第36話 射出(ショット)

 後頭部を打ち付けたアイナは失神したようだ。だが、彼女が隙を作ってくれたおかげで、ティリオンは寝転んだままオーガを蹴り上げ、マウントポジションを取られていた状態から脱出する。


「肉弾戦を得意とするオーガと魔導士では分が悪いな」


 元々後衛に属するティリオンとアイナは、近接格闘戦は想定外であった。何より初めての実戦が、ダイモンも敬遠するオーガなのだ。勝ち目はないに等しいと思えた。


 だがオーガの身体をよく目を凝らして観察すると、元は人間だったことが窺える。

 上半身にまとっていた衣服は既に破れ落ちているが、下半身は膝から下が破れたズボンを履いている。空腹を満たすため、食欲に任せて襲っては来ているが、力頼みのゴリ押しで戦闘においては何の工夫もなかった。


「元が人間だけにコイツの動きにはどこかぎこちなさがある。ならば、受け身にはならずにこちらから仕掛けるべきだ」


 ティリオンは風属性魔法でオーガの身体を切り刻む。当然、屈強な肉体を誇るオーガには通用しない。実は目的が他にあった。初めて目にする摩訶不思議な現象に、このオーガは慌てふためくだろう、そう考えていた。


 オーガの身にまとわりつく真空の刃に翻弄されている隙に、倒れているアイナを救出した。小脇に抱えて走り出し、隠れるようにして大木の根元に隠れる。杖の先を彼女に向けながら、魔法を詠唱する。するとアイナが目を覚ました。


「ハッ、あいつどこ行ったん?」

「静かに。いま俺の風魔法とダンスを踊っている。ただもう間もなく効力は切れるだろう。ヤツは鼻が利くようだ。そうなったら隠れていることもバレる」

「何かやっつける方法あるん? アイツめっちゃ強いで」

「オーガに変異すると知能の退化は避けられないように思う。現に後先考えずに突っ込んできたのが何よりの証拠だ。だったら、力の差はあれどココで勝負だ」

 ティリオンは人差し指で自身の頭を突いた。


「俺がおとりになって姿を現す。なるだけ遠くまで逃げるから、その間にアイナは拠点ゾーンを高めろ。お前の所までおびき寄せ、目の前に来たところをズドンだ」

「うん分かった」

「もう焦るなよ。落ち着いていけ」

 アイナは何度も首肯する。

 ティリオンは木の陰から飛び出した。


「コッチだバケモノ!」

 風の魔法が弱まると同時にオーガがティリオンを認識した。


 ティリオンは挑発するように手招きをして見せたのち、北の方角へと逃げた。

 アイナの装備品は夜光苺ナイトベリーの芳香で覆われているため、人間臭は激減している。身を隠してさえいれば位置が特定されることはないだろう。

 問題はどこで反転を行うかだ。


 このまま逃げたとしても脚力では敵わないような気がしていた。なにより、ティリオン自身にスタミナが無い。ある程度のところで引き返し、アイナの矢による攻撃でトドメを刺すのが今回の作戦だ。

 杖にはめ込んである魔晶のチャージは残数が「1」となっていた。


(あと一発しか魔法を撃てない)


 距離を詰められる前に反転する機会を得なくては、この勝負は負けとなる。

 草木をなぎ倒し、獰猛な唸り声を上げながら、猛追してくるオーガの息遣いをティリオンは背中で感じていた。何も策を講じなければ、あと数分のうちにあの鋭い爪でズタズタに切り裂かれるだろう。


(どうする)

 脱兎のように駆けるティリオンの目の前に、丁度良い幹の太さの枯れ木があった。

 それを発見し、思わずニヤリとする。

 杖の先を振りかざして、その枯れ木をティリオンの身長と同じ高さに伐採する。枝葉の落とされた枯れ木にティリオンは手で触れてから、そのまま地に伏せる。


 目標を捕捉したオーガの脚力は凄まじかった。

 体力が切れたのか、はてまた逃げ切れぬと観念したのか、自身が追っていた黒のローブを纏った男が、棒立ちになっているではないか。


「シャアアアアアアアアアアアッ!」

 両手を広げ、抱き着くようにして男の背後から襲う。


(頭の先からかぶりついてやる)

 オーガはそう考えていた。口の中で男の血肉がほとばしり、脳髄液をじゅるじゅるとしゃぶりつく……。そんな想像をしていたオーガは突如違和感に襲われた。


「そんなにそいつが美味いのか?」

 ティリオンの声を聞き、自身が襲ったものの姿を見て驚いた。それは黒のローブを纏った男ではなく、ただの伐採された枯れ木だったのだ。


「グアアア?」

 オーガは周囲を見渡す。すると自分の背後に襲ったはずの男がいるではないか。

「俺のガジェット『偽装フェイク』を使った。お前は俺と瓜二つに偽装された枯れ木を喰っていたんだ」


 バカめ、と付け加えると、ティリオンは元いた場所に向って走り出した。

 騙されたことに気が付いたオーガは怒り心頭となった。もう容赦はしない。そんなことを考えていたのだろう。さらなる脚力を駆使し、大地を蹴った。


 ティリオンは木々の間をすり抜けて走って行く。これでもオーガの嫌がりそうな障害物コースを選択しているつもりだった。しかし、力任せに駆けてくるオーガには、あまり意味の無いことだった。邪魔なものは全て消す。腕力と鍵爪のような手は、ほとんどの木の幹をなぎ倒していった。


 そして、その手がティリオンの背中を捉えようとしたとき、

「アイナッ、今だッ!」

 と叫びながら地面へダイビングした。


 オーガの前には弓を引き絞るアイナの姿があった。足元を黄金の光で覆われ、上昇する気流が彼女の茶色い髪を逆巻く。


「——射出ショット

 いつになく冷静な声を彼女は口にした。


 ドシューと言う音がほとばしり矢が放たれる。やじりの先を真空がまとわりつき射線に白い筋ができる。直線距離にしてざっと五メートル。寸分の狂いもなく、オーガの片目に命中した。これで両目とも潰したことになる。


「グオオオオオオオオオオンッ!」

 雨に濡れた犬のような情けない声をオーガが張り上げた。ただ、矢の勢いは脳幹まで届いたわけではない。もだえ苦しみながらもまだ暴れ続けた。


 ティリオンの誤算だったのは、オーガは盲目の状態ではあるが、嗅覚は生きているということだ。せめて一口でも血肉に預かろうという執念が、地面に伏しているティリオンを襲う。


「おじさんッ!」

 アイナがもう駄目だと思い、思わず目を逸らせたときだ。


 辺り一面の温度が急激に下がり、霧のような冷気が周囲一帯を支配する。すると、巨大な氷柱の塊が上空に現れ、まるで雨が降るように何度も何度もオーガの身体を貫通したのだ。


 鋭利な槍の穂先のような氷。それを扱えるのは知っている限り一人しかいない。

「レッジーナッ!」

 アイナが歓喜の声を上げた。


 レッジーナが杖を振りかざし、氷属性魔法でオーガを仕留めたのだ。

「なんで、レッジーナがここにおるん?」


 レッジーナだけではなかった。彼女の後ろにはダイモンとチェルシーが小走りで駆けてくるのが見えた。


「私が仕掛けておいたホームの拠点ゾーンに大きな生体反応があったから、慌てて戻ってきたの」

「やはりあの男はオーガになっちまったか」

 斧を握りしめたダイモンが、毒々しい血をまき散らし横たわるオーガの前に立った。

 ティリオンは立ち上がると、服に付着した土を払い、レッジーナに礼を言った。


「なあ、こんなに強いんやったら、めっちゃ大きい魔晶が取れるんちゃうん?」

 アイナはオーガを魔晶化すべきだと提案したのだ。


「いや、残念ながらカルマを溜めたバケモノを魔晶化することはできねえ。——神様に嫌われちまったからな」


 結局、オーガはその場で焼かれることになった。

 その様子をティリオンとアイナは悲しそうな目つきで眺めていた。

 一度は同じ目的でこの地を踏みしめたこと。そして一歩間違えば、自分たちもこうなっていたかもしれないと感じたからだ。

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