第4章 「解放」
第35話 鬼人(オーガ)
ティリオンやアイナと同日に転送された中年の男、
痛みで目が覚めた宇治は、よろめきながらベッドから立ち上がり、鏡で自分の顔を見て驚いた。片目がつぶれ、顔も腕も傷だらけだった。何より、夜通し逃げたあの日のことを思い出すと、胸が苦しく発狂したくなる。
「なんでこんなことになったんだ。あんな辛くて苦しい想いをするのなら、いっそのこと死にたい死にたい死にたい」と……。
その想いが加速度的に増していく。するとどうだろう、彼の腕や脚が急激にむくみ始めた。顔の表情も禍々しく変貌し、上顎の犬歯がニュッと伸びる。肌は血色の悪い土気色をして、それはどこからどう見ても人の姿ではなかった。急激な体の変化は時として獰猛なほどの飢餓状態を生む。
「人ヲ……人ヲ喰ラワネバ」
ただその考えだけが脳内を支配した。
宇治は——
オーガは壁を突き破ると、醜く反りあがった鼻をひくつかせた。この室内に美味そうな匂いのする人間がいることを確信すると、ダンダンと足音を荒げて走り出した。
危険を察知し、部屋へと急行するティリオンたち。ところが運悪く、ホームのカウンター前でオーガと鉢合わせになった。
身長は二メートルをゆうに超えている。剥き出しの腕と脚はパンパンに膨れ上がり、人のものとは思えない。ボディービルダーでもこうはいかないだろう。
「なにこれ? 超人ハルクやん!」
アイナがオーガを見て思わずこう口にした。
「アイナ、逃げろッ!」
ティリオンの生存本能が咄嗟に働き、アイナを逃がすべきだと告げたのだ。
オーガの伸ばした
オーガの挙動が常人を超えており、いとも簡単にその
森の中の鳥たちは異様な雰囲気にざわめき、次々と宿り木を脱した。森全体が急に慌ただしくなる。
ティリオンは杖を地面に付けて立ち上がる。ドアをぶち破った際に肩と側頭部を裂傷し、生温かい血が滴り落ちる。すぐさま治癒魔法を発動させ傷口を塞ぐ。しかし、体力の回復までには至らなかった。オーガが間髪を入れず攻撃を仕掛けてきたからだ。
「おい、気をしっかり持て! 絶望するにはまだ早すぎるッ!」
無駄を承知でオーガに話しかけてきた。まだ人としての理性を残しているかもしれない。それにティリオンは賭けた。だが、返ってきた返事は、人語とも思えない獣のような叫び声だけだった。
「くたばれっちゅうねん、このバケモン!」
玄関口からアイナが飛び出し、矢の狙いをオーガの後頭部に定めた。
しかし、突然始まった戦闘であること、加えて初の実戦がオーガという強敵であること。このふたつが原因で足を地に着かせることができないくらい、アイナは浮足立っていた。これでは大地からの生命エネルギーを得ることが出来ないのだ。
かろうじて飛ばした矢は、かつてチェルシーの前で見せた威力とは比べ物にならないくらい力弱く、オーガの鋼のような肉体には当然だがかすり傷ひとつ付けることができなかった。
(アカン、ウチは何してんねん!)
ティリオンの苦戦の前に足が
オーガの鋭い爪が、ティリオンの喉元を狙う。握りしめた杖でそれを抑え込むも、その力に抗えなくて背中から地面へと倒れる。
組み倒されたティリオンはオーガにマウントを取られながら、必死に打開策を講じる。もがき苦しみながらも、弱点はどこなのか?
(身体よりも頭を動かせ!)
ティリオンの本能がそう叫ぶ。
異臭を放つ口の隙間から、研ぎ澄まされたナイフのような牙が剥き出しになる。
オーガはハァハァと、匂い立つ血肉を前に、飢餓による食欲を抑えきれないでいた。その欲望がオーガにさらなる活力を与える。
「コレカラオマエヲ喰ウガ、悪ク思ウナヨ。コレモコノ世界ニ降リ立ッタコトガ悪イノダ。オレモオマエモ……」
「クッ……」
頭骨ごと嚙み砕こうとするオーガの牙から、黄色い唾液が滴り落ちる。ティリオンがオーガの牙の餌食になるのは、もはや時間の問題のように思えた。
「コノヤローッ」
弓がダメなら肉弾戦しかない!
心を震わせたアイナがナイフを握りしめて、オーガの後頭部を狙う。
首の真上の柔らかそうな場所、うなじ近辺なら刃も通りやすいだろう。安易な考えだがアイナなりの選択だった。しかし刃渡りの短い、なんの変哲もない武器では全く歯が立たなく、無情にもナイフは乾いた音を立てて根元から折れた。
うるさくたかるコバエを振り払うかの如く、伸ばした腕でアイナを薙ぎ飛ばす。その勢いのままホームの壁に激突し、アイナは一時的に気を失ってしまう。
「アイナッ!」
ティリオンの悲痛な叫びがこだまする。
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