。
年齢的に大人になったな、とは感じるけれど、結局あたしはまだまだ子供のままのようだ。
「夢はね、自分を苦しめる首縄にもなるけれど、同時に自分を動かすエネルギーにもなるんだ。それだけは忘れないでね」
「はあ……」
「それと、本気で夢を追いかけている人は強いよ。あたしなんかよりもずっと」
パッと思い浮かんだのが理恵たちALTAIRのメンバー、それと母さんだ。
自分に芯があって、やりたいことに全力で、とても眩しい人たち。
あたしもあんな風になりたいな、と少し羨んでしまう。
一度彼女たちの顔を芳賀くんに拝ませたいものだ。
その芳賀くんはと言うと、まだ物憂げな表情でステーキを食べている。
一度植え付けられた固定観念は、なかなか払拭することはできないのだろう。
「またいつかライブするから見に来てよ。ALTAIRのライブもね」
「えっと……考えておきます」
いつもなら冷たくあしらわれるのに、今日は違った。
これは、芳賀くんとの壁が少し崩れたと認識してもいいのだろうか。
その後もあたしたちはいろいろな話をした。
夢の話、将来の話、最近起きた面白おかしな話。
芳賀くんからはあまり話を引き出せなかったけれど、いつか彼ともいろんな話をできるようになりたいな。
なんだかんだ楽しい時間だった。
乏しい財布の中身から目を背ければ。
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