第29話 記憶領域(ストレージ)の限界

 夕食を取ったあと、アイナとチェルシーは一緒に風呂に入った。仲が良いのはいいことだと、ティリオンは思った。自慢のひのき風呂は、自宅のそれよりもかなり広い。長時間の入浴に、順番を待っていたティリオンは少し閉口したが、自室に籠もって魔導書を読む時間が確保できた。


 異世界に転移して二日目の晩、ティリオンはまた夢を見た。例のウユニ塩湖のような澄んだ白と青の情景を持つ世界だ。


 しばらく待っていると、黒いフードを被った者が現れた——それが堂家だ。


「こんばんはティリオンさん。今日はいろいろいろあったみたいですね。遅くまでご苦労様です」

「今日はひとつ頼みがある」

「何でしょう?」

「医術と薬品に関する知識を受信ダウンロードしたい」


 堂家は眉をひそめた。

「おや、これまた随分と勉強熱心ではありませんか? ……なるほど、ふむふむ。送信アップロードの内容は受け取りました。その勤勉さは、今日の出来事に起因しているのですね?」


「ああ、俺たちと一緒に転移してきた男を助けたいと思う。そのためには、医術と薬品の知識が必要だ。魔法を詠唱する際のイメージにも繋がるし、何なら医者の真似事もできる」


 ティリオンは毅然とした態度で言った。ふざけているわけではない。大真面目だ。かつての自分が、経済学の素人でありながら、地道な勉強を重ねて財界のトップと渡り合えることができたように、自分は何でもこなせるという自負があった。


「あなたのためを思えばこそ忠告しておきますが、その考えは賢明ではありません」

「どうしてだ?」

「話は変わりますが、『過労死』とはどういった状態のことを指すかご存知ですか?」

「……」


「おそらく多くの人が、過度の勤務やストレスによる肉体と精神の衰弱死と考えておられるようですが、現実は異なります。休むことなく働き続けた結果、脳が常にフル回転するため、血液が絶えず全身を隈なく流れオーバーヒートを起こす。それが過労死です。医者や薬剤師たちは長い年月学校に通い、それでようやく国家資格を得ると言うのに、あなたはそれを一晩でやるという。畢竟ひっきょう、脳がオーバーヒートを起こすとは思いませんか?」


 堂家の言う通りだった。寝ている間に知識を蓄えられるということはかなり便利だが、それにかかる負荷をティリオンは考えていなかった。


「脳もコンピューター同様、記憶領域ストレージには限界がある。一度に情報を詰め込むことは死に直結する。あまり無理をなさらないほうがよろしいですよ」


「——この件は理解した。俺が浅はかだった」

 ティリオンは素直に頭を下げた。


「まあ、徐々に行きましょうよ。今夜のところはとりあえず、解熱と沈痛についての知識と化学式を送っておきましょう。この程度の知識でどれだけ負荷がかかるか、試してみてください」


 その日の夢はこれで終了した。


 翌朝、ティリオンは受信ダウンロードの負荷で苦しむことになる。

 とてつもない頭痛で目が覚めた。めまいと吐き気を催し、部屋の片隅においてあった木桶に何度も嘔吐した。受信ダウンロードの負荷を分からせるために、堂家が昨夜のやり取りをティリオンの記憶に貼付クリップしていたのだ。

 

 もしこれが、医術と薬学の両方を一挙に受信ダウンロードしていたかと思うと背筋が凍った。間違いなく、脳の血管が焼き切れて廃人になっていただろう。

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