第6話 出会い 3
朝になり、朝食を終えたバルームとミローが詰所へとやってくる。
イレアスも起きていて、兵から朝食にともらったパンなどを食べたあと誘拐に関しての聞き取りを受けていた。
それにミローも加わって、バルームは会話に耳を傾けて時間を潰す。
書類に状況などを書き込み、二人に再確認して兵は頷いた。
「こんな感じか。協力感謝する。荷馬車の調査はもうしばらくかかる。十日くらいしたらここに売却できたか聞きにきてほしい」
兵に見送られて三人は詰所から出る。
「さてこれで指導に動けるな。まあ準備からだが」
「なにから始めるんですか?」
ミローの期待するような視線を受けてバルームは、最初はイレアスの荷物回収だと返した。
「というわけでお前さんの過ごしていたところに連れて行ってくれるか。昨日聞いた感じだと親はいないようだから挨拶はしなくていいだろう」
「やっぱりいないの?」
「いない。ちょっとした知り合いはいるけど、挨拶なんて必要ない」
特別親切にしてもらったわけでもない。油断すると少しずつ貯めていたお金を盗まれる可能性もあった。
「同年代のやつらと協力とかはしていなかったのか?」
「私は余所者だったから、その子供グループには混ざれなかった」
「そうだったか」
どうして流民になったのかミローは聞きたくなったが、辛い思い出があるかもと思ってやめる。
イレアスの案内で、人の気配が少ない区画へと進む。
流民のものだろうか、三人に視線がいくつか向けられる。警戒のものであり、害意はない。近づかなければなにもしてこないだろうとバルームはわかっていて流す。
やがて朽ちた空き家に到着し、イレアスは片隅の地面を掘り起こして貯金を確保する。
その日を食べていくので精一杯で、あまり貯まってはいないが、大事な全財産だ。これとぼろいワンピースとぼろい靴を確保して荷造りが終わる。
「持っていくのはこれだけ? ほかに服とかはないの?」
ミローが簡単に終わった荷造りに疑問の声を出す。
「あとはぼろぼろの毛布とか錆びたナイフとかくらい」
「うん、金以外は置いていけ。服とか靴は俺からの借金で買えばいい。ナイフもいらんだろうさ」
「このワンピースは思い出のものだから、持っていきたい」
ぎゅっとワンピースを握って、懇願するようにバルームを見る。
さすがにそれを置いていけとはバルームも言わず、毛布と靴を置いてその場から離れる。終始警戒していた流民たちは最後まで接触してくることはなかった。
人の多い区画に戻ると、バルームはミローにお金を渡して、タオルとワンピースを古着屋で買ってくるように頼む。
今のイレアスでは店や役所へと入るのを拒否される可能性もあったのだ。
「すぐに買ってきます。サイズは私よりワンサイズ下かな」
じっとイレアスを見てミローは古着屋へと走っていく。
三十分ほどベンチに座ってなにを話すわけでもなく過ごす。
誘拐の件があってイレアスは、ミローと一緒でなければバルームと話せないのだ。
助け出したバルームだからそれですんでいて、見知らぬ成人男性だと怯えが出てしまい、そばにいることもすらも難しいだろう。
そんなイレアスの様子をバルームは察して、無理に話しかけることはなかった。
「買ってきました!」
亜麻色のノースリーブワンピースとタオルを手に戻ってくる。
「手提げバッグも買ってきましたけど問題ありませんでした?」
「お帰り。問題ないぞ。タオルを濡らしてイレアスをふいてやってくれ、そのあと物陰で着替えてから昼食を食べて役所に行こう」
「わかりました。一緒に井戸に行こ」
「うん」
ここで待っててくださいとバルームに言ってミローはイレアスの手を引いて井戸まで移動する。
丹念にふいて綺麗にして着替えて、身ぎれいになって戻ってくる。髪の毛も洗ったようで湿っているが、まだ昼は暑いのでそのうち乾くだろう。
「昼はどうするか。腹が減っているならそこらの屋台で買ってすぐに食べてもいいが」
二人が返事をする前に、イレアスのお腹が鳴る。
それにバルームは笑い、屋台にしようと決めた。
「さっさと食べたいみたいだな。串焼きとかスープでいいか?」
二人が頷くと、スープのお金をミローに渡す。
「俺は串焼きを買ってくる。ミローはスープだ。イレアスはそこのベンチを確保しておいてくれ」
イレアスは頷いて、ベンチに座る。
バルームたちは目的の屋台で購入しベンチに戻る。
イレアスからすればごちそうともいえる品を渡されて、本当に食べていいのか戸惑っていた。だがお金を出したバルームがまったく気にしていないのと、いい匂いに我慢ができず一口齧る。口をつけてしまえば、もう止めることなどできずに食べ進めていった。
昼食が終わり、役所に行って、滞在許可証を買う。これはバルームの持つ滞在許可証と違い、一年のみの有効期限だ。一人の一ヶ月の食費と同程度の値段だった。
ミローからすれば少し高いと思える程度の金額だが、食うにも困っていたイレアスからすればかなり頑張ってようやく得られるものだった。
滞在許可証を買うことがイレアスの夢であったと言ってもよく、その夢が手の中にある。現実感がなくじっとそれを見続ける。
「感動するのはわかるが、いつまでも見てないでバッグにしまっておけ」
バルームに声をかけられて我に返ったイレアスはタオルなどを入れているバッグに滞在許可証を入れる。破けぬよう丁寧に扱う。
その様子を見てミローは首を傾げた。
「そこまで感動するものなんですか?」
「流民じゃないとわからないことだろうな。俺も流民になったことはないが、その暮らしぶりを見たことは何度もある。金があればまだ余裕を持てる。だが金がないと、かなり苦労することになる。俺やお前が当たり前のものとして得ているものが、流民にはない。家を持てず、入れない店があって、歩けない場所があって、仕事もかぎられる。町の医者にも世話になれないから、病気になったら苦しむしかない。そういった不利が、あの滞在許可証でなくなるんだ。見た目は軽い紙でしかないが、その効果はとても重いぞ」
バルームも完全に気持ちを理解できているとはいえない。
同じ流民でないとイレアスの感動は理解できないだろう。
「役所に行ったし、次は買い物だ」
「なにを買うんですか。シーカーで使うものとか」
「いや、イレアスの日常品だ。服はもう少し必要だろうし下着とかもな。武具はまだ買わんよ」
「今日はその買い物で終わりそうですね」
「だろうな。指導は明日からになる」
「明日はどんなことを?」
「宿でまずは座学だ。ミローは自分で知識を仕入れているかもしれんが、イレアスはわかってないだろう。それにミローも抜け落ちているところがあるだろうしな」
「いきなり魔物と戦えってことにならなくてよかった」
イレアスがほっとしたように呟く。
「なんの準備もなしに魔物と戦わせるのは自殺させに行くようなもんだ。俺が実際そんな経験しているからな、準備の大切さはわかっているぞ」
「バルームさんはいきなり戦いに行ったんだ」
「あのときは魔物ってのを甘く見ていた。そこらへんの頑丈な棒を拾ってなにも考えずに、見つけた魔物に突っ込んでいった。結果、反撃にあって大怪我する前にほかのシーカーに助けてもらえた」
なにも考えずに突っ込むとほとんどの人が同じ結果になるだろう。
「その後はどう動いたんです?」
「助けてくれたシーカーから駆け出しのおおまかな動き方を教えてもらって、その通りにやっていったんだ。同じようになにも知らずにシーカーになった奴らと組んでな」
「そのお仲間さんもこの町にいるんですか」
バルームに世話になるので挨拶した方がいいのかなとミローは思う。
「いやいない。最近解散したし、あいつらは隣の国だ」
「解散……なにか問題でも起きたとか」
「円満な解散だぞ。そろそろシーカーを引退してもいい時期だからって、それぞれのやりたいことをやることにしたんだ。仲間二人は結婚して、もう一人の仲間は惚れた女と結婚する。俺は特にやることがなかったが、クルーガム様から指導を頼まれて、こっちに来た」
「そういう感じだったんですね。私はクルーガム様から指導してくれる人がくるということと、名前と長くシーカーをしているってことだけを聞いていました」
ふいに「あ」と呟いたミローはなにかに気づいたような表情になる。
「指導してもらえるんだから、名前じゃなくて先生とか師匠とかって呼んだ方がいいですかね」
「特に気にしないから好きに呼ぶといい」
そう返されるとミローは悩んだ様子を見せて、先生と呼ぶことにしたと言う。
イレアスもそれにならい、先生と呼ぶようにする。
その後は買い物をすませていき、日常生活を送るのに必要なものを一通りそろえた。医者にも診てもらい、症状がまだ本格化していない病気の薬をだしてもらう。
これらに使ったお金も借金ということになる。特別高いものは買っていないので、滞在許可証に必要としたお金といくらかの宿賃と合せても、一年もまじめにシーカーとしてやっていけば返すことのできる額だ。
買い物を終えて、バルームと同じ宿にイレアスの部屋をとって荷物を置く。
イレアス一緒に荷物の整理をしていたミローは日が沈みかける頃に家へと帰っていった。
◇
バルームと一緒に夕食を終えたイレアスは、部屋に桶を持ち込んで体をふいていく。ミローに手伝ってもらって汚れは落としていたが、それでもまだ残っていた汚れも落ちていく。
さっぱりとしてキャミソールとショートパンツというパジャマに着替え、ぽすんとベッドに仰向けに寝転ぶ。
今の状況は夢ではないかと思う。そう思って頬をつねってみて痛みを感じた。
昨日今日で生活がまるで変わった。数年前に失ったものが次々と戻ってくる。嬉しく思う前に、現実なのか疑ってしまうのも当然だろう。
ベッドで寝るなど久しぶりのことだった。まだ孤児院で過ごしていたときは、ぎしぎしと鳴る古いベッドで寝ることができていた。
しかし四年前に孤児院が潰れて行く当てがなくなったときから、イレアスはベッドで眠れるような暮らしはできなくなった。
孤児院が潰れたばかりの頃は、まだイレアスの周囲に人はいた。年長が頑張ってお金を稼いで皆でどうにか暮らしていた。しかし満足な食事ができず、お金を稼いでいた二人の年長が動けなくなると、いっきに食うに困ることになった。
どうにか食事を得ようとイレアスたちは独自に動き出す。年長のように役所から出ている仕事をやったり、店に頼み込んで働かせてもらったりしたのだが、暮らしはまともにならなかった。そのうちいちかばちかで仲間が盗みを働いたことで、ならず者に目をつけられた。
仲間の半分以上が突然やってきたならず者に捕まって、手下のように扱われる。イレアスも捕まった一人であり、見た目が良かったため売られることになった。
小船に乗せられたイレアスは、皆と離されてどこに行くのかどうなってしまうのかわからず不安でいっぱいだったが、逃げ出すこともできず狭い個室で震えていた。
そんなとき大きく船が揺れて、すぐあとにばりばりという大きな音が聞こえた。個室の外からはならず者たちの怒鳴り声が聞こえてくる。
動けないイレアスはさらに衝撃を感じ、近くからなにかが壊れる音を聞く。そちらを見ると壁にヒビが入っていて、水が勢いよく入ってくるのが見えた。
さすがに逃げなければと思ったのだが、扉にたどりつく前に水にさらわれて船外へと放り出される。
冷たい水とぐるぐると回る視界。イレアスが覚えているのはそこまでだ。目を覚ましたときはトンクロンそばの岸で倒れていた。
川の魔物に食われなかったのは幸運だったのだろう。
岸で目を覚ましたときから流民生活が始まる。ならず者などを避けるように隠れられそうな廃屋を探し、ゴミなどを漁って食料や毛布などを確保した。それだけではどうしてもやっていけそうにないので仕事を探したが、流民だということで断られる。
小さいということで見かねて相手をしてくれた役所の人間に、少しばかり流民について話を聞くことができた。そうして役所からの仕事を受けて、滞在許可証を手に入れることが目的になった。
目的ができて順調にことが進んだかというとそうでもない。同じ流民から貯めたお金を盗まれたことや暴力で持っていかれたことがあり、それまでの努力が無になることがあった。
以後、さらに人を避けるようになり、寝床も頻繁に変えるようになった。
滞在許可証を手に入れるということだけが、唯一の希望といった感じで流民として生きてきた。
そして十四歳になって時間がほどほどの流れたある日。いつものように役所からゴミ掃除の仕事を受け、人の多いところを避けて路地裏でゴミ拾いをしていると、誘拐されたのだ。
男三人には敵わず、捕まりもうダメだと諦めたとき、ミローが助けに入った。
そのまま救出成功したらかっこよかったが失敗し、一緒に捕まった。しかし一緒の袋に入れられたあともミローは初対面のイレアスを「大丈夫」とか「きっと助かる」といったふうに励まし続けた。うるさいと袋越しに殴られたあとも小声で励まし続けた。
掴まったあとは、どこかの小屋に連れて行かれて猿ぐつわをされて木箱に入れられた。暗く狭いその体験はならず者に捕まったときのことを思い出させるものだった。
このまままたどこかへ連れ去られるのだと諦めていたとき、箱の外が騒がしくなり、静かになると蓋が開けられた。
周辺にはイレアスたちをさらった者たちが倒れていて、助けたという見知らぬ男がいた。
素性のわからない男は怖く、助かったという安堵と戸惑いから、男よりはまだ安心できるミローに抱き着いた。突き放されることなく、むしろ抱き寄せてもらえて、背中を撫でてもらえた。そういった安堵できる抱擁は久しぶりだった。
その後はバルームとミローで話が進んでいき、二人の関係が少しだけわかる。
ミローがシーカーになるのだと知って、自分もと声に出した。恩返ししたいという気持ちに嘘はない。しかし打算もあった。
シーカーというものが稼げるという噂を聞いたことがあったのだ。今のままほんの少しずつお金を貯めていくよりも確実に滞在許可証を手に入れられそうだと思った。さらに見ず知らずの自分を助けようとして、それができずとも励まし続けたミローならば、自分が役立たずでも見捨てないと思ったのだ。
寄生するために頼み込んだともいえる願いをミローは最終的に受け入れた。
正直にいえば、きつくなったら離脱も考えていた。しかしミローの性格の一部を見て、心配になった。
バルームが思ったように、人に使い捨てられないかとイレアスも思ったのだ。
このときイレアスはできるかぎり一緒にいようと改めて思った。助けてもらえて、親切にしてもらえて、温かく抱きしめてもらえた。普通の人なら当たり前に与えられるものを、流民である自分に与えてくれた人が悲しい目に合うのは嫌だった。
シーカーにならないで助けになる方法を示されて一応頷く。しかしそれは最後にするつもりだった。多少困難でもついていく、そばで助けたいという思いが強かった。
そしてここからイレアスが想像もしない方向へと話が進む。
返済条件がかなり緩い借金で、滞在許可証が得られるということに驚くことになった。
言い出したバルームを見ても、ならず者のような下心などは感じられなかった。
驚き戸惑っている間に、兵の詰所に連れて行かれ一夜を明かす。
物音で目を覚ますと朝の光が玄関の外から屋内に入ってきていた。ここがどこだか思い出して、昨日のことは夢じゃなかったのかとぼうっとしていると、兵が簡単なものだったが朝食をくれた。
そうして迎えにきたミローとバルームに連れられて、服を買い与えられ、滞在許可証を本当に得て、医者に診てもらえて、また買い物という数日前の自分に話せば都合の良い夢と断じられる一日が終わる。
ベッドに寝転んでいる今でも都合のよい夢だと言われたら納得できる。
しかしベッドの感触も、つねった頬の痛みも、清潔なパジャマの肌触りも現実だと突き付けてくる。
「幸せの前借なのかも」
思わずそんなことを一人呟く。
シーカーというものが大変という話は聞いたことがある。掃除であちこち行っていれば、噂の一つも聞くのだ。大怪我したという会話は珍しいものではなく、死んだという話も聞く。
それになるのだからあとはもう苦労だけなのかもしれないと思う。
死ぬかもしれないということに恐怖はある。魔物を目の前にすれば確実に足がすくんで動けなくなる。
明日二人にシーカーになるのをやめると言ってもきっと許されるだろう。二人とは短い付き合いだけれどもそんな人の良さが感じられた。
でもやめるという気にならなかった。それは掴んだチャンスを逃したくないという思いもあるのだろうし、二人への感謝がそう思わせるのだろう。
二人と一緒ならばこの先なんとかなるはずだと期待を不安を胸に、イレアスは目を閉じた。
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