第28話 業(カルマ)

 レッジーナの急報を受けて、ホームではチェルシーとアイナが待ち構えていた。


 男の肩をティリオンとレッジーナが両脇から支えて、転がるようにしてホームに入ってきた。体全体で受け止めるようにアイナがそれを支える。

 助けた男は小太りで体重が重く体臭がきつかった。思わずアイナは咳込む。


 そこへ、行商から戻ってきたダイモンが駆けつける。

「おい! レッジーナから連絡を貰った。まだ生存者いただって?」


「ああ、恐らく俺たちと一緒のタイミングで転送してきた奴だ」

 男を揺り動かしたとき、ポケットから彼の折り畳み財布が転げ落ちた。それをティリオンが広い中身を検める。出てきた運転免許書の氏名欄には『宇治うじ信也しんや』と書かれていた。


「ティリオン、とりあえずベッドに運ぶぞ。チェルシーはラパン族秘伝の薬。レッジーナと嬢ちゃんは湯と清潔な布を持ってきてくれ」

 皆が頷くと、ダイモンの指示に従った。



 宇治をベッドに寝かせると、上着をはだけさせた。体中に無数の擦過傷があり、山の中の逃亡がいかに過酷だったかを物語っている。宇治の頭を支えて枕に寝かせたあと、ダイモンの手にはべっとりと血糊が付着していた。


「後頭部の骨を砕いているようだな。よく生きていたもんだぜ」

「見つけたときは虫の息だった。解毒魔法で治癒したが、体力の方はどうにもならなかった」

「ま、死んだときはコイツの寿命だってことだ。オマエが気にすることはない」

 レッジーナたちが運んできた湯と布で傷口を拭っていく。そのあと、かめ壺に入ったラパン族秘伝の薬というものを丹念に塗っていく。チェルシー曰く「どんな傷にも効く」だった。


「秘伝薬も骨折や内部組織の破裂はどうしようもない。あとは運任せだ」

「医者はいないのか?」


「医者?」

 フンとダイモンは鼻で笑った。

「数が少ない。なぜだと思う? 異世界アウターネットが医術よりも魔法が発達した世界だからだ。市街地まで行けば大きな病院はあるが、貴重なお医者様がこんな山中に来てくれるはずもない。それにだ……」

 ダイモンは急に声を潜めた。「オレの見立てではこの男……相当なカルマが溜まっている」

「カルマ?」

「ああ。ここで話すのは何だから少し外に出よう。あとは女どもに任せておけばいい」


 ふたりはホームの外に出た。

 ダイモンが煙草をくわえ、指をパチンと鳴らすと、煙草の先に火がついた。「魔法はこれだけ覚えた」らしい。辺りはもうじき暗くなる。


「話は変わるが、人はとてつもなく絶望したとき、どうなると思う?」

 ダイモンの質問の意図が理解できず、ティリオンはただ黙っていた。


「『絶望とは死に至る病だ』。かつてこんなことを言い遺したヤツいたよな? 学のねえオレでもそれくらいは知ってる。その『死にたい』っていう願望がそもそもこの世界では禁忌タブーだ。それはなぜか? 魔法だのガジェットだのと、生命エネルギーで満ち溢れているこの世界の神様が、『死にたい』っていう願望を嫌っているせいだ。自死はその『教義』に反するんだとよ」


「その『死にたい』という願望が、カルマというわけか?」

「その通りだ。神様が言うには『そんなに死にたいのなら、そんなことを思わないような生き物に変えてやる』てなもんで、一定のカルマが溜まった者たちは皆、人ならざる者に姿を変えられてしまう」

 ダイモンはもったいぶったような間を持たせて、「——怪物にだ」


「怪物?」

「子供やラパン族のような小柄のヤツは小鬼ゴブリン。大人は鬼人オーガと呼ばれるバケモノにな」


 ふたりの間を一陣の風が駆け抜ける。玄関脇の松明たいまつがボーボーと音を立てた。


「そうなったらこのオレでも手が付けられねえ。連中、意識がぶっ飛んでいるから、理性なんてものが無い。人を喰らうだけの、ただの食人鬼よ。全身傷だらけ、頭蓋骨陥没、片目は潰されている。治る見込みの無い『絶望的』なヤツを、人が大勢いる都市部なんかに連れていけると思うか?」


「できれば命を助けてやりたい」

「その気持ちはよく分かる。でも、この世界で鬼人オーガになった連中のほとんどが、オレたちと同じ異世界から来た人間だ。元の世界で生きるか死ぬかの選択を迫られたギリギリの連中が、移民先で絶望し怪物へと変貌する。オレたちがこの世界の住民たちにみ嫌われている理由がこれで分かっただろ? そういう点において、オマエらがエルフにふんしているのはある意味正解だ。オレでさえも出自を偽っている」


 ダイモンは咥えていた煙草を地面に落として、足の裏で踏みつけた。

「もうこの話は終わりにしよう。飯の準備をしようぜ」


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