自称エルフ族の男とダークエルフを名乗る黒ギャルJKの異世界(アウターネット)

川上イズミ

第1章 「移民者」

第1話 ティリオンとアイナ

 激しい息づかいをさせながら、ふたりの人間が山の斜面を駆け上がっていく。

「ハァハァ、おい女。どうしてそんなに……かさ張る荷物を持ってきた?」

 乾燥した空気が喉の奥にまとわりつき、上手く声を出せない。男のくぐもった声は、森の樹々のざわめきに、危うくかき消されそうになった。頭皮に撫でつけた金色の長髪が、吹き抜ける風に揺れる。


「んなこと言うてもやなおじさん、移住する世界がどんなところかも分からへんのに、ハァハァ……、手ぶらなんかで来れるかいな。それともコッチの世界に……コンビニやドラッグストアでもあるっていうん?」


 女はキャスター付きのキャリーバッグを引きずりながら、男のあとをただひたすら追いかけた。しかし、起伏の激しい山の斜面であること、そして派手なネイルに日焼けした黒肌を露出させた軽装では、体力的なことも含めて無茶な話だった。


 男は立ち止まり、木の幹に手を掛けながら女を待つ。なだらかな傾斜を登ってくる女を尻目に捉えつつ、周囲を警戒する。時間の感覚は不明瞭。現地が朝なのか夕刻なのか、それさえも分からない。


「オイ、こっちに逃げたぞッ!」

 野太い男の声にふたりは戦慄を覚える。身の覚えのない襲撃者。ふたりは何者かに追われていた。


「それとさっきも話したが、この世界で俺たちはエルフ族を演じなくてはならない。俺は始祖ハイエルフで名前はティリオン——」

「ウ、ウチが……ダークエルフやったっけ?」

「そうだアイナ、黒ギャルのお前はダークエルフだ。見た目にもそれが自然だろう」

「黒ギャルがダークエルフってそんな漫画みたいな設定……ハァ~しんどッ!」


 アイナはそう叫ぶと、ティリオンの足元に崩れ落ちた。手にしていたバッグを放し、四つんいになる。衣服が汚れるなどと言っていられない。体力の限界なのだ。日焼けした黒い肌のこめかみからあごにかけて、汗がしたたり落ちる。


「あかん、もうあかん、ハァハァ」

 息を切らせるアイナに、ティリオンはペットボトルに入った水を渡す。


「一気に飲むな。少しずつだ」

「ありがとおじさん……じゃなかったティリオン……」

 ボトルの蓋を開けると、アイナは勢いよく水を胃の中へと流し込んだ。忠告を無視した結果、器官の中に水が入ってゴホッゴホッと何度もむせた。

 手の甲で唇を拭い、

「それにしても、今ウチらはどこにおるん?」

 と言い放ったあとに「生き返った~」と続けた。


 ティリオンはスーツのポケットに入れていた地図を取り出し、眼下に広げてじっと眺める。

「事前に渡された地図からでは現在位置を特定することは難しい。だが、尾根と尾根の間を駆け上がったこと、そして耳をそばだてた感じ、近くを川が流れているようだ。指定された施設ホームまでの距離は、そう遠くは無いと思う」


 そう伝えると、再び地図をポケットの中へとしまう。

 周囲を見渡せば、鬱蒼うっそうと茂る樹々に囲まれた山腹であることは理解できた。


 しかし、陽光の射し込まないこの一帯は非常に不気味であり、いつどんな困難に襲われるか分からない。現にふたりは、敵と思しき者たちから追い立てられている。それが何者なのか、何を目的としているのか、ふたりには皆目かいもく見当がつかない。

 と、そのときだ。アイナが持参してきたキャリーバッグの側面に矢が二本、唐突に刺さった。


「ヒエッ!」

 アイナが叫び声を上げる。するとどうだ。衝撃に反応するかのように、放置していたキャリーバッグが、山の斜面をずるずると下へ落ちて行った。


「ああッ! ウチのキャリーバッグぅ!」

 アイナが手を伸ばしバッグの取っ手をつかもうとする。しかし無情にもバッグは山の斜面をソリで滑るように落ちて行った。


「待て、アイナッ!」

 バッグを取りに山を下ろうとしていたアイナの手を、ティリオンが掴む。「あれを取りに行けば、今度はお前がさっきの矢で射殺いころされるぞ」


「んなこと言うたかて、あのバッグには大事なモンが入ってるし、ウチの下着とかもあんねんで。オキニのTバックとかが~」

「とりあえず今は敵から逃げるべきだ」

「敵? 敵って何なん? この世界で一目いちもく置かれている存在のエルフに変装すれば、当面の間は安心やって、おじさんが言うたんやで?」

 手を振りほどこうとしたが、ティリオンがそれを離さない。


「そもそもやけど、作りもんのとがった耳を付けただけで、『ハイ、エルフです』ってならんのちゃうん? 簡単に世間の目は誤魔化されへんで」


 耳殻じかくに取り付けた作り物の耳を、アイナは指先でピンと弾いた。


「そんなことより早く逃げるぞ!」

 ティリオンがアイナの手を引っ張り、無理やり立たせた。

「ちょっと待ってなァ。ウチを置いてかんといてッ!」

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