第43話 謝罪

 ティリオンは経歴詐称疑惑の件で全ての仕事を降板することになる。自身のホームページやマスコミ各社に謝罪文を出し、沈静化を図った。


 もう表舞台に何の未練も無かったが、ひとつだけ彼には心残りがあった。


 元々経営コンサルタントとして細々と活動していた彼を、番組のコメンテーターに抜擢したのは、大物ニュースキャスター古市ふるいちであった。


 彼の独特な心地よい声質と、経済や世界を取り巻く情勢に対する慧眼けいがんを、古市は以前から買っていた。つまりティリオンにとって古市は、足を向けられないほどの恩人だと言える。


 そんな彼の顔に泥を塗ってしまった。


 ティリオンは人目を忍ぶようにして、番組制作のスタジオに入った。ただ一言、謝りたかったのだ。


 古市はスタジオにいた。ニュース番組のセットの前で、今夜の入念な打ち合わせをディレクターと行っていた。


 足音を立てぬよう静かに歩いて近づいていく。その気配に察した古市とディレクターが、話の途中でふっと横を見る。そこには悲壮な顔をし、やつれた姿のティリオンが立っていたのだ。


(なんでキサマがこの場所にいるのだ? お前はもう出禁だろ!)


 ティリオンの頭の中は、想像できる限りの罵詈雑言を予期していた。


 古市の顔を見るなり涙が止めどもなく溢れ、ティリオンはその場で崩れるように土下座した。


「古市さん……この度は……大変申し訳ありません……」


 泣いて済む問題ではないことは自分でも分かっていた。複雑な現代社会に鋭いメスを入れ、ただひたすら真実だけを報道する番組で、あろうことが偽りの身分で登場した。


 何も人様から称賛されたかったわけではない。ただ努力だけで、人は成り上がれることを証明したかっただけなのだ。今となってはそれも言い訳となってしまう。


 ディレクターはその場から離れた。僅か三年程ばかりだが、ふたりが戦友と呼べるほどの仲だったことは知っていた。古市の口から語られる言葉が、スタッフ一同の気持ちの代弁であることを皆知っていた。


 古市は微動だにせず、しばらくの間、ティリオンの無様な姿を見下ろし続けた。

 裏切られたという想いは拭いきれない。しかし、彼に対する感情の中に、微塵も罵倒する気が起きない自分に、実は本人自身が一番驚いていた。


「ティリオンさん……顔をお上げ下さい」

 悲痛なニュースを読み上げるような声で、ティリオンに優しく語りかけた。


 ティリオンは泣きじゃくったくしゃくしゃの顔で上を見上げた。


「私の心の中はね、不思議なくらいとても穏やかなんです。それはあなたに対して、あわれみや情けといった感情でもなく、ましてや突き放したような諦観ていかんの感情でもない。もうこれ以上、あなたと一緒に番組を作り上げることができないという事実に、私は悲しいのです」


 古市はしゃがみこみ、両膝を床につけてティリオンと目線を合わせた。


「ティリオンさんは私なんかよりももっと早い時間にスタジオへ入り、楽屋ではスタッフと入念につぐ入念な打ち合わせを行っていた。暇さえあれば情報誌や洋書を読み、若いスタッフに対しても腰が低く、誰からも愛されていた。あまりに周囲があなたのことを良く言うもんだから、少し嫉妬したくらいです。でもあなたは本当に番組のために良く尽くしてくれた。その事実は不変です」


「ハイ……」

 嗚咽交じりの返事をするほか、ティリオンにはできなかった。


「あなたのしたことは褒められるべきことではありません。でも社会的制裁は十分に受けたでしょう。だったらノーサイドです。それにあなたは一度くらいのつまずきで、立ち上がれない人ではないはずです。だったらもう一度底辺から這い上がって来ませんか?」

 古市は床につけていたティリオンの両手を握りしめた。

「またその名を世間に轟かせてください」


 そう言ってティリオンと一緒に立ち上がった。


「あ……ありがとう……ございます」

 ティリオンが古市に対して深く頭を下げると、スタジオをあとにしようとした。


 すると、番組制作に携わっていたスタッフたちが作業を止め、ティリオンを囲むようにして前に立ちふさがった。


(殴られるかもしれない)


 そんなことが頭の中を過ぎった。しかしそうでは無かった。


 誰かがひとり、拍手をしだした。それを受けまたひとりふたりと、やがてはその場にいた全員が、ティリオンに拍手を浴びせた。それからスタッフが彼のために道を開け両側に立つ。花道を作ったのだ。


「また戻ってこいよ」

 そう激励しているようにも見えた。

 人の列によって作られた花道を、ティリオンは泣きながらただ静かに歩いていった。

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