第53話 脳

「で、その脳みその話を聞かせてもらおうか?」 

 ティリオンの声が低く唸る。


「異世界への移民を希望する方には、それ相応の謝礼を支払っていることはティリオンさんもご承知のはず。その資金源になっているのが、あなた方の身体。要は臓器売買です。アイナさんの妹には彼女自身の心臓を利用することを条件に、契約を成立させました」


「じゃあ身体を失った俺たちがどうして生きている?」

「それは簡単です。脳を培養液に漬けて、電極を刺して元と変わりない世界を体験してもらっています」

「では異世界アウターネットと言うのは、仮想現実バーチャルリアリティの世界なのか?」


「——いいえ違います」

 堂家はハッキリと否定した。「異世界は実在します。そこへの移民を、国を挙げて行っていることも事実です」


「なぜそんなことをする?」

「当然の質問ですね」

 堂家はゆっくりとふたりの周囲を歩いた。


「まず、世界の情勢についてご説明させてください。世界規模で起きようとしている事象。核戦争、水不足、食糧問題、環境汚染、人類を滅ぼしかねない天災そして……新型ウィルス。政府が所持するスーパーコンピューターでは、今後十数年の間に人類が滅ぶ可能性が非常に高いと計算。我々は新たに移住する先を探さなくてならない」


「その世界がオルテシア大陸だと言うのか?」

「まあそう結論を急がないでください。無論、月や火星の移住も視野には入れておりますよ。でも時間が掛かり過ぎる。それにコストも含めれば現実的ではない。そんな中、我々は発見したのです。——異世界という名の、平行世界パラレルワールドを」


 三人の間を水あめが垂れていくように時間がゆっくりと流れていく。


「身体を失い脳だけになることと、異世界への移民は関係あるのか?」

「大ありです」

 ティリオンの質問に堂家は頷く。「その世界へ行くには思念を伴う生命エネルギーを飛ばす必要があります。身体は全くもって必要ない。むしろ世界が滅んでしまえば、その体組織を維持するために足枷あしかせになる。食糧とかね」


「元の世界も滅んでしまえば、脳を保管している培養液や容器も破壊されてしまうだろう?」

「地下シェルターに施設を構えております。脳の世話はAIによるオートマチック管理。万全の体制です」


「人の姿を失ってでも、命を食い繋ごうというのか?」

「人としての概念はさておき、我々は命を繋ぐため何としてでも、異世界に移民者として移る必要があります。——テラフォーミング、という言葉を聞いたことはないでしょうか? あなた方の使命はまさにそれです。異世界を我々が住みやすい環境に変えてもらうこと」

「ではアウターネットとは?」

「——異世界という『世界共有資源』に立ち入るために体外アウター思念ネットになった状態を指します」

 

 しばらくの間、沈黙が続く。

 ふたりの会話にたまらずアイナが口を挟んだ。

「なあ、堂家さん。ウチの妹はどうなったん? 手術は成功したんやろな?」


 堂家は歩みを止めて、アイナのそばに立つ。そして肩にポンと手を乗せ、耳元でこう囁く、

「手術成功の話は、これでもう九七回目ですよアイナさん。夢の記憶を削除するのも考え物ですね。このことは記憶に貼付クリップしておきましょう」


「そないやったら、妹もこっちの世界に——」


「そう、確かにあなたの心臓を手に入れた妹さんは命を繋いだ。でも移植の適応率はあまり高く無く、何ねん生き続けられるか分からない。何より人類全体が絶滅する危機に瀕している。一時的な延命などあまり意味がありません」


「だからウチはあんたに手を貸して、妹も一緒に暮らせるように——」


「延命とは言え、異世界に転送される順番までに生き長らえていれば、一緒に暮らすことは可能です。問題はその順番です。テラフォーミングが終わり次第、順次移民を移行します。皇族、政治家、技術者そして国民の順番にね」


「全ての国民を異世界へ転送できるのか?」

 今度はティリオンが質問をした。


「移民者として先遣隊であるあなた方親族の順番は上の方です。それでも一回で転送できる人間は年に百人にも満たない。一億二千万人を全てとなると、何年かかるのやら。ですから、転送の制限人数を上げる必要がある」

 堂家が再び彼らの前に立つ。「オルテシア大陸七カ国が持つ、通信ケーブルの解放。それによって転送制限人数がかなり上がる」


「方法は?」

「各国の統治者による移民への承認。まあ、交渉でもいいですし、力で屈服させてもいい。これを叶えてくれたなら、アイナさんの妹さんの順番を政治家レベルまで引き上げることをお約束します。それが彼女との最初からの契約です。ああ、私の方はきちんと約束を果たしましたよ。あとはアイナさんの使命だけですからね」

 そう言い終えると、堂家は恭しく頭を下げた。


 アイナはティリオンの方に顔を向けた。

「ゴメンな。今まで黙ってて……」


「いや、アイナの覚悟がよく分かった。正直に話す気になってくれてありがとう」


「ちなみにですが、先ほどキャリバーン国の正統な王であられるチェルシー殿とお話をしました。移民者の大幅な受け入れを快諾してくれましたよ。ひとえに、おふたりの活躍の賜物たまものです。改めてお礼を申し上げます」

 そう言って再び頭を下げた。


「最後にひとつだけ質問させてくれ」

 ティリオンは堂家の方に向き直った。

 

「身体の再生、及び元の世界への再転送は無理ですよ。念のため」

 堂家が先んじて断りを入れた。


「身体のことはどうでもいい。この夢が終われば記憶が消去される。どうやってその使命を果たすことを、記憶すればいい?」


「アイナさんがこの事実を知っているだけで充分でしょう。むしろ別の先人のように余分な知識を与えてしまったがゆえに暴徒と化した輩もいる。ティリオンさんはただ自分の夢を叶える為だけに、奔走すれば良いのですよ」


「だったら、他の移民者たちとコンタクトを取り、全員でこの問題に取り掛かればいいのではないか?」


「おやおや、質問がふたつになりましたよ。とまあ冗談はさておき、そうやって団結した結果が襲撃者レイダーの存在です。あれは我が国の汚点です。いや武力での制圧も確かに捨てがたい。でも私なら『北風と太陽』の太陽を選ぶかな……」

 

 

 そこで夢の中の会話は終わった。


 内容は全く覚えていない。しかし、目覚めたあと、アイナが知る事実と契約内容をティリオンに伝えたことによって、ふたりの目的と利害は大まかな部分では一致するのである。

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