第7話 異世界行きを希望する理由

「じ、事業に失敗し、あ、いや、正直に申し上げますと、最近事業で失敗して多額の借金を抱えたため、返済するあてもなく、国中どこへ逃げるのも無理だと思い、それで今回の——」


「なるほど、要はどこでもいいから自分を苦しめるこの現実から逃れたい……ということなんですね宇治さん」

「……は、はい」

 ひねり出すように声を出すと、宇治は項垂うなだれるようにして肩を落とした。


 堂家はニヤリと笑って、

「素直でよろしい。それで結構なのです。本音を言うと、異世界行きを希望する理由、それ自体どうでも良いのです。むしろそうやって現世界から逃れることでしか、活路を見いだせない人こそ、我々が求めている人材。あなたのような人間は、当機関にとってもまさに願ったり叶ったりなのです」


「で、でしたら!」

 背中を押されるような堂家の言葉に、宇治の目が一瞬だけ輝いた。 


 堂家は両手を机の上に突いておもむろに立ち上がると、座っている宇治の背後を歩き出した。

「ところで宇治さん、こういう話を聞いたことは無いですか?」

「——こういう話とは?」

「ある国の首相が戦争でを失った難民を、自国へ移民として受け入れた話をです」

「移民?」

「移民を受け入れた国がその後どうなったか? 言葉も違う、習俗や宗教も肌の色も違う彼らは、その国の自国民には到底受け入れられなかった。寒空の下での路上生活、仕事も無い、食事にすらありつけない。国を追われたものの状況が好転しないばかりか、ついには移住先の国民から差別を受け、迫害までされる始末。その横暴に耐えきれなくなり、やがて移民たちは、犯罪や暴動を繰り返すようになったそうですよ」


 背後からポンと、自身の両手を宇治の両肩に置いた。

「ひえっ」

「異世界に行くということはね、そういうことひっくるめてなんですよ。言っている意味……わかります?」

 宇治の身体の震えが、掌を伝ってくるのを堂家は感じた。


「我々にとっても、可愛い我が国民を他国で犯罪者や浮浪者にしよう、などとは思ってはいない。その一方で、我々は異世界への移民を募っている、これはなぜか? 現世に失望して高層ビルから飛び降りられでもしたら、遺体の処理も面倒です。特急電車の人身事故にでもなれば、経済損失だって馬鹿にならない」


「私はそんなことは……」

「まさかとは思いますが宇治さん、偶然通りかかったトラックにねられ、その者が不憫ふびんだからと女神さまが降臨して、転生後には何不自由なく生活できるようにと、ユニークで万能なスキルを当てがわれる……なんて噂話を鵜呑みになんかしてませんよね?」

「え?」

「いや、いるんですよ、そうありもしない話を信じてここに来る人が。主に若年層に多いのですがそんなものそもそもがただの作り話、デマなんです。念を押しますが、そんな出所も分からないような噂話をみにして、ここにきたわけではないですよね?」


 宇治の身体が先ほどにも増して小刻みに震え出した。

(チッ、やはりそうか……)

 堂家は下唇を濡らすと、「現世で何の役にも立たない者が、違う世界なら活躍できるなど、思い上がりもはなはだしい。嫌な言い方をすれば異世界行きというのは現代のうば捨て山、『楢山節考ならやまぶしこう』です」


 そう言い切ると、再び自席に戻った。脚をくみ上げ、座椅子の背もたれに寄りかかる。宇治の顔は見るのも可哀想なくらい顔面蒼白だ。


(脅しすぎたかな?)

 無理やり笑顔を作り上げ、首を傾げながら、

「というのは冗談で実はこれがもっとも重要……異世界には現世界には無い資源がある。と言っても持ち帰ることはできない、こちらから一方的に人をることはできても、あちらからは戻ってくることはできない。異世界への派遣は片道切符だ。しかし、物質のやり取りは不可でも情報のやり取りはできる」


「それは……通話やメールってことでしょうか?」

「そう、音声または映像のみ、なんですけどね」

 堂家は大きく息を吸い込んで、「なので決して戻ることはできない異世界の有益な情報を現地から送っていただけるような開拓者を、我々は探し求めているのです」


 宇治は少し押し黙ったのち、

「やります。やらせてください!」とはっきした口調で言い切った。表情に精気が戻ったのを堂家は感じた。

「フフン。その言葉を待っていました」

「では、私は……?」

「無論、合格です」

「そ、そうですか、あ、ありがとうございます。あの、でも、向こうの現地語なんかはどうすれば?」

「マイクロチップ……人間と機械が融合を果たすチップを、体内に埋め込ませていただきます。それによって現地での言語、文字を判読でき、口から出てくる言葉も同時に翻訳されるシステムです。どうです、素敵でしょ?」


 その説明に宇治はほっと胸を撫でおろした。

「しかし、我々が介入できることはそれまでです。気候や気温、気圧や重力などは現世界と何ら変わりは無いのですが、異世界は一七・八世紀のヨーロッパ風。今よりも不便な生活が待っていることは間違いありません。それにこちらから持ち出せる物資には限度があります。着衣を合わせてひとり一〇キログラムまで。ちなみに皆さん、あちらに何を多く持っていかれるかご存知ですか?」


 宇治は再び不安げな表情を見せた。

「トイレットペーパーです。汲み取り式か川の上から流すタイプの便房、それはいいとして、一体何を用いてお尻を拭くんでしょうねえ。ククク……」

 堂家は喉の奥で笑いをこらえながら、経歴書の上から『採用』の赤スタンプをダンッという大きな音を立てて押した。

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